舞台やライブで魅せる田村めいめいの歌唱力について、最近あちこちで好意的な意見を見かけます。スマイレージだとグループという枠の中で収まらなくてはいけないのと、曲の世界観に合わせた表現というものが要求されるので、それほど強烈な歌唱力は感じていなかったのですが、ソロで歌っているとわかりやすい。ということで参考動画を。
田村芽実(スマイレージ) オシャレ!
先日、ネットでこの動画を絶賛しているスレッドを発見しまして、なるほど良い声だなあと感心しながら見ていました。めいめいの声はもうちょっとロリっぽいイメージで、まだ少しその面影は残っていますが、最近は声に張りが出てきたのではないでしょうか?これが舞台での経験が活かされての結果ならば、舞台活動がちゃんと本業に結びついているという訳ですね。発声などで良い指導を受けたのでしょう。
本人も夢、というか目標は「ミュージカル女優になること」と言っているので、この方向での成長はプラスになっている。現在のアイドルシーンはイベント本数が増えているから日々が多忙で、どうしても自分の向かっていきたい方向性を見失いがちになりそうで、そこが怖いところでありますが、めいめいに関してはこのまま順調に成長してほしいし、しっかりと自分を見つめて磨いていってほしいなと期待しています。アイドル活動の先にあるものに大きな夢を抱けないと、この業界も現実的な話ばかりで夢のない世界になってしまいますから。
そういう訳で、最近とても田村めいめいが気になり始め注目している次第です。では、この動画の曲の元の歌を歌っていた「あの人」はどうだったのか?という検証をしたくなります。「あの人」こと松浦亜弥さんもデビュー当時から天才っぷりを発揮していた人です。
松浦亜弥 - オシャレ!
この動画は松浦さんが16歳の時のもので、松浦さんにとって初のツアーでありました。この年の春に赤坂ブリッツで行なわれたファーストライブでも、初めて単独ライブをやるアイドルとは思えないほどの完成度を見せてくれた松浦さんですが、ツアーでも堂々としたパフォーマンスを披露して非情に面白いコンサートになっていました。この動画でも、その辺りの凄さは窺えるのではないでしょうか。
松浦さんについて語られる時、よく言われるのが彼女の持っていたアイドルスキルの高さと表現力ですが、私は当時からそういった高いアイドル性よりも「歌唱力」に注目していました。多忙などを理由に喉や体を壊して、やがてアイドル的なポップシンガーとしてはしぼんでいく訳ですが、デビュー年の2001年から2003年あたりまでの伸びやかな歌声は、まさにアイドルシンガーとしての天才でありました。
その後、喉を壊しても歌唱の方向性を変えて、違うアプローチから歌唱力シンガーになった努力も含め、やはり松浦亜弥は凄い歌手であり、ハロプロ史上最高の歌手でもあったと私は思っています。そう感じるのも、デビュー当時から松浦さんは様々なタイプの楽曲を歌い、歌いこなしてきた。曲を提供しているつんくPが「この子なら歌いこなせる」と、いろんな曲調を歌わせて、松浦さんがそれに応えてきた結果が、幅広いジャンルを歌える凄い人という印象として残ったのが理由であります。
そんな松浦さんの持ち歌を歌っためいめいですが、めいめいがブログで語ったところによれば、この選曲はつんくPによるものだそうです。つんくPも、めいめいの歌唱力を高く評価しているからこそ、松浦さんの名曲を歌わせたのでしょう。この曲は歌うのが容易ではなく、めいめいも歌いこなしているという訳ではないですが、上手い子だからこそ試練を与えるという意味があるのでしょう。今後も難易度が高く、いろんなタイプの曲にチャレンジしていってほしいものです。
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そのあとに出したシングル曲が名探偵コナンの主題歌ということで歌番組などテレビでも見かけるようになりましたが、彼女を初めて見た印象が「清純派美少女」のイメージそのものでした。それから「福原愛ちゃんみたいに卓球一家で育った」と言って番組内で卓球を披露していたのも見た記憶があります。
ドラマ「金八先生」が出世作になった(私は金八先生を見てなかったので知らなかったのですが)という点が上戸彩さんと重なるところから「上戸彩2世」と言われていたみたいですが、私は勝手に「ポスト松浦亜弥」という見方をしていました。というのが14歳で歌手デビューというのが松浦亜弥さんと共通していたからかもしれません。
ただ、そのあと彼女をテレビで見かけることが全くありませんでした(もしかしたら高校進学して学業優先のため芸能活動をセーブしていたのかもしれませんが)。私も年のせいもあって最近の芸能事情には疎くなっってテレビを見る機会も減ってしまったので、私の知らないところでテレビには出ていたのかもしれませんが、そこから時が経って今から2年前、およそ7年ぶりにテレビで彼女を見かける機会がありました。とある番組を見ていると「岩田さゆり」という名前が目に留まって思わず見入ってしまいました。彼女は22歳になっていましたが、あの時に見た清純派美少女の面影は無くギャルっぽい風貌になっていました。でも久しぶりに彼女の姿を見ることが出来て嬉しい気持ちになったのを覚えています。そのあとまた彼女をテレビでは見かけなくなってしまいました(Wikiやブログ等を見れば近況など簡単に知ることが出来るのでしょうが、最近はそこまで頭が回らなくなってしまいました)が、横道それずに芸能活動を続けておられるみたいですね(気がつけばデビューから10年が経ちますね)。
結局のところ彼女が「アイドル」として輝きを放ったのは歌手デビューしてから1年間だけだった気がします。でも、もしかしたら松浦亜弥さんと肩を並べるスーパーアイドルになり得た存在だったのでは…と今でも思っています。
岩田さゆりさんも当時「さゆ」と呼ばれていた記憶が。
松浦亜弥さんと上戸彩さんが当時「Wあや」と呼ばれていたように、道重さゆみさんとの「Wさゆ」と呼ばれる日が来るのかなと思っていたのですが。
>Mimosa工房さん
岩田さゆりさん 名前は聞いたことがありますが、その時代は他のアイドルさんに疎かったので詳しくは知りませんでした。
アイドルという職業は、どんなに良い才能を持っていても、ちょっとしたタイミングのズレで売れなかったり、事務所のマネージメントのマズさで売り出しを誤ったり、難しいものですよね。
岩田さんの場合はもしかすると学業の問題とかもあったのかもしれませんね。
アイドルを売るという事はとても難しいのだと思いますし、だからこそ面白いのだとも言えますね。たらればを語るのはそれゆえに面白いのです。
>フォーチュンクッキーさん
さゆって呼ばれていたのですか!だとすると、もしかして元祖さゆという事になるのかもしれませんね。さゆは当初、しげさんという呼ばれ方がポピュラーだったので。
もしかして、このタイトルは「桃色片想い」から来ているのでしょうか?
その曲は知らないのですが、松浦さんのは、あれだけ有名な曲ですから元ネタにされていたとしても不思議ではありませんね。
ちなみに、「桃色片想い」というタイトル自体も、つんくさんの大好きだったアイドルに似たタイトルの曲があったりします。
岩田さん、「不機嫌になる私」という曲は知っています。CMで流れていて、良い曲だなと思って調べたら、小松未歩作詞作曲と知って「なるほど」と思った事が印象に残っています。