一昨日Twitterでつぶやいた一件のツイートにたくさんのリツイートをいただきました。つぶやいた本人が驚いているのですが、同感です!というリプライもいくつかいただき有り難く思っています。
アイドルって、そのメンバーが好きなだけでは長続きしないなと思っている。そこを取り巻く環境、そこに集うファン、それをまとめる運営。どれもが大切。そして、応援している人達はそのアイドルの持っている資質と似てくる。これは不思議な鏡。
私がこのようなツイートをつぶやいたのは日曜日に行われたとあるアイドルライブにて退場者が何人も出たという話を聞いたからです。
アイドルというものは感情的に情熱的に応援するものであり、その感情の振り幅が大きい人が生のアイドルを観てテンションが高くなってしまうのは仕方がない面もあるとは思いますが、私は客席の空気を作っていくのはアイドルだと思っています。
ステージから漂う緊張感。アイドルが真剣さを持って歌やダンスに臨んでいるステージは、客席にもその緊張感が伝わります。そこに完成度の高さが加われば尚更。たとえば、モーニング娘。のコンサートの客席でステージをまともに観ないで騒いでいるような人は、いわゆるプラチナ期の頃にはほぼいなくなったように思います。つまり、そういう事。
そんなハロプロでもエッグのステージでは今まで色々ありました。やはり演者が未熟ゆえに会場の空気をコントロール出来ない。そして、そこにつけこむ人達も出てきてしまった。
女性アイドルは女性というものに商品価値を高めで提供している以上、そこに集まる男性客が時には感情をコントロール出来なくなる事は今に始まった話ではなく、今後もずっとつきまとう問題でありましょう。問題が起きないに越した事はないし、何か起こせばペナルティが与えられるのも当然です。しかし、アイドル現場で何かが起きるという事は、今のような誰にでもアイドルになれるような状況が産み出した一種の魔物なのかもしれません。
不思議なもので、アイドルヲタというものは応援しているアイドルに似てくる。いや、自分とどこか似ているような人を好きになるのかもしれません。そういう流れがあるからか、現場の雰囲気というものはアイドルによって違う。グループ内でもメンバーによって違う。ソロイベントなどがあるとよくわかりますが、各人で客層や雰囲気が結構異なるものです。
だからと言って、荒れる現場はそのアイドルにも何かしらの問題点があるとは決めつけられないけれど、そこはまったく無関係とは言えなさそうであります。
でも、何だかんだで一番大切な事はアイドルが観客にリスペクトされているかどうかなのだと思います。リスペクトの気持ちがあればステージを尊重する気持ちに繋がります。それが客席にも良い緊張感を生むと私は思うのです。
飯窪さんがイメージカラーを変更すると昨日のイベントで発表しました。
チョコレート色。サイリウムはどうするんだ的な問題はあったけれど、その色の入った衣装を身にまとう飯窪さんは似合っていたし個性的でした。出来ればずっとこの色で行って欲しかった。サイリウムにこの色がないなどという問題は、事務所がグッズとして「電池式チョコレート色サイリウム」を販売すれば良い事だったのにと思います。ツアー毎にデザインを変えて出せば、その度に売れるし。
飯窪春菜緊急記者会見?
モーニング娘。はメンバーのイメージカラーを基本的には変えない。イメージカラーを大切にしているという事でもあり、それはとても良い事だとも思うのですが、いざ変更になる時にカラーに対してのヲタの思い入れが肥大化していて変え辛くなってしまうという難点もあります。実際、自分もなんだか残念な想いに駆られています。変えなくても良かったのではないかな?と思うのです。
世のアイドル達を見渡しても、イメージカラーに赤やピンクや青などは普通にありふれているけれど、チョコレート色なんてなかなかいない。今のモーニング娘。が浸透していけば、やがてチョコレートに関する仕事だって入ってきたかもしれないのに。なんて事を思いながらカラー変更を惜しんでいます。
この前、℃-uteが構成人数が変わっても残ったメンバーが頑張っているという話を書きました。そして、その℃-uteの姿と今のひめキュンフルーツ缶を重ねて見てしまうという話を書きました。昔出版されたモーニング娘。の本のタイトル風に言うならば、「7+1-1-1-1」な℃-ute。そして、色々動きがあって8人になって、これからという時に「8-3」になってしまったひめキュン。
私は残されたメンバーの持つ危機感であるとか、責任感によって、マイナスが結果的にプラスになる事は大いにあると思っています。℃-uteはメンバーが抜けていく事によって結束力を高めてきた。ピンチをチャンスにする意思の強さというべきでしょうね。
そういう感じで、勝手に℃-uteとひめキュンを重ねてみていた訳ですが、なんとひめキュンリーダーさんも同じような事を考えていたようです。
http://ameblo.jp/sakurako-tanio/page-2.html#main
リーダーは熱狂的なハロプロ大好き少女だそうです。プラチナ期は大好きみたいですよ。という事で好感度アップ。
いやいや、そんな浮かれたヲタ話がテーマではなく、私が気になったのは人数が減った事によるダンスフォーメーションへの影響と、変更していく大変さ。これはアイドルグループのテーマであります。
℃-uteなんて定番曲を何回も手直しして今があるんですよね。というか、最近は昔の定番曲はあまりやらなくなった印象がありますが。
メンバーチェンジに順応して頭を切り替えていかなくてはいけないのはヲタだけでなく、それ以上にメンバーが大変なんだと、自然と忘れていた事柄を思い出した訳でした。そう考えると、メンバーチェンジが前提としてあるモーニング娘。はスゴイと思う次第です。
まっさらブルージーンズ 2006
まっさらブルージーンズ 2012
先日のブラックバラエティにて、ももちの「許してにゃん体操」が披露されました。まあ、いつものように堂々とやりきっているももちなのだけれど、彼女のすごい所は「やりきる」気持ちに一寸の迷いがない事。恥じらいもない。彼女は画面を通して観ている人達に笑われる事を前提に動いている。そこに迷いがないからこそ、動きに強さがある。
普通に考えれば、年頃の女の子が笑われる事を前提にテレビカメラの前に立つ事には、それなりの勇気がいる。しかも、ももちはアイドルなのだから本来はお姫様のような扱いを受けるべき存在。彼女はBerryz工房の中心的メンバーですから。
さゆの場合はモーニング娘。の存在をテレビ市場に更新させるために自らが道化となり宣伝をしてきた訳ですが、ももちはあくまでももちのために動いている。勿論、Berryz工房の宣伝をする時もあるし、Berryz工房という名前を知らしめる役割はそれなりに果たしている。しかし、彼女からはさゆみたいな「悲壮感とある種の決意」はあまり感じない。笑われてナンボな立ち方をしている。
私はさゆはとても頑張ったと思っています。敵も生まれたかもしれないけれど、一定の効果はあったと思うし、さゆのファンも増えた。それを前置きした上で、ももちは凄いと敢えて書きます。おそらくももちは一人のタレント「ももち」としての成功をイメージしながら振る舞っているから、全ての責任は自分で背負っているような孤高感がある。使命の方向が違う。
だからこその「ソロデビュー」なのでしょう。ももち、おめでとうございます。
ももち 『ももち!許してにゃん?体操』(MV)
真野恵里菜ハロプロ卒業。「そろそろだな」とは思っていた。最新シングルのMVの内容。歌詞。最近のインタビューに於けるイメチェン願望とその決意。卒業しそうな要素はいくつもあった。
女優活動をやっていく上でハロプロは決してベストな場所ではない。ドラマや映画に出演すれば拘束日数が多くなる。ハロプロはあくまで歌手であるというのが前提だから、定期的にコンサート活動がある。真野ちゃんが今後女優業に力を入れていくほどに、いつかハロプロコンサートとスケジュールが重なる可能性があった。そうなった時にどちらを取るのかと?
そんな近未来をネガティブに考えていたら現実になった。真野恵里菜ハロプロ卒業。
私が真野ちゃんの事を知ったのは第一回新人公演。初めてエッグのプロフィールが明らかにされたコンサートだ。データ収集的な意味もあり、私は公演パンフレットを購入した。メンバーのプロフィールが載っていたからだ。そして、その日から真野ちゃんの存在を意識し始めた。
私が真野ちゃんに注目した理由はサキチィみたく歌唱力でもなければ、ゆうかりんみたいなアイドル力でもなく、ルックスにあった。正直に言えば私はハロプロには好みなルックスのメンバーはそれほど多くはない。ハロプロを好きな理由は顔ではないのだ。しかし、真野ちゃんに関しては顔から入った。エッグイベントや、その後の新人公演、ガッタスの練習、私は真野ちゃんのルックスに惹かれ注目してきた。
しかし、ある時から私は真野ちゃんをルックスではなく歌声で好きになった。インディーズデビューシングル「マノピアノ」を初めて聴いた日から。
真野ちゃんは線の細い声で歌いながらピアノを弾いていた。時にハロプロはモーニング娘。がいわゆるプラチナ期、ハロプロ=実力派アイドルというようなイメージがヲタに刷り込まれ始めていたから、いくらピアノが弾けるとは言っても真野ちゃんの歌は異質だったのは認める。でも、透き通るような歌声はとても魅力的だったのだ。私は「真野恵里菜の歌声は楽器である」などと持ち上げてみたりもした。
その後、CD販売をたくさん積み重ねてレパートリーも増えた。真野ちゃんには良曲が多い。しかし、歌のレパートリーが増えるにつれて女優業が軌道に乗っていく。それでも、CDは発売され続けて、コンサートも開催されてきた。
今言える事は、女優として次のステップを踏み出すためにハロプロ卒業はやむを得ない。でも、歌は歌い続けてほしいという事。あの頃の「マノピアノ」とは歌い方は変わってしまったけれど、真野ちゃんの歌声は今でもとても魅力的で素敵なのだから。
真野恵里菜 マノピアノ
2009年の晩秋、日が暮れ始めて肌寒くなってきたよみうりランドイーストで、私は新生第一弾を寒々とした想いで聴いていました。それはある意味、その直前に発表されたメンバーカラーの変更以上にSHOCK!であったかもしれません。
私はこのグループを応援するにあたって三回も悲しい思いをした。一回目はただただ残念で悲しく、二回目はその一連の流れと対応に事務所に不信感を抱き、三回目は虚無感のような気持ちが心を支配した。それでも、残った五人のメンバーは前を向いて歩こうとしている。それならば、そんな五人を応援していきたい。そんな風に決心していた時に、その前を見て歩き始めた五人に与えられた歌は「フラれてSHOCK!だけれどメソメソしてはいられない」という歌。いや、前向きな歌。前向きな歌詞ではあるけれど、フラれたという設定が今グループが置かれている状況を置き換えたものであるという事は理解しているけれども。でも、私が聴きたいのはそういう歌じゃない。
私があの時聴きたかった歌は、五人の心に風が吹いているけれど、その現実は現実として客観視した上で未来を見据える。そんな歌であってほしかった。アイドルという期間限定な儚いものに、少し強く少し明るく明日を語れる歌を聴きたかった。それを力強いメロディとリズムに乗せて。
先週、遅まきながらひめキュンフルーツ缶の最新シングル「例えばのモンスター」のMV(前回の記事に貼った動画)を見た時に、私はあの肌寒かったよみうりランドイーストを思い出し、「ああ、あの時私が五人から聴きたかった歌をこの五人が歌っている」と思ったのでした。歌詞だけをそのまま抽出すれば所々はベタな歌詞かもしれない。でも、仲間を失ったメンバーが歌う「儚さと情熱の花束」は、決して平坦とは言えないアイドルというジャンルを直視して歌っている。
そう、私が求めていたのは、メンバーを失うという事を失恋なんぞに置き換えたものではなく、その心とまっすぐ向き合った歌だったのだと思い出した。
晩秋に発表された新生シングル、メンバーは険しい顔をして歌っていた。歌詞の内容を考えたらそれは仕方がない。でも本当はたとえ空元気でも、メンバーは笑っていて欲しかった。
初夏に発売されたこのひめキュンの歌は、メンバーが何かに達観したかのような穏やかな笑顔で歌っている。その穏やかな笑顔が、一連の(メンバーが辞めていく)流れを見ていない私にでさえ心に突き刺さってくるもので、その穏やかさが悲しみを抱えながらも前に歩き始めたアイドルそのものだと理解出来る。
こんな事を今更思い返すという事は、私の中ではまだ落とし前はついていないのかもしれない。愛理が穏やかな笑顔で前を見て歌ってくれるシングルが出れば、その時初めて次の季節を迎えられそうな気がするのだけれど。
昨日はタワーレコード渋谷店B1のライブスペースにて行われた、ひめキュンフルーツ缶のフリーライブに行ってきました。会場を埋めた200人以上のお客さんを五人の少女たちは魅了した。そう、ひめキュンは五人…。
ひめキュンは元々は℃-uteのインディーズデビュー時と同じ人数で構成されていました。色々あって今は五人。その成り立ち、四国(愛媛県)で活動するアイドルというスタイル、私の琴線に触れるパーソナルデータがいくつもある。そして、この日初めてひめキュンを生で観て、もうひとつ私の探していた場所がそこにあるのではないか?という事にも気づいた。
低いステージに立ち、一曲目から激しく踊る五人。私はキレのあるステージングを見せるアイドルに弱い。どちらかと言えば小柄なメンバー達が、顔に汗を滲ませながら踊るステージ。そして、二曲目の「恋のプリズン」からはビートがタテを刻み始めた。ああ、私はアイドル音楽が好きで、ロックが好きだという事を思い出した。
ひめキュンフルーツ缶『恋のプリズン』
アイドルグループには当然付き物なメンバー挨拶はアイドル業界で流行りのお約束的なものはなく、一人ずつが今日の意気込みなどを爽やかに語っていく。ヲタのリアクションもひたすら温かい。私はまだ完全にメンバーを覚えきれていないのだけれど、五人それぞれに魅力を感じます。そこは重要。
ライブはひたすらビート強めなナンバーが続く。前方のヲタを見ると、みんなノリながら頭を動かしている。頭と拳を動かしつつ、アイドル的なノリも取り入れつつ楽しむ。
アンコール一曲目は最新シングル「例えばのモンスター」。ニッポリヒトというロックバンドの曲をカバーしたものだ。MVはライブ風景をモチーフしたものになっている。そのMVで観客が行なっているノリを今私も行なっている。大サビの左右手振りでステージとヲタと私が一体になれたような気がして、不思議な熱さが胸を込み上げる。
彼女達は日頃はここから何百キロも離れた地で、学校に行ったり、レッスンをしたり、ライブをしたり、メディア活動をしたりしている。今ここで、ほんの数m目の前にいるけれど、ラストに歌ったナンバー(ひめキュン参上)の歌詞にあるように彼女達は「地元のアイドル」なのだなと、そのフレーズが耳に刺さりながらも私は優しい拳を振り上げているのでした。天井の上に続く空は遠い町にも続いている。
可愛らしい風貌の女の子達がタテノリなロックを歌うという事は違和感があるかもしれないけれど、ライブ後に街を歩きながら「それもアリだな」と私は思うのでした。先日、愛媛で行われたロックフェスに出演し、アイドルソングには興味がないロックファン達も熱狂させたというひめキュン。ニッポリヒトのファンの子がひめキュンの歌う「例えばのモンスター」を聴きながら感極まり泣いたという話も聞きました。
愛媛では知名度が高く、ファン層が幅広いというひめキュン。可愛い子達が可愛い歌を歌うだけでは幅広い支持は得られなかったのではないか?ロックという尖った道具を手にした彼女達は、その道具を振り向いてもらうための優しい凶器に昇華させたのではないか? Rの法則で流れた「町中で歌う姿。いろんな人達がそれを観ている様子」の理由がなんとなくわかったのでありました。
アイドルという儚く優しい存在が儚さと優しさを現実を憂いながら歌う。私は帰りに購入した「例えばのモンスター」を聴きながら、次はいつ彼女達の歌を観られるのだろうかと、距離という現実を噛みしめながら歩くのでした。それは、アイドルとヲタという精神的な距離感とは違う、物理的な距離感。でも、不思議と寂しさはない温かなものである事にも気づいている。
ひめキュンフルーツ缶 例えばのモンスター
今日からハロプロコンサートが始まりました。ツアータイトルにもあるように15年もやっていれば持ち歌もたくさんある。それらの持ち歌を全てとは言わずとも、多くを把握しているヲタもそれほど多くはないのではないでしょうか。例えば、エルダー系の曲はあまり浸透していないケースが多く、現場で誰かがカバーして歌っても「この曲は何?」となる事もあるようです。中でも、メロン記念日の曲とか割と歌い継がれている印象なのに知らない人もいるのは残念。
特にこの1~2年にハロヲタになった人にとってはエルダー系は「元ハロプロ」だから馴染みが薄い。ハロヲタ歴10年レベルの人とは違い、なっちを生で観た事がない。なっちの事はよくわからない。そんな事も珍しくないのでありましょう。かつて、モーニング娘。の顔であり象徴であったなっちでさえも。
さすがに15年もある歴史を学んで、それを頭に叩き込むのは大変。でも、ひとつ言いたいのは「楽曲は耳にしてほしい」という事であります。本当、良い曲が多いんですよ。今ならYouTubeで検索すれば色々観て聴く事が出来ます。活用しようYouTube。
せっかく歴史のあるアイドルであるハロプロに興味を持ったのですから、これも何かの縁だと、昔の曲にも興味を持って欲しい。中古CDでも割と安価で手に入るのですから。
昔の曲も客席が盛り上がるようになればコンサートのセットリストを考える側もやりやすくなるし、曲調の幅が広がり楽しい筈。さあ、みんなでYouTubeハロプロ曲探しの旅に出かけましょう。
Rの法則地方アイドル特集を見てから色々と考えています。アイドルというものは有名無名と歌のレベル可愛さなどは比例しない。特に地方アイドルでも積極的な活動を展開しているアイドルは、活動する場所が地方だというだけで、東京の大手事務所のアイドルと大きな差があるとは思えなくなっています。よく混同している人がいますが、地方アイドルイコール地下アイドルではないのです。
それは信じられないという人、モーニング娘。に好例と言えるメンバーがいますよ。
番組を見逃した方へ
http://www.youtube.com/watch?v=kc2SE9qBmmk
http://www.youtube.com/watch?v=k4_1-7qvNQ0
http://www.youtube.com/watch?v=9uSZ3-g-6XY
しかし、世の中はあくまで東京中心に回っている。地方アイドルが中央マスコミに取り上げられるには相当な話題性がないと難しいだろうし、仮に話題性で取り上げられてもそれは一過性のものとして終わる事でありましょう。
そもそも、地方アイドルが東京で成功する事は目標ではなく、それは過程でしかない。ホームとなる地方で大活躍して何かを成し遂げてこそでしょうね。
私が気になったのは、番組の中でプレゼン役を務めたアップアップガールズ(仮)の森咲樹ちゃん。モリサキちゃんは地方アイドルと話をし、地方へ出向いてその空気を吸ってきた事で、様々な事に気づかされ、自分の現実を重ねていたようにも思いました。
一年前に私がアップアップガールズ(仮)のライブに足を運んだ時よりは多少の状況の変化は見られますが、まだまだ彼女達はマイナーアイドル。大手事務所の中の地下アイドルみたいな存在。果たして、大手の地下と地方のメジャーならどちらが幸せなのかは難しいけれど、マイナーであるという事。たとえ一部の地域でさえメジャーにはなれない存在である自分達に何を感じているのだろうか。気になります。
それでも、まだ彼女達は東京で活動している。地方で活動しているよりも中央マスコミにキャッチされやすい。東京で活動出来るという事はとても大きな財産なのです。だから、まだまだ望みは捨てずに、自分達の力と可能性を信じてステップアップしていってほしい。
アップアップガールズ(仮)は早い話が事務所の名前をもじって付けられた名前だけれど、いい名前だなと私は思います。
バレバレ I LOVE YOU アップアップガールズ(仮)
昨日LinQのライブに行ってきました。場所は恵比寿のリキッドルーム。そこに集う約300人のヲタ達とメンバーが一体となっていく空間に、ここは彼女達のホームではないのだ。という事は忘れてしまうのでした。以下、私がこの二日間ツイッターでつぶやいた事の抜粋をまとめてみました。LinQライブの感想から、今日NHK「Rの法則」でオンエアされた地方アイドル特集のお話です。
なかなか旅に行けなくなってしまった今の私には、九州の風を届けてくれるLinQに胸が熱い。かつて上野駅にふるさとの匂いを感じに行った石川啄木の気持ちを少しわかる気がした。
歌やダンスはLadyの方が完成度高いけど、Qtyの可愛らしさも華を感じた。さくら果実でボーカルが乱れたのはご愛嬌だけどね。大人の色気と少女の可愛らしさを両方パッケージングしたステージが観られるのは楽しいです。
ライブを観る前、頭の中で福岡ドームとかシーサイドももちとか、或いは小倉の街とか佐世保のアーケードとか、更には鳥栖スタジアムとか浮かぶんですよ。LinQに会うという事は九州の空気に触れに行く事なんだなって。
オープニングでのメンバーの掛け声「みんなにリンク!」とかのあれ。締めに「Love in 九州!」と叫ぶのですが、九州の女の子、或いは九州出身の女の子って九州大好きですよね。自分もその掛け声を聞いていて胸が熱くなるわけです。
地方アイドルは大手事務所アイドルと如何に対峙していくかという問題はサッカーでは成立しているんですよね。地方クラブが地方資本をスポンサーに付けて戦う。金額の大小で結果は決まらず、そのお金をうまく運用してクラブを育て、人気を上げて、チームを強くするか。
Jの観客動員一位は浦和だけど二位はずっと新潟。今年の勝敗順位、現在の一位は広島で二位は仙台。数年前に大分がナビスコカップで優勝した事もあった。地方でも中央経済に対抗出来るのがサッカー。
ただ、アイドルの場合は「宣伝」とそれに伴う「メディア露出量」で人気が決まってしまうから、やはり地方経済をバックに付けても難しいか。メディアとアイドルとの関わり方の構造変化が生まれればサッカーみたいな事が起きるかもしれないですが。あとは、テレビありきの受け手の意識改革も必要。
同じ地方活動でもプロ野球の場合は関東や関西の大企業が地方のチームを運営しているのでサッカーとは違うのです。アイドルだと48系のやり方ですね。実際はこの方が手っ取り早く結果が出るのだろうけれど、それは本当の意味での地方の象徴ではないのであります。
地方アイドルはその地方のものです。他所から来た人は他所者なんですよ。でも、だからと言ってファンになってはいけないという訳ではない。何度も例えるけどサッカーと同じなんですよ。愛媛FCのスタンドが関東からの遠征ファンばかりになったら変ですよね。そういう事。
大手が発信しているアイドルは地域性とかないんですよ。たとえば、別にSKEを東海地方以外の人が応援するのはアリだし、だから在京テレビにも出す。阪神タイガースのファンが地方にもいるのと同じ理屈。あくまで資本主義なんですよ。
Rの法則面白かった。録画して正解だった。LinQはメンバーが事務をやってる話。LinQはメンバーがバカではないのは感じていたが、一般スキルをつけておくのは人生においても損ではない。おバカアイドルなんてもうお腹いっぱいだし。
銀天街商店街がひめキュンで溢れているのを見て今すぐ松山に行きたくなった。あと、番組的に終始一貫して「地方アイドルもレベルが高い。プロ意識が高い」という事を伝えていたのも良かった。それを元ハロプロメンバーとAKBメンバーにも言わせるから説得力ある。
プレゼンしていた森ティもイキイキとしていた。彼女も桃子ヲタだし、アイドル大好きなんだよな。そして、UUGも活動的にはマイナーグループだから感じ入るものがあったのだろう。でも、森ティも言っていたように、今日の三組は地元ではUUGよりメディア露出しているんだよなあ。複雑な心境だろう。
Rの法則を見て改めて思った。アイドルの魅力は、売れてるとか、知名度があるとかで決まるのではない。輝いている子のいる場所が魅力的に映るのだ。その場所がメジャーかマイナーかは条件ではない。あなたの身近にもアイドルの場所はある。