昨日は藤本美貴さんの誕生日でした。ミキティおめでとう。ドリーム娘。で久しぶりにミキティの生歌を聴けるかと思うと楽しみで仕方がありません。私はミキティの声が大好きなのです。歌手にとって個性的な歌声を持つという事は代えがたい武器だと思います。
そして、2月26日という日はハロプロを語る上でミキティの誕生日というだけでなく、もうひとつ忘れられない日でもあるのです。
2009年の2月26日、有原栞菜さんが℃-uteでの活動を休止しました。つまり事実上栞菜ちゃんがハロプロという表舞台から姿を消した日です。
この年の7月に正式に脱退が発表された時、私は悲しいという感情以上に虚しい想いに胸を締め付けられました。彼女が苦しんできた間、我々ヲタはただそれを見ている事しか出来なかったのではないか?足の病気とは知らなかったから、℃-uteにより激しいダンスやパフォーマンスを求めていた。応援って、彼女にとって励みになっていたのだろうか?逆にプレッシャーになってはいなかっただろうか?
栞菜ちゃんが脱退してからしばらくは℃-uteのCDを聴くのが辛くて、避けていた日々がありました。
℃-uteはその後も走るのを止めず、五人になっても進化を続けていく。梅さんもモデルの道を歩きだしている。
でも栞菜ちゃんはもう芸能人ではない。今何をしているのか?病気は治ったのかもわからない
そうして栞菜ちゃんを心配する気持ちばかりが募る日々が過ぎ、℃-uteへの応援の気持ちの裏側では「栞菜…」だったのです。
去年の5月に栞菜ちゃんが芸能界に復帰した。そして地道に今も頑張っている。℃-ute時代に比べたら遥かに小さな活動内容かもしれない。見てくれているファンの数も℃-ute時代よりも少ない。それでも彼女は「アイドル」という舞台にまた帰ってきた。
一度アイドルとして声援を浴びた者は、その声援を浴びる快感が忘れられず、辞めても帰って来るのだと言われます。実際に栞菜ちゃんはこうして帰ってきた。やはり彼女にとって応援はパワーになるものだったのだ。忘れられないものだったのだ。
少し前に梅田えりかさんが雑誌の対談で「自分は人気はなかったけれど、℃-uteのファンの皆さんはとても優しくて私にもすごい声援を送ってくれた」と語っていましたが、栞菜ちゃんも同じ想いだったのだろうか?などと想いを巡らせます。握手会での対応を色々言われた事もあったけれど、なんだかんだ言っても声援というものは嬉しかったのだろうと。
栞菜ちゃんは今日ミニFMの公開放送に出演しました。ファンの数も大切かもしれないけれど、今の彼女にとって大切なのは、自分が立っている場所と、それを見守る人々がいるという事なのだと私は思うのです。
℃-ute 忘れたくない夏 忘れられない夏 C-ute Wasuretakunai Natsu