tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

文化祭が予定通り開催できる事に・・・

2020-11-20 18:10:20 | 非常勤講師奮闘記

11月20日(金)

暖かな日が続いておりましたが、天気予報の通り雨が降りだしました。

今日は高等学校へ行って来ました。

それでもまだまだ暖かく、コロナ感染拡大する中、広い教室は窓を全開での授業をして参りました。

お菓子

お菓子屋さんが届けてくれたのは、「織部饅頭」でした。

織部饅頭は、これで3回頂くことになりましたが、いつ食べても美味しいお饅頭です。

今日学校へ行きましたら、嬉しいニュースがありました。

12月に行われる文化祭かな?が、開催れれることになりました。

それも、時間を短縮して例年の半分で終了し、一般の方々は学校内に入れないという厳しい条件が付きました。

学校側に、徹底した対策を立てて行うという、私の計画と考えを伝え了解をして頂きました。

でも、生徒たちの、お稽古の成果を発表できる場ができたということは嬉しいことですが、私は思い荷物を背負うことになりました。

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茶碗「木守」を思いださずには・・・

2020-11-19 17:03:22 | 私の散歩道

11月19日(木)

このところずっと異常なほどの暖かさが続いております。

抜けるような青空がひろがっておりました。

こんな日は散歩日和です。

木守

一個残った柿の側に小鳥が止まっておりましたので、ジッと見ていると中々食べ始めませんので、少し離れると食べ始めました。

食べ始めると一心不乱と言いたいところですが、オナガ(多分)がやって来たら、一斉に飛び立ちました。

この柿は、数子残ってはおりましたが、文字通り木守というにぴったりでした。

この場を去りながら、長次郎作の利休七種の中に「木守」があった事を思い出しました。

リンゴ

信州在住の卒業生が、リンゴを送ってくれました。

毎年の事ですが、大きく甘いリンゴです。

信濃ゴールド

ゴールドという名が付いております通り、黄色いリンゴです。

このリンゴの特徴は、とにかく甘い・・・これに尽きます。

卒業して二十年くらい経つと思いますが、毎年送ってくれますので恐縮しておりますが、それよりも嬉しさの気持ちが勝ります。

こんなに経ったのに忘れずにと、思うだけで嬉しくなってしまいます。

毎日美味しく頂けます。

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お稽古事は続けることが大事で・・・

2020-11-18 17:11:51 | 大學の稽古

11月18日(水)

今日も異常なほどの暖かさでした。

今日も大学に行って来ましたが、相変らずのリモート授業だそうで、話を聞いていると可哀想になってしまいます。

花は、昨日と同じでズイナ、初嵐です。

学生たちもだいぶ慣れてきたようで、余りいじっていないでサッと生けているようです。

三年生

炉を覚えきらないうちにコロナ騒ぎになってしまいましたので、今頃になって炉のお点前に手を焼いております。

でも、若いという事は、少し繰り返しやっていると直ぐにできるようになる事です。

移動

お茶が点ったら、客座に移動して自分で点てたお茶を頂きます。

コロナ騒ぎ後は、このスタイルでずっとやっております。

いつまでこんな変則のお茶をしていなければならないのでしょう。

お茶は、点てて貰い出されたお茶を頂くのが一番おいしいですが・・・

三年生

やはり覚えきらずにいましたから、戸惑いながらやっておりましたが、注意し繰り返していると思いだしたように動き始めます。

やはりお稽古事は続けていないと駄目なんですね・・・

この子達を見ているとそれがよく解ります。

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置炉で手順を早く覚えられるように・・・

2020-11-17 17:24:07 | K大學の稽古

11月17日(火)

何だか暖かな日が続いております。

今日は大学へ行って来ました。

花は、ズイナと初嵐です。

今のところ初嵐が、次々に白くなり出番を待っておりますので、しばらく使えると思っております。

学生が上手に生けるようになりました。

お菓子

お菓子は、紅葉で変わらぬ美味しさです。

四年生

就職も決まり卒論も終わり後は卒業を待つばかりです。

久しぶりに出てきましたが、お点前の手順は忘れてはおらず、スラスラとしておりました。

四年間一生懸命すると、1年くらい休んでいても、忘れずにお点前ができると証です。

下級生にはいいお手本になったと思います。

三年生

三年生は、これからが大変で、人生を掛けた就活が始まりますので、どれくらい参加できるか解らないといったところです。

気分転換にもなりますので、極力参加してほしいと思っております。

二年生

炉のお稽古を始めて2回くらいしかしておりませんので、置炉を使って手順の稽古です。

置炉は、稽古場を閉めるという茶友が使ってと送ってくれたものですので使わせていただいております。

私自身置炉は使ったことがありませんので戸惑うことばかりです。

二か所

置炉を頂いたおかげで、二か所でのお稽古ができるようになりました。

少しやりにくいところがありますが、手順を覚えるには贅沢を言っておられません。

ありがたいことです。

 

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中山道「倉賀野宿から高崎宿」まで

2020-11-16 17:02:20 | 中山道六十九次散歩

11月16日(月)

今日の日中の気温は10月上旬だったそうです。

こうした気温の変化は、年齢を重ねた人たちにとっては辛いところがあります。

先日歩いてきた「中山道六十九次」備忘録をまとめたいと思います。

11月14日土曜日に中山道を歩いて来ました。

本陣跡

ここが集合場所になっておりました。

倉賀野本陣跡ですが、今は、ドラックストアーなっております。

倉賀野城址

鎌倉時代、武蔵国の児玉党が倉賀野氏を名乗り活動を始め、その一党の子孫が倉賀野城を築いたと云われております。

その後、戦国時代になると、上杉氏、武田氏、北条氏の勢力の狭間で苦しんでおりましたが、豊臣秀吉の小田原攻めの際に開城し降伏と共に廃城となりました。

今は、かりがね公園となり市民の憩いの場になっております。

倉賀野城址から

城跡のすぐ下を烏川が流れ、よき防衛になったと思われますが、景色としても素晴らしい眺めとなっておりました。

倉賀野神社

倉賀野神社は、倉賀野宿と近隣七ヶ郷の総鎮守で、旧社銘は「飯玉宮」といいましたが、明治になって国策として、近隣数社を合祀して倉賀野神社となりました。

この日は七五三の参拝が多く、小さな花嫁さんを見ているようでした。

倉賀野宿

倉賀野宿街道ですが、今は国道18号になっております。

享和年間の記録によると、家数453軒、旅籠64軒、人口2156人だったそうです。

安楽寺

このお寺は、天台宗延暦寺の末寺で「七仏薬師」の名で知られております。

天平9年(737)の開基という伝承あるお寺さんです。

古墳

寺の裏には円墳があり、「安楽寺古墳」と呼ばれております。

気持ちが良いほどよく掃除されたお寺でお参りしてホットいたしました。

一里塚

倉賀野一里塚で、日本橋から25番目です。

今はそれらしい物は何一つ残っておらず、ここらしいという程のものだそうです。

浅間山古墳

典型的な前方後円墳で、千数百年前の豪族の墓といわれておりますが不明・・・

四世紀末の築造とされており、全長172mという巨大なもので二重の濠を巡らした県内で二番目の大きさを誇っております。

板碑

板碑が一か所に集められておりました。

多分あちこちに放置されていた板碑を集めてきたもののようですが、あと数年たつと時代が付いて、それらしくなるかも知れません。

古街道

私はいつも最後尾を歩いておりますので、皆さんの後を歩いておりますが、突然先頭が右に曲がりましたのでそのまま付いて行くと、このまま何方かの家に入って行ってしまうのではと思うほどの道でした。

何と旧中山道だそうです。

こんなに狭かったんだ・・・

高崎宿

高崎宿は、慶長三年に井伊直政が箕輪から高崎に城を移したときから城下町と宿場町の双方を担う役割を持って生まれました。

家数837軒、旅籠15軒、人口3235人と記録が残っております。

江戸時代「お江戸みたけりゃ、高崎田町」と唄われたほどの賑わいだったそうです。

高崎宿に入りしばらく歩くと、あら町交差点になりました。

この交差点近くに「諏訪神社」という小さな祠がありましたが、これが、小さいながら立派な社を持って風格のある神社でした。

諏訪神社・・・これからずっと先に本社本殿を訪ねるはずです。

市役所展望台

今回の昼食は、高崎市役所展望台のレストランでした。

個室のような部屋で静かに昼食を頂いて、食後には、上毛三山や浅間山を望む大パノラマです。

ひと時のくつろぎを得て、再び歩き始めました。

高崎城址

高崎城は、井伊直正により築城され、甲信からの防衛の要としての役割を持っておりました。

今は城址公園として市民の憩いの場になっております。

城の遺構はほとんどがありませんでしたが、昭和になって乾門が作られ城址公園の面目躍如と云ったところでです。

大信寺

大信寺は、元亀元年建立の浄土宗の寺院で、街の真ん中にありビルに取り囲まれております。

ここだけが、空が広がって何となく不思議な光景です。

大信寺

大信寺は、「駿河大納言徳川忠長」といえば、歴史好きな人は直ぐに解ると思います。

二代将軍秀忠の次男に生まれながら、言行粗暴、大逆不遜という罪でここ高崎城に幽閉蟄居となりました。

時の城主安藤重長が何度も赦免を願い出るも認められずに、寛永10年に切腹を命じられ28歳の若さでこの世を去った人物です。

死後43年たった延宝3年の4代将軍家綱の時に免罪されようやく墓石を建立することができたといいます。

徳川忠長の墓

立派なお墓でしたが、罪を得て実の兄から切腹という命を受けて、どんな気持ちでいたことでしょう。

恵徳寺入口

曹洞宗の寺院

寺の由緒によると、井伊直正の伯母の菩提を弔うために建立しましたが、高崎に城を移すことになり、この寺も一緒に移築されたといいます。

開山は永潭禅師によるもので、井伊直政に高崎という地名にするように進言したお坊さんでもあります。

恵徳寺

当時の高崎は、和田といわれておりましたが、直政が「和田を松崎に変えたいが・・・」というと、禅師は「松は枯れることがあるが、高さには限りがないので高崎はいかが・・・」と進言して高崎という地名が誕生した事になります。

高崎神社

高崎神社は、高崎になる前の和田城主が、熊野権現を勧進して「熊野神社」として創建されました。

その後、井伊家がここ高崎に入ると、大々的な町作りがなされ、その時に現在の地に遷座されましたが、明治になって、周辺の36社を合祀して高崎神社と改称されたといいます。

ここも、七五三のお宮参りで賑わっておりました。

長松寺

曹洞宗寺院で、開山されたと当時は臨済宗だったそうですが後に改宗されました。

享保11年に全焼しましたが、寛永元年に再建されたそうです。

この寺には、徳川忠長の切腹の間が高崎城から移築されて客殿になっているそうですが、今回は寄って貰えなかった・・・

中山道

常磐町問ところですが、何となく往時の面影を残しております。

中山道標識

道々にこうした道標が出ておりますので、迷わずに進めると思います。

君が代橋親柱

君が代橋という名前は、明治11年9月に明治天皇が北陸御行幸の際に、馬車で木造の橋を渡られた事を記念して命名されたといいます。

この親柱は、昭和6年に木の橋から鉄橋に架け替えられる時のものですが、昭和53年より三層構造のインターチェンジが建設され、君が代橋も新たに架け替えられ、その際に親柱だけ記念に移築されたものです。

君が代橋全景

中山道からこの君が代橋に出るのは少し解りづらいと思います。

知らないで歩いていると、車用の道を歩いてしまいそうですので、あそこは、もう少しこまやかな案内板があると親切だと思います。

君が代橋

君が代橋の中ほどです。

強烈な西日の逆光で写真も良く撮れませんが、もうすぐゴールです。

万日堂

このお堂は、かっては中山道に面しておりましたが、昭和56年に君が代橋が改良工事のために現在地に移転されました。

万日堂のご本尊は見返り阿弥陀仏像で、檜の寄木作りになっております。

京都の永観堂の見返り阿弥陀仏が有名ですが、この高崎にも見返り阿弥陀仏があったのです。

永観律師が諸国を行道念仏をしておられた時に、つい眠くなって立ち止まってしまったところ、本尊が「永観遅いぞ!」と後ろを振り返ったそうです。

そのお姿こそが、見返り阿弥陀仏としてここに祀られているそうです。

 

おもしろい 夢見る顔や 涅槃物   鳥酔

という句碑があります。

烏川の川原

ここ君が代橋が今回のゴールです。

夕日にススキが光るように輝いておりました。

中山道はまだまだ続きます。

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疲れ気味の体に一服を・・・

2020-11-15 16:39:23 | 今日の一服

11月15日(日)

朝の冷え込みからは想像できないほどの暖かさでした。

文字どおり行楽日和となりましたが、コロナの感染拡大を考えると少し不安になります。

今日は、二週続けての街道歩きでちょっと疲れ気味な一日で、何をするにも遅々として進まずといったところでした。

お菓子

昨日の自宅稽古に使ったお菓子です。

私の分が取ってありましたので、三時にゆっくりと頂きました。

織部饅頭で、ここのお菓子屋さんのおまんじゅうはとても美味しいと評判ですが、その評判通りの美味しさでした。

一服

菊の茶碗もそろそろしまいますので、最後の一服を自分で頂きしまおうと思います。

菊の絵、紅葉の絵、吹寄せの絵などこの時期はたくさんの茶碗が並びますが、みなさんお濃茶に進むと、出して置いても中々使って貰えません。

私は、色絵の見た目のきれいな茶碗が好きですが、お稽古の進捗状況ですので仕方がありません。

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楓葉霜経紅を掛けて、秋を・・・

2020-11-14 17:43:29 | 自宅稽古

11月14日(土)

暖かな一日で、少し動くと汗ばむようでした。

今日は自宅の稽古でしたが、私は中山道街道散歩に行って来ました。

先週と同じで手分けとなりました。

床の間

自宅稽古の床の間です。

楓葉霜経紅を掛け、床の間も秋本番になりました。

花は、マンサクの照葉と西王母椿です。

今年は、椿の蕾が少ないと思っていたら、見るたびに開いておりますから、見えないようで蕾を持っているようです。

それでも椿は、花もさることながら葉がとにかく大事、葉の形でピッタと決まるか否かが決まります。

本陣跡

今回の中山道の街道散歩は、ここから出発でした。

ここは倉賀野宿の真ん中ですので、ここから高崎宿を目指しますが、それほどの距離はありませんの悠々とかも知れません。

君が代橋

ここが本日の中山道街道散歩はゴールになります。

歩いた距離16.7k

歩いた歩数25.600歩

悠々どころか結構歩きました。

また、備忘録としてまとめたいと思っております。

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お抹茶を上手に点てられるように・・・

2020-11-13 18:36:14 | 非常勤講師奮闘記

11月13日(木)

朝の冷え込みと日中の暖かさとの差が大きかった一日でした。

今日は高等学校へ行って来ました。

こちらの学校は、まだ学園祭の開催か否かが決まっておりませんので、一応、開催を前提に稽古をして来ました

お菓子

お菓子は金団で、生徒たちの顔を見ていれば美味しさが想像ができます。

誰もが嬉しそうな顔をしております。

一服

三限と四限の間に休み時間に、自分で点てて頂きました。

何時もの年ですと、生徒たちが点ててくれますが、今年は自分で点てて頂きます。

例年今頃になりますと、誰もが美味しそうにお茶を点てております。

今日も、お点前をして自分で点てたお茶を見て納得して自慢そうな顔をしていた子が何人もおりました。

どんな形でも良いですから、学園祭を開催させてやりたいと思っておりますが、今のままでは・・・

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三時に頂いた「鶴屋義信」の・・・

2020-11-12 16:38:33 | 稽古の準備

11月12日(木)

朝の冷え込みは真冬のようでした。

今日は、明日からの自宅での稽古のために朝から大掃除、隅から隅まで丁寧な掃除です。。

時々学生達が我が家で稽古をすることがありますが、掃除の早い事・・・雑巾は丸くかけない、Zの拭き方もダメ、Iで拭きましょう。

こんな事をよく言います。

点前座

織部の水指がちょっと小さいので、バランスを確かめましたが、やはり、運びには小さいようです。

この水指は色んな思い出が込められておりますので、時々は使ってやらないと可哀想な気がしております。

お菓子

掃除が終わり、三時に頂きました。

鶴屋義信のもみじです。

何時ものお菓子屋さんも美味しいですが、これはまた何という美味しさでしょう。

幸せ感いっぱいです。

一服

このお菓子を食べた後はもちろん一服です。

濃茶をお薄に点てて頂きました。

こちらもとろけるほどの美味しさです。

朝からずっと動いておりましたので、至福の一服となりました。

働いた後のお茶は各別です。

 

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「坂の上の雲」を思い出しながら・・・

2020-11-11 16:59:59 | 私の散歩道

11月11日(水)

各地で初雪、初氷といった便りを聞くにつけ冬を実感してしまいます。

今日大学は都合でお休みですので、一日自分の時間ができましたので、久しぶりの散歩に出かけました。

坂の上の雲

この坂は、私のブログに何度掲載されたことでしょう。

この坂が好きで、ここを歩く時はいつでもカメラを携えて車の来ないチャンスを伺いながら歩いております。

そして、ここを歩く度に司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」を思いだします。

あの小説は、何度読んだことか、読むたびに涙ぐんでしまいます。

ご存命の頃は、「この物語は映像にはできない」と言い、絶対に許さなかったというこの小説ですが、NHKでドラマ化されました。

DVDに保存はしてありますが、まだ一度も見たことがありません。

三時に

散歩から帰り頂きました。

苺大福などが評判のお店が売り出した「みかんの大福」です。

甘いミカンが白あんと求肥に包まれ、それはそれは美味しいお菓子になっておりますので、甘くて美味しいミカンを食べているような感じさえいたします。

ミカンの大きさを揃えるだけでも大変だろうと、思うほど同じ大きさのミカンがくるまっております。

一服

直ぐにお抹茶を頂きましたが、合うかな・・・と思っておりましたが、全く遜色なくお茶のお菓子として十分でした。

ただ、お茶会や稽古には無理があるようで、楊枝では切って食べることができませんので、あらかじめ切ってから出さなくてはなりません。

久しぶりののんびり散歩でした。

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