「定年だ!世界一周」 第一話 (合気龍新聞に連載したリポートに加筆)
プロローグ
「世界一周しちゃえば?」の巻
いったいいつから世界一周したくなったのだろう。あれは博多に出張した帰り、飛行機の出発まで少し時間が空いたので博多駅の近くの本屋にぶらりと立ち寄りました。通路に平積みされた推薦本に目をやると「世界一周しちゃえば?」のポップ。
なんという軽い響き、誰だ、こんなバカげた本を書いた奴は。手に取ってみると、高橋渉さんの書かれた「WORLD JOURNEY」、世界を放浪しようという指南書でした。パラパラとめくると、中には世界一周している人の体験記などが載っていました。早速購入して自宅に帰ってネットで調べてみると「世界一周」している人が沢山出てきました。正直、こんなにも沢山の日本人が世界一周をしているとは衝撃でした。それから世界一周堂が主催する「世界一周セミナー」にも参加して経験者の話を聞くにつれ気持ちが盛り上がってきました。しかし52歳のサラリーマンが仕事辞めて家族を捨てて行くわけにもいきません。他人の世界一周ブログを見ながら自分なりの世界一周のルートなどを空想して定年の日を待っていました。
初めての海外旅行は学生時代のヨーロッパが最初でした。それは誰もが通る大人への反発からでした。自宅から通った中学、高校時代は世間や親の考える常識に背き、学校にいる息苦しさにも反発してどこかに飛び出したい衝動に駆られていたのがはじまりでした。昭和48年春、九州の親元を離れ東京の大学に出てきたときの解放感は今でも覚えています。その解放感は70年安保のあとの閉塞感漂う日本を離れ、自由溢れる海外へ行きたいという願望につながりました。昭和49年大学二年の夏休みにイギリスでホームステーをして語学学校に通い、その後ヨーロッパを自分で回る40日間のツアーで初めて海外を経験しました。ユーレルパスで回るヨーロッパは歴史溢れる街並みや沢山の美術館に圧倒されて帰ってきました。
昭和51年大学4年になる前の春、今度は世界の最先端アメリカを回りたい思いサンフランシスコで3週間のホームステーの後、グレイハンドバスのチケットを駆使して2か月間アメリカ、メキシコ、カナダを一人で回りました。当時のアメリカの若者が使っていた「One Day One Dollar」というペーパーブックスを読んで貧乏バックパッカーの真似事をしながら旅をしました。
大学卒業と同時に就職それから36年、今では流行らないが「企業戦士」そのままを進み60歳の3月に定年を迎えました。
待ってました、とばかりに45歳から始めたマラソンの集大成に、世界で一番過酷なサハラ砂漠マラソン、7日間で250キロに挑戦して見事完走(完歩かも)。さて次は世界一周の予定でしたが、サハラの練習をしすぎて疲労骨折をしたり、地元の消防団の役が回ってきたりして2年間待ちました。62歳になってこれ以上待っていたのでは、気力体力がなくなると思い2015年春に出発する事にしました。
第二話
「カトマンズ2日前の脱出?」の巻
4月1日に成田を発ちクアラルンプールを経由してネパールのカトマンズに降りたちました。
(明日へ続く)