さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

遠い日の涙にかすむ思いが悲しくて

2014-02-23 | 日記
それは平成19年(2007年)の夏のことでした


2007年6月29日のマルの散歩の写真です

 元気そうに用水堀で遊んでいる写真ですけども、いまあらためてこの写真を見てみるとどこか弱い陰りがあるように思うんです、でもこのときはまったく気づきませんでした。

そして1ヶ月後の7月24日のマルの散歩の写真です


 この日のことは、私はしっかりと覚えています。
 緑濃い暑い夏の朝10時頃の散歩でした、誰もいない堤の道に入ろうとしてマルのリードをはずすとマルはお座りをして爺を見るけど爺についてこようとしないのです。愚かなじじいは「マルは別な散歩道に行きたいと思っているのか、ボスはじじいだ、じじいについてこい」そう思ってかまはず夏草の道をかまわず歩んでいきました。そして10mほど進んだときマルは意を決したように走って追ってきました。「よしマル」私はそう思って散歩を続けました。

 でも、いまこの写真を見ると明らかにマルは病んでいます。元気がありません。「まるはからだが弱って散歩がつらい」といっていたんです。

 いま思うと7月に入ってからそういうことが度々あったんです。それをじじいは「マルのわがまま」がでてきたとばかり思ってしまったのです。本当はどんなにか辛かったろうにと今思うとバカな自分に胸が痛みます。

 
そして7月31日の散歩写真です


 ばかなじじいもはっきりとマルの病んでいることに気づきました。そしてすぐにフィラリア検査でなじみのペットクリニックを訪れました。そして病名は告げられませんでしたけど注射をしてもらい毎日治療に通うように言われました。

 8月2日、車で通うマルの写真です


 ペットのクリニックで一生懸命治療して下さるのですけれどマルは少しずつ少しずつ弱っていくのです。すごく悲しく不安でした。

 でもマルはクリニックから帰て来ると必ず短い距離でしたけど散歩にいこうとしました。なんだか可愛いそうで心が痛みました。

8月3日の写真ですです


8月4日の写真です


8月5日の写真です


 8月6日の朝クリニックにマルを連れていって、少しずつ弱っていくマルのようすが悲しくて、じじいとばばちゃんは涙を流しながらクリニックの先生に「マルをどうか助けてください」となりふりかまわず御願いしました。

 先生は一生懸命治療します。「今日からクリニックに入院させて下さい。朝連れてきて夕方に迎えにきて下さい」とおっしゃって大きなゲージの中にマルは入れられました。

 涙を浮かべてじじいばばは家に帰りました。おぼれるもの藁おもつかむ思いでした。助かって欲しいと必死に思いました。

 夕方迎えにいくとマルはじじとばばを見つめすりよってさみしさを訴えました。そして走るようにクリニックを出て車に飛び乗って安心するのです。

 8月7日も同じでした。

 8月8日、朝入院させて夕方迎えに行くとわりと元気にゲージから出てきてクリニックの近くを少し散歩して車に飛び乗りました。家に帰るとすぐにじじいの布団の脇の自分に布団に寝て安らかに眠りました。じじいは「マル元気になって」と心に祈りながら1時間ほどだまってマルの脇に座りつづけました。

 7時ころばばちゃんが「食事だよ」と呼ぶのでマルが目を覚まさないようにそっと立って茶の間にいきました。心配で悲しい二人の食事でした。

 そして30分ほどしてマルのところに帰って見ると、なんとマルは安らかに眠るよう死んでいたのです。誰にも看取られず独りで静かに死んでいたのです。

 私は大声でばばちゃんを呼びました。そして二人で声を上げて泣きました。なんどもなんどもマルの名を呼びました。でもマルは応えてくれませんでした。

 じじとばばちゃんはマルを茶の間に移して一晩二人で通夜をしてあげました。2枚の座布団にまんじりともせず座っていたのです。明け方ようやく二人は眠りました。


 私は、東山奥の中湯川の正雲寺で亡くなったペットの供養をしてくれることを誰かに聞いていました。それは奥の奥の深い緑の森にかこまれた場所にありました。


 マルはきれいなダンボールで出来たお棺に移されて短い読経の供養を受けて火葬の部屋に入ることになりました。私はマルの名を呼んで抱きしました。ばばちゃんのすすり泣く声がうしろに聞こえました。

 そして3時間、マルは正雲寺の山の緑のなかに煙になって昇っていきました。かすかな紫の淡い煙が悲しかったです。

 骨になって帰ったマルはばばちゃんの観音さまの前で1ヶ月じじいとばばちゃんと過ごしました。


 いまエリーとマルの2頭の墓は狭いじじいの庭にあります。春になるときれいな花が植えられ秋まで美しく飾られます。


 そして6年が過ぎた今は安らかにそして懐かしくその花を眺めることが出来るようになりました。

 
オンアボキャベイロシャノマカモダラマニハンドバジンバラハラバリタヤウン


 これはエリーとマルの供養のために古里の和尚様に教えて頂いた光明真言です。時にさみしくなると二頭の写真の前で、そしてお墓を眺めるときもこの真言を心の中で唱えて心を慰め二頭のために供養するのです。 いまこの思い出の記を書き終わって私はPCの前で悲しみがよみがえって呆然としているんです。オンアボキャベイロシャノマカモダラマニハンドバジンバラハラバリタヤウンと心で唱えているんです。