早春の流れに老いがただずんで
あの人と二人の幼い日々が遠くなりました
降り続く雨が止まないんですよ
新緑の渓谷を渡る列車が遠く見え
まだ80歳代の若かった頃会津只見線の滝谷(たきや)駅におりて中野林道を上った林の中の狭い撮影場所に三脚をたてて30分ほど待って連写にセットして撮った写真です。ガタゴトと列車の音が聞こえてきた時は嬉しかったんですよ。
でももう行けませんね93歳の私の弱った脚では中野林道を重い機材をしょって登るのはちょっともう無理でしょうし、またコロナ流行のおり小さな集落の中野の人たちはカメラなど持って訪れたひとなど見れば迷惑そうに猜疑の目で見るでしょうから・・・
5月の新緑の頃訪れてゆっくりと楽しみたい気持ちがないわけではありませけど行かないのが滝谷駅のある中野集落の方々への礼儀でもあると思って写真で懐かしむことに致します。
暖冬でしたけど冷たい雨の日が続く4月です。コロナのこともあって所在なくパソコン室で古い写真を繰っていたらこんな写真が出てきました。
30年ほど昔現役を離れたばかりの私の撮った写真です。その頃友人たちは皆さん高級のニコンとかキャノンとかのカメラを使っているのがうらやましかったでんすけど、お金のない私はオリンパスのOM-1 というカメラを使っていました。ニコンなぞに比べると価格的には数段安いんですけど性能的にはほとんど差のなないいいカメラでした。
「カブ」というホンダの自転車よりすこし大きめの軽いバイクに乗って石仏など撮って楽しんでいました。もちろんデジタルではありませんフイルムで撮っていました。
モノクロは自分でフイルムを現像し引き延ばし機で写真にしていました。器財薬品など結構たいへんでしたけど楽しみもありました。暗室などありませんから夜器財を整え薬品を調合して作業をするのです。友人の撮影してフイルムを現像し写真にしてあげるアルバイトなどもしてちゃっかり儲けてもいたんですよ。
でもカラーはカメラ屋さんに頼んで写真にしていました。お金がかかるんで2Lの写真などは大事にアルバム保存していました。
カメラの撮影も大変でした、カメラについた距離計でピントを合わせ露出は露出計で光量を測定してカメラにセットして撮影しました。ズームレンズなどはピントが甘いといって使いません、ですからレンズはワイドレンズ・標準レンズ、望遠レンズと3本のレンズを必ずもって歩かなければなりませんでした。
自分の撮影技術に誇りをもっていたバカな私らはズームレンズがついてピントも露出も自動で出来る便利なコンパクトカメラが出来たときそれを「バカチョンカメラ」といってバカにしていまし。笑い話みたいなもんです。今はどんなカメラもみんなバカチョンカメラになっていて便利ですけどもね
さてこの写真ですけどたぶん初秋の夕暮れなんでしょうね。すだく虫の声が賑やかだったろうと思いますし、場所によってはスズムシの綺麗な声も聞かれたと思います。
30年、時代は激変しましたね、今の子供達にでんでん虫むしカタツムリなんていたってなんのことか分からないでしょうね。「でんでんむしむしかたつむりおまえのあたまあはどこにあるつのだせやりだせあたまだせ」なんて歌がありました。葉っぱの上などで這っていた陸上の巻き貝ですよね、可愛かったんですよね。初夏の夜にはゲンジ蛍やへいけ蛍が綺麗な光を出して飛んでいましたね。
かつては電話はお金持ちの家かお店か事業所にしかありませんでした。それがあっと言うまに全ての家に固定電話ができて嬉しいと思っていたら、すぐに小さな携帯電話ができ「ご主人がすぐに奥様の携帯に追われて秘密の行動が出来なくなるんじゃないか困ったもんだ」などというバカな話を聞いていたら、その携帯電話にカメラがついたとおどろいていたら、あっと言う間にスマホです。昔は子供がゲーム機に夢中になって勉強や遊びをしなくなった困ったもんだと皆が言っていました。それが今では車を運転などしながらスマホしてはいけませんなどと大人が言われる時代になりました。
30年前は80歳が古老といわれでいましたけど、今は93歳のボケ爺いがこんなアホな投稿をブログにして楽しんでいます。
コウモリについていたコロナウイルスが一個突然変異して一人人間の細胞に入りそれがあっという間に増殖感染して地球上の人間の隅々まで広がってあばれていたりするのも当然のことかも知れませんね。時代は激しく変わっていくんですから。
コロナウイルスが沈静したら地球上の人間社会が激変するのかもしれませんね。どうなりますことやら寝不足のアホなボケ爺いのぼやきです。
球根が掘り残されていて毎年咲いて綺麗なチューリップです
紅薄くさし初めたレジの女のこ
スーパーの買い物帰りの爺いのメモに書いてありました
県外からの知人が家に来た、それだけのことで2週間謹慎しなければならないような「コロナウイルス怖い」暗い今の時期に不謹慎な投稿です。でもちょっと微笑んでみたいと思う時もあるんです。困った爺いです。
会津野の道は遠く遠く静かで平和です
この道はいつか来た道
ああそうだよ~
懐かしい白秋の詩ですよね、
アカシヤの花も、白い時計台もここにはありませんけどあの詩のメロデーが心に聞こえてくるんですよ・・・
そして散歩しながらふと我にかえってこれからのひととせ(一年)の時の流れのことを思ったりもするんですよ。
都庁の方々も医療関係の方々も必死の対応をなさっていらっしゃるにもかかわらずコロナウイルスの感染拡大の収束の見込みが立たない状況が報道されています。
今は静かで平和な私たちの町もその影響から逃れることは出来ないと思っているんです。まもなくコロナウイルスの感染が広がってきて私たちの町にも猛威をふるうようになり町の病院や医院の対応が及ばなくなって医療関係が崩壊し、スーパーやC00Pなど流通関係も崩壊し、町全体が狂気の世界になる可能性が全くないとは言い切れないと思っているんです。東京都や大阪府などとは比較にならない小さな非力の町ですから。
でも、なんの力のない老いの身ではあってもたやすく負けてはおれんぞとしっかり脚をふみしめて遠い道をあゆむんですよ。コロナウイルスなどない静かな時の流れの中で静かに永眠したいと思うからなんです。
そのために、ものに動じない肝っ玉のばばちゃんや息子たちとしっかり支え合って生きて行こうと思っているんですよ。緊急事態宣言を全国になさっている方の声のためではありません。自分の家族を守るためにです。
コロナウイルスの感染拡大の大きな要因のひとつに夜の三密と言われている場所などへの参加があると聞いています。、そんな場所に近づかないようにただ呼びかけるだけでなく、近づかないようにするなんらかの対策をしっかりとお願いしたいと思うのです。それはひとりあたり10万円の補助などよりも大事だと思うからなんです。
そしてとても難しいこととは思いますけどもコロナに陽性であっても発病せず元気に活動しウイルスをまいている人の把握をしっかりとお願いしたいんです。
なにも分からない素人の浅はかな考えで真剣に対策を考えで日々努力なさっていらっしゃる医療関係者の方にはほんとに申し分けない失礼な暴言とは思っているんですけどもです。お許しくださるようお願いいたします。コロナウイルスの感染拡大の収束を心から願っている私です。