さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

梅雨入り前の空 (Ⅱ)

2021-06-18 | 日記

日に日に緑濃くなる村の田んぼです

 

めおと雑感あれこれ

今日は薄す曇りの割と涼しい一日でした。明日の土曜日は雨の予報です。そろそろ梅雨になるんでしょうか。 5月の電気料金はすごく安くて驚きました。暖かくなって婆ちゃんの部屋のエアコンの使用量が少なくなったからなんでしょうね

私はケチですから暖房はエアコンよりff式のストーブのほうが安上がりと思って自分の部屋で使っているんです。

ばばちゃんは割と豊かな農家の生まれですけど、私は貧しい小百姓の生まれです。ばばちゃんは靴下のゴムが少し緩めば寿命であるとさっさと捨てます。爺いとしては靴下の片方が穴が明いても穴のあかないほうの靴下は残します、なあにサイズがちがってもふたつそろえば一足になるからです。

洗濯は爺の担当です、洗濯が終わって洗濯物をハンガーにかけようとしたら二つあった一つがありません、あれっと思って押し入れを明けると投げ込んでありました。ちょっと壊れていました、私はすぐに自分で修理して使いました。ばばちゃんは壊れたら買ってこいです。

 

 性格の違いは歴然です。でもたいした喧嘩もしないで70年近く夫婦してます。性格の違いが平和の維持にだいじなのかも知れないと思ってます。

 


ひっそりと立つ一本の孤高の桜

2021-06-16 | 日記

夏の空に輝いて緑が美しい

私の祈りのポンプ小屋跡の桜です。圃場の基盤整備で広い圃場の用水路が完備してポンプ小屋が必要なくなり取り払われた時小屋脇にあった一本の桜が切り倒されました。その切り株に生えたひこばえがこんなに大きな木になりました。私が40歳代つまり50年ほどの昔にことなんです。花のときも緑のときも紅葉のときも寒風に絶える真冬のときも私の祈りが続いているんです。私に信仰の桜です。

 

私の好きな金上集落の道に入るときこんなミラーがあって旗がヒラヒラして居るんです。私はいつもミラーに小さく写る自分の姿に微笑むんです。見にくい私の顔ですけども微笑むとまあどうにか見られるミラーの中の私ですから・・・

 

 

新緑のときも、紅葉のときも。さすが真冬のときはあまり行けませんけど。いつも温かく受け入れてくれる金上集落の道路です

 

 天気予報によると今夜は激しい雨の予報です。私は間もなく梅雨が明けるとばかり思っていたんですけど、予報士さんのお話では会津はまだ梅雨入りしてないんだそうで驚きました。可笑しな年なんですよね。でもばばちゃんも私もコロナワクチンの接種が終わって晴々しているんですよ。


初夏に輝く陽を受けて

2021-06-14 | 日記

広々とした圃場の緑が遠くまで見えてます

植えられた苗が活着したんですよね。豊かな西金上の集落が静かに見えています。今年も豊作間違いありませんよね。

 

日本書紀には、豊葦原千五百秋瑞穂国( とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)という記載があるんだそうですよね。

学のない私は古事記に書いてあるんだとばかり思っていました。ともあれ私はゆたかな緑の圃場や黄金色に揺れる稲穂をみると、自然にこの祈りに似た言葉が浮かんできて日本の国の起こりは豊かな稲作だったんだなと思い心豊かな気持ちになるんですよね。

小さな自作の小百姓に生まれた私の思いなんですよね。若者や子供が激減して稲作の中心が熟年のご夫婦になった静かな農村をみると、農村から豊かな祈りの姿が消えた。農村を大事にしなければという言葉はきこえてきますけど、実質農村を大事にしようとする施策は私には見えないのです。 なるようになるんだとほっとかれるような感じがするんです。

昨年までは大型の新しい農耕機械で手広く農業経営をなさっていた私が尊敬していたご夫婦の姿が今年の春の農作業でお会いすることがなかった。どうなさたんだろうと心配で私は侘しいんです。
                                                    

どうにもならない90歳台半ばのよろめく爺いの愚痴ですけどね。豊かな緑の農道を散策しても広い圃場には人の姿は見えません。静かです。モンシロチョウがときおり飛んでいるのが見えるだけです。静かです、侘しいんです。