続・切腹ごっこ

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武士道における「切腹」

2012-02-09 | ★レビュー(映像)

 ETV(NHK教育)で放送中の「100分de名著」。一度は読んでみたいとは思っているけど、なかなか手が出ない名著の内容を、25分×4回シリーズ=100分で分かりやすく紹介しようという番組。これを見れば読んだような顔をして蘊蓄を語れるヨ!みたいな。

 これまでマキャベリの「君主論」や、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」などを紹介してきたが、今回は新渡戸稲造の『武士道』。その現代語訳を書いた山本博文氏が解説する。以前、山本氏の「切腹・日本人の責任の取り方」という著書を読んだことがあり、感想も記事にした⇒


 昨夜、「武士道」の第2回「名誉・日本人の責任の取り方」が放送された。「武士道」の中で、新渡戸は「切腹」をどう説明しているのか。

 16世紀・大航海時代に日本にたどり着いた西洋人(キリスト教徒)たちに「切腹」は、野蛮な行為として受け止められたはずである。しかし新渡戸は、切腹は決して野蛮な行為ではなく法令上も礼節上も認められた行為で、武士たちはこれを行うことにより自らの罪を晴らし名誉を回復し、また友を救うこともできた、と説明する。
 「切腹」の例として若い三兄弟が切腹する話を紹介している。
 兄弟は父の仇(この仇というのが、確か徳川家康だったはず)を討とうとしたが果たせず、捕らわれてしまう。しかしその勇気に免じて切腹を許される。長兄の左近(確か20代前半)が末弟の八麿(8歳)に「見届けてやるから、先に腹を切れ」というと、八麿は「自分は切腹の仕方を知らないから、兄上たちのを見て同じようにします」という。そしてまず左近が、次に次兄の内記(10代後半)が手本を見せ、兄たちの介錯を見届けた八麿は立派に切腹して果てた…。

 武士は幼い頃から、死を恐れず主君の目の前で討ち死にすることこそ名誉だと教えられる。しかし、その名誉を得るために些細なことで切腹することが武士の中に広まることもあり、新渡戸はそれを批判した。「生が死よりも怖ろしい場合は、あえて生きることが真の勇気である」と。
 
 面白かったのは、「武士は刀を抜いた以上、相手を必ず斬らなければいけない。それに失敗した場合は、腕が未熟であることを恥じて切腹する。また見事成功し相手を斬った場合も、喧嘩両成敗なので自分も切腹しなければいけない。」という話。つまり刀を抜くとどちらにしても切腹することになる。成功と失敗では大きな差はあるのだが、死ぬことには違いない。
 武士は常に名誉ある死を探している。

 また新渡戸は「忠臣蔵」を例に挙げ、武士は不正義(自分たちの基準による、ではあるが)を放ってはおけないと説明する。そして不正義を晴らすためには命をも厭わない、と。

 山本氏は、武士道は個よりも集団を重んじる自己犠牲の精神だと説く。それは現代にも通じ、戦後の高度経済成長はそれによって成し得たのではないか、と。
 MCは、武士道は現代日本人の考え方にも深く根付いていますよね~、としめくくる。


 新渡戸が「武士道」を書いたのは、「(キリスト教社会のような)宗教教育が行われない日本に於いて善悪や倫理・道徳をどう教育するのか?」という質問に答えを出さんがためだと言われている。新渡戸は士族の出であり、そのために武士道を基準にして答えを出したのだと思う。もし新渡戸が商家や農民、神職・僧侶の家の出なら、また違ったものを書いていたに違いない。なので「武士道」=日本人の考え方の基本、みたいな番組のまとめ方には違和感があった。
 幼い頃から名誉ある死に方をせよと教えられる、とか、些細なことでも切腹する、とか、そそられるシチュエーションが逸話が色々出てきたので、そういう意味では楽しめた。

新渡戸稲造『武士道』 2012年2月 (100分 de 名著)
山本 博文
NHK出版
現代語訳 武士道 (ちくま新書)
山本 博文
筑摩書房


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