shetland'A blog

スキーでの靱帯断裂の闘病記から始まって介護問題。今は趣味や日常での楽しみを記録。

死に場所

2015年05月06日 | 介護
2015/05/06(水)
穏やかでないタイトルだが、別に私がどうこうというわけではない。
私は、数十年先に両親に楽しい土産話を持っていくという目的をもっているので、別に物騒な話ではない。

父が亡くなった時は交通事故で即死であった。
一般にいう、畳の上では死ねなかった。ということである。
今回の母の場合は施設で看取った。

とてもいい看取であったと思う。
病院であれば、慰安室に行き、葬儀社の搬送で自宅へ帰る。

今回の場合、呼吸が浅くなってからは兄が手を握り、私がベッドに上がって自分の体温で母の足を温め、そうやって最後を迎えた。

私はもともと泊まる予定だったので既にソファーベッドが母のベッドの横にあった。
続き兄も泊まると言ってもう一つソファーベッドを用意してもらった。
二人でソファーベッドの位置を母を挟んで川の字になるように動かした。

私たちは何十年ぶりに川の字になって寝た。
冷たくなっていく母の手を握って寝た。
母は進行性核上性麻痺であり、体の向きも右向きが楽だったようで、兄の方を見て眠っていた。

病院でもないために、全然あわただしくなく、静かな最後であった。
眠るように旅立った母。パジャマ姿だけにただ並んで寝ている感じがした。
私は母のパジャマを借りて寝た。

いい看取であったと思う。
これが病院であったらどうであったろうか。
呼吸が止まりましたとナースコールすれば、医者がすぐ駆け込んできて手当を施し、死亡が確認されれば霊安室。そして自宅へ搬送と、きっと慌ただしかっただろう。

ああいう静かで穏やかな時間はなかったかもしれない。

血縁だけで終末をすごし、施設の用意してくれた朝ご飯を3人で食べ自宅には帰らないままだったが、葬儀場へ安置した。

場所はただ、場所というだけで、大事なのはそこでどこまで安らぎが得られるかということ。
今から、老健施設も特別養護老人ホームも看取が多くなることだろう。

病院で亡くなる方が70%という。
自宅での看取というのはどのくらいあるのだろうか。
今回の看取は自宅と言っても過言でないくらいの穏やかな時間と安心感があった。

これから次々と見送らなければならない。
残されたものが悔いの少ない看取ができたら心が楽になれるだろう。
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