長崎ぺんぎん日和

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JR大村線・千綿駅の夕景

2022-05-07 21:00:00 | 長崎ぶらぶら
久しぶりに千綿駅に行って、夕焼けを見てきました。














雲もなく、澄みきった空でした。


千綿食堂が閉店してしまったのは残念ですが、この景色は続いていきます。


ちなみに、お気に入りの写真はこちらにもアップしています→しげぺんphoto (@shigepen52) • Instagram photos and videos

宮地嶽八幡神社▪有田焼の陶器で作られた希少な鳥居

2022-04-22 21:00:00 | 長崎ぶらぶら
宮地嶽八幡(みやじだけはちまん)神社は、国道34号、新大工町電停近くのローソンの横の通りに入り、阿弥陀橋を渡ってしばらく行くとあります。


正保3年(1646年)京都の石清水(男山)八幡宮より分霊を勧請。この地に大覚院を創立し奉祀したことに始まります。明治11年(1878年)に福岡県宗像郡の宮地嶽神社からも分霊を勧請し今の形となりました。
八幡様があることから、この辺りは「八幡町」になったそうです。長崎くんちで奉納される「弓矢八幡祝い船」は八幡様のおつかいである白鳩が有名。







そしてここには希少な有田焼の陶磁器で作られた鳥居があります。明治21年(1888年)に奉納され、平成9年に県内初の国登録有形文化財に登録されました。


本殿には七福神である大黒天、恵比須、弁財天が祀られ、参拝客が振れるように打出の小槌も備えてありました。

私も振ってみました。金運上がるかな?



宮地嶽八幡神社
長崎市八幡町8-6

桃渓橋(ももたにばし)と中島川の野鳥たち

2022-04-08 21:00:00 | 長崎ぶらぶら

長崎市内、中島川が支流の西山川に分かれてすぐの場所で伊勢町と出来大工町の間に架かる石橋は「桃渓橋(ももたにばし)」と呼ばれます。



どんどん少なくなってはいますが、緑が生い茂り、野鳥が集まる素敵な散歩コースだと思います。このブログでも何度か紹介しているように、私も大好きな場所です。



~引用~
寛永11年(1634)最初の石橋眼鏡橋が架けられて以後、17世紀までに中島川と直交する道路筋のほとんどに石橋が架けられました。
 桃渓橋は、延宝7年(1679)僧卜意(ぼくい)の募財により架橋された石造アーチ橋です。側にある地蔵堂を卜意地蔵といい、この橋は卜意橋とも呼ばれています。
昭和57年(1982)の長崎大水害により大破しましたが、その後原形に復旧されました。
~~


眼鏡橋と並んで日本最古の石橋の一つであるわけですね。

ただ、小さいながらも車が通行可能。

野鳥も来ますが、季節になればなんとホタルも見られます。



昔は桃の木がたくさん植えられていたことから、この名前が付けられたとのこと。現在もわずかながら桃の木が植えられています。これもそうなのかな?植物には詳しくないので



この場でこの冬から春にかけて撮影した野鳥をご紹介。
メジロ。



ツグミ。



イソシギ。



シロハラ。



キジバト。



ジョウビタキ(メス)。



セグロセキレイ。



ウグイス。


運が良ければカワセミも観ることが出来ます。




この場所が変わらずに守られていきますように。



桃渓橋

横向き地蔵堂▪お地蔵様はなぜ左を向いておられるのか?

2022-04-06 21:00:00 | 長崎ぶらぶら
矢の平2丁目、矢の平橋のそばにそのお堂はあります。



左を向くお地蔵様がいらっしゃる「横向き地蔵堂」。


なぜお地蔵様は左を向いているのか?その逸話がこちらにありました。


~引用~
むかしむかし、ひとりのどろぼうが、町でひとかせぎしたあと、ぬすんだものを大きな包みにして背おって歩いていました。
「さあ、このあたりでひと休みじゃ」
と、町はずれの森の木かげで、男は、包みをひらいて、ぬすんだ品ものを調べはじめました。
 ふと、男があたりを見まわすと、小さなほこらがあり、地ぞうさまが立っておられます。
「地ぞうさま、ゆるしてくだされ。こんこと、だれにも言わんと約そくしてくだされ」
とたのみました。
 すると、地ぞうさまは、
「いちどだけは、見のがしてやろう。おまえも人にしゃべるなよ」と、
顔をクルリと横に向けられたのです。男は頭をペコペコさげながら立ち去りました。
 それから三年後のこと。男が地ぞうさまの前に姿をあらわしますと、地ぞうさまは、顔を横に向けたままの姿で立っておられました。男はびっくりぎょうてん。地ぞうさまにお参りに来る人をつかまえて、
「この地ぞうさま、ふしぎなお方ですたい。おたのみしたことは、かならず聞いてくださるーー」
「むかしのことたい。あれ、これ…」
と、ある日のできごとをすっかり話してしまったのです。
 それを聞いたお詣りの人は、
「さては、三年ほどむかし、うちのだいじなものや道具をぬすんだヤツは、きさまだったのか…」
と、男を奉行所につき出しました。
 地ぞうさまは、すっかりお見とおしだったのです。
 それからは「横向き地ぞう」と呼ばれ、土地の人から尊信されたということです。


長崎ケーブルメディアのYouTubeがわかりやすいです↓↓↓




長崎の昔話といえば、光源寺の「飴屋の幽霊」が有名ですが、私はそれしか知らず、30代になってからこの「横向き地蔵」を知りました。
地域の方にも大事にされているのがYouTubeでもわかります。

もっと知られるといいなと思いますし、私も他にもこのような話があれば知りたいと思っています。



横向き地蔵堂
長崎四国八十八ヶ所第25番霊場)
長崎市矢の平2丁目3-1

長崎五社の一つ 中川八幡神社▪招き猫の御朱印と花手水

2022-04-04 21:00:00 | 長崎ぶらぶら

気候も良くなってきて、桜を眺めながら散歩。久しぶりに長崎の寺社仏閣や史跡めぐりをしています。

こちらは中川町の「中川八幡神社」。

路面電車通りにあり、「蛍茶屋」と「新中川町」の間くらいの位置でしょうか。



「諏訪神社」「松森天満宮」「伊勢宮」「水神神社」と並ぶ長崎五社の一つ。



参道には桜が植えられ、この季節には晴れやかな気持ちで階段を上がることが出来ます。



本殿。


~引用~
正保3年(1646)、幕府の命で長崎に滞在していた豊後府内(現·大分県)の城主が自国の柞原八幡宮を勧誘し、開かれました。創建当時は聖福寺域内(現·筑後町)にありましたが、寛延元年(1748)現在地に移転しました。この神社の参道は、旧長崎街道に面しており、旧市街の玄関口にあたっていました。明治14年(1881)に国道が新設されたことに伴い、大正11年(1922)石段と鳥居一基を新設し、参拝口を国道に接するに至りました。祭神は息長足姫尊·おきながたらしひめのまみこと(神功皇后)、誉田別尊·ほんだのわけのみこと(応神天皇)、武内宿禰命·たけうちすくねのみことで三神ともに武道の神です。毎年9月15日には秋の大祭として、子ども相撲大会や奉納おどりが催されており、境内には、長崎奉行が寄進した石燈籠や当時の寺社奉行が寄進した御手水が現有しています。
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この説明の看板がある二の鳥居の前の通りが旧長崎街道。新大工町商店街を出た辺りからここを通り蛍茶屋、日見を通り矢上へ。昔の人はこの細い道を通って他の地と長崎を出入りしていたわけですね。
そして、今の電車通りのような大きな道が出来て、参道を作り足したという話。

日本最古の八幡神社とも言われ、坂本龍馬や勝海舟も旅を安全を祈願したと言われるそうです。



おみくじはいろんな種類のものがありますが、猫のものが多いですね。



この神社は御朱印も有名。めっちゃ可愛いですね。こちらも猫が描かれています。神功皇后は安産の神でもあり、猫も安産には縁の深い動物なので御朱印に書くことにしたそうです。

毎月デザインが変わる御朱印はその場で書いていただけます。



そして、花手水(神社やお寺にある手水舎にたる手水鉢に色鮮やかな花を浮かべること)もここは有名。参拝客の御運が花開くようにとの願いを込めて供えられた美しい花手水を観ることが出来ます。

これは先日のもの。


こちら年明けすぐのもの。




長崎の歴史と、可愛い御朱印と美しい花手水に触れられる八幡神社です。




中川八幡神社
長崎市中川2丁目9-21