「(勝負は)下駄を履くまでわからない」という言い回しがある。
→ 勝負はどう決着がつくか、最後の最後までわからない。「下駄を履く」は、「物事が無事終わり、帰る支度をする。」という意味。由来は不明。
負け惜しみではなく最後まで希望を捨てないという意味で私は使いたいと思います。
「負け惜しみ」は負けてからのこと。「下駄を履く~」はもうこれまでかという最後の最後まで勝負は決定しないという意味です。
先を読むということは大事です。合理的に判断すること。しかし、それが人の予想の範囲外であればどうすればいいのか。考えても推測してもわからない領域であればどうすればいいのか。
…それは考えないことです。
自分はどうしたいのか?その目的、目標の為に全力を尽くす。尽くしておく。そして決断の時を待つ。無駄に終わるのは誰しも嫌でしょう。しかし、わからないことを考えてどうしましょう。今できることに集中するしかないのではないでしょうか。「人事を尽くして天命を待つ」というのもありますが、そんな悟った境地ではなく、勝負事のように心構えていたいです。芝居をうつことを、最後の最後まであきらめない。ただそれだけです。それが我らのスタンスです。
不安、恐れは不純物。ただ成しえることのみを目指す。その純粋さのみを糧に進むしかないのだと思います。
あらゆる可能性の想像は幾通りもできます。そういった想定はしています。しかしそこを敢えて。
(「バガボンド」より)
劇団 すかんぽ長屋 第4回公演「深川生首橋」
7月18日㈯・19日㈰ インディペンデントシアター1stにて
如何に!