閉塞感はある。昨年から我々はその壁を超え、脱出を試み続けている。立ちふさがるならば超えるのみ。
「壁は乗り越えるためにあるのさ」(ルパンⅢ)
4月の公演「カネヨの小鳥」は謎に包まれている。作家(神原くみ子)の頭の中は計り知れない。この連載小説的劇作家は稽古場を見ながら創作する(台本を書く)。結末が変わるかもしれないロールプレイングのような進行。しかしこの作家、自分の宇宙(世界)を持っている。だから基本がブレない。どんな基本かはっきりとはわからないが、最後は必ず自分の作品として落とし前をつける。だから、役者は待てるのだ。不安を抱きつつ期待する。これから矛盾した日々が始まる。
でも厄介だ、美術をどうしよう?
昨夜の梅田シネリーブルは失敗した。予告につられて観に行った映画・・・しくじった(-_-;)
物語に翻弄されるのは好きである。人物に混乱するのも好きである。ただ一つ、混乱した創作世界を見せつけられるのは我慢ならん。混沌を表現しているのならばいざ知らず。作家が混乱していると世界が立ち上がらない。俳優には微塵も罪はない。すべては監督の責任である。
作家の頭の中の混沌を見せつけられるなど、不快以外の何ものでもない。 気持ち悪い…