朝、カーテンを開けるとき、朝日を共有していた彼(文鳥のハムさん)がいないことをここしばらく感じております。 ちょっち寂しい(T T)
稽古のない日とは、稽古場に行かない日というのではなく、学ぶ意欲のない日のことである。稽古の「稽」は「かんがえる」という意味。昔の人のことを考え学ぶ。武芸・芸能などを学ぶ、練習する。
最近、在宅勤務や自宅自粛が多いせいか遊び心が少し鈍っているように思います。学びは遊びから。勤勉と学びを結びつける方も多いと思いますが、それは「心持ち」「精神性」の点で、芸能は遊び心がなければ伸びません。心が芸事から離れることがあったらこの世界の者としてはOUTです。人間ですから一日の内に何度かはあるでしょうが、全くなくなったら駄目でしょうね。その時はそろそろ引退の日。平穏な日々が欲しければ、市井の人となればよい。わざわざ危ない河原に住むことはありません。
心が遊びを求め、貪欲であるうちはまだ芸人です。「勉強」の反語は「遊び」ではありません。二つはよく似た兄弟です。気質の違いでよく誤解を受ける兄弟姉妹です。
貪欲さはなくなっていないのですが、ちょっとつまんないです。やっぱり仲間と会えないのは人として退屈を感じますね。でも、だから、今できることもあります。皆さんもそうだと思います。私もいつもより本を読むことが多くなりました。録りためた映像を毎日何時間も観ております。ちょっと寝不足です(寝ろよ!)。
天は何と云うておる?