神原ワールド稽古場日誌

神原ワールドが繰りひろげる劇の世界・公演のお知らせ・稽古場の模様を皆様にお届けします♡

稽古のない日

2020-04-23 09:53:32 | 演劇

 朝、カーテンを開けるとき、朝日を共有していた彼(文鳥のハムさん)がいないことをここしばらく感じております。 ちょっち寂しい(T T)

 稽古のない日とは、稽古場に行かない日というのではなく、学ぶ意欲のない日のことである。稽古の「稽」は「かんがえる」という意味。昔の人のことを考え学ぶ。武芸・芸能などを学ぶ、練習する。

 最近、在宅勤務や自宅自粛が多いせいか遊び心が少し鈍っているように思います。学びは遊びから。勤勉と学びを結びつける方も多いと思いますが、それは「心持ち」「精神性」の点で、芸能は遊び心がなければ伸びません。心が芸事から離れることがあったらこの世界の者としてはOUTです。人間ですから一日の内に何度かはあるでしょうが、全くなくなったら駄目でしょうね。その時はそろそろ引退の日。平穏な日々が欲しければ、市井の人となればよい。わざわざ危ない河原に住むことはありません。

 心が遊びを求め、貪欲であるうちはまだ芸人です。「勉強」の反語は「遊び」ではありません。二つはよく似た兄弟です。気質の違いでよく誤解を受ける兄弟姉妹です。

 貪欲さはなくなっていないのですが、ちょっとつまんないです。やっぱり仲間と会えないのは人として退屈を感じますね。でも、だから、今できることもあります。皆さんもそうだと思います。私もいつもより本を読むことが多くなりました。録りためた映像を毎日何時間も観ております。ちょっと寝不足です(寝ろよ!)。

 天は何と云うておる? 

               

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

未だ覚めやらぬ

2020-04-21 21:04:12 | 演劇

 ふと夜中、電灯をつけることをためらう癖が出る。

 先週の月曜日に逝ってしまった文鳥のハムさん。夜は鳥籠に布を掛けておりました。就寝後も彼は、電灯をつけたり近くを通ると気づいて鳴くことがありました。時には寂しそうに「きゅ~」と鳴いたりして気を引くこともありました。私は結構、気を使っていたのです。「きゅ~」っていう時は鳥籠ごと抱きしめて「し~。ねんね、ねんね。」と言うてあげると静かになりました。気持ちを持った生き物が確かにそこにいたのです。電灯一つでも、点ける時に一瞬どうするかを考えました。起こしはしまいかと気を使っちゃうんですよね。でも今は一切気を使わなくてよくなってしまいました。それでも反射的にためらうのです。8年間で出来た癖はすぐには忘れられんのでしょうね。それが人間。

                  

 未だ覚めやらぬ、夢の途中。いつまでやるのかという御仁がいる。いつまで生きるのかと聞かれているようで甚だ遺憾である。まだ半ば…とも思うし、もう随分とも思う。43年が長いのか短いのか、はてさてどうなのだろう?

 未だ  です(^_-)-☆

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チラシを作るの巻

2020-04-19 10:19:33 | 演劇

 昨日のこと。野外ロケの写真撮影。キャスト2名はメイク・衣装で参加。神原がカメラマン。チラシの表の画(写真)は決まっているのですが、裏面の画を撮ろうと集まりました(距離を保ちつつ)。ところが住吉大社の門は閉門中とのこと。目当ての太鼓橋での撮影は難しそう。ではと、代案を神原。近所の、しかしレアな太鼓橋(小さめですが)に行って撮影。これがドンピシャ。どんな橋かは見てのお楽しみ。雨も上がりさらりと撮影は終了しました。終われば即解散。皆、状況はよくわかっております。不要不急はNGなれど、昨日は「必要」でしたので、悪しからず。

  唐組のGW大阪公演も中止となりましたね。毎年観に行っていたのに残念です。久保井さん、来年はきっとね(^_-)-☆

 何も予定のない時を過ごすという貴重な体験を日々味わっております。どんなことにも芸事の種は潜んでいるものですが、こんな時だからこそできることもあって、よくよく考えてみますと、それほどヒマでもありません。

 身体も十分休められるのも有難い。6時間余りも眠ったのはいつぶりだろうか。この賜り物のような時間を有効に使おうではないか。求める気持ちさえあればいつだって何処だって学ぶことはできる。力を蓄え、豊かにするチャンスだ!有難い、礼を云いますぞ。

…そんな気持ちで最近は過ごしております。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下駄を履くまでわからねえ

2020-04-16 12:54:47 | 演劇

「(勝負は)下駄を履くまでわからない」という言い回しがある。

→ 勝負はどう決着がつくか、最後の最後までわからない。「下駄を履く」は、「物事が無事終わり、帰る支度をする。」という意味。由来は不明。

負け惜しみではなく最後まで希望を捨てないという意味で私は使いたいと思います。

「負け惜しみ」は負けてからのこと。「下駄を履く~」はもうこれまでかという最後の最後まで勝負は決定しないという意味です。

先を読むということは大事です。合理的に判断すること。しかし、それが人の予想の範囲外であればどうすればいいのか。考えても推測してもわからない領域であればどうすればいいのか。

…それは考えないことです。

 自分はどうしたいのか?その目的、目標の為に全力を尽くす。尽くしておく。そして決断の時を待つ。無駄に終わるのは誰しも嫌でしょう。しかし、わからないことを考えてどうしましょう。今できることに集中するしかないのではないでしょうか。「人事を尽くして天命を待つ」というのもありますが、そんな悟った境地ではなく、勝負事のように心構えていたいです。芝居をうつことを、最後の最後まであきらめない。ただそれだけです。それが我らのスタンスです。

不安、恐れは不純物。ただ成しえることのみを目指す。その純粋さのみを糧に進むしかないのだと思います。

あらゆる可能性の想像は幾通りもできます。そういった想定はしています。しかしそこを敢えて。

               (「バガボンド」より)

劇団 すかんぽ長屋 第4回公演「深川生首橋」

7月18日㈯・19日㈰ インディペンデントシアター1stにて

 如何に!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「異人たちとの夏」

2020-04-12 20:32:51 | 演劇

 先日、大林宣彦監督が亡くなられました。がんを患っていたのは知っていましたが、やはり残念です。「転校生」や「さびしんぼ」なんかも面白かったですが、私は「異人たちの夏」が一番好きでした。あるシナリオライターが経験するひと夏の怪奇譚。若くして亡くした父と母との出会い。恋人となる謎の女性との出会い。本編は、家族や愛を、切なく愛おしく描いています。全編を流れるプッチーニのオペラ「ジャンニスキッキ」の『わたしのお父さん』。印象的な映像。私は、何度観ても必ず泣いてしまう場面があります。ご冥福をお祈りいたします。

           

 

 今未明、うちの文鳥が亡くなりました。8歳でした。通常寿命は7,8年とされているので、まあ寿命かなと。

 良い声で啼く真っ白な彼がいなくなってしまった。本当に寂しいです。さらば「ハム」さん。今まで一緒におってくれてありがとう。

                                                          

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする