これも花・あれも花

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お稽古

2006-03-19 | お花・お教室
木藤は野山に自生している。枝が暴れている為、枝作りの勉強には
とても良い素材だ。生徒はちょっと困惑する。
しかし、よく素材を観察する事で、何処の枝をどの場所で切り落とすか
おのずと見えてくる。

 
優しい枝作りや、太いところを残し前面に出す事で生命の力強さを
出す場合もある。
枝を切り落とし時が一番真剣な時。 そんな時の生徒の顔はとても
真剣で魅力的だ。

 
お稽古が終わると三々五々お気に入りのレストランで、ランチを頂きながら
おしゃべりに花を咲かせるのもお稽古の楽しみの一つ。 




河津桜

2006-03-18 | 日々の出来事
満開の河津桜
やっぱり桜はうきうきしますね。

小田急線成城学園から急行で1時間、新松田駅よりバスで5~6分
260本の桜が山全体をピンク色に染めていた。

満開の桜の下でのお弁当は、どんな高級レストランの味より美味しい。
桜山のずっと下に、東名高速道路が走っている。快晴時にはスガル湾が見える。

パリの婿殿に「日本人はどうしてそんなに桜と富士山が好きなの?」と質問された。
何故かな~
 


狂言 野村万作&萬斎

2006-03-12 | カルチャー&イベント
       
 パンフレットを使わせていただきました。
          久しぶりに狂言を観て来た。
世田谷パブリックシアター、ここは現代演劇とコンテンポラリーダンスの
発信地としてもよく知られている。劇場の中は石造り風で、ヨーロッパの劇場のようだ。

そこに能舞台を作って、野村萬斎が芸術監督として、新しい狂言の表現を試みたようだ。

万作・萬斎・万之介の親子三代が同じ舞台で演じるのも楽しい。

萬斎がトークの中で語った
「芸と言うのは辛い訓練だ、親から子に子から孫に自分の芸を演じて見せ、真似をさせる。
かなり過酷な訓練で、研ぎ澄まされた身体を要求される。
芸とはそうやって真似から入り、真似が自分の体の一部になった時に、
次の課題が見えてくる。或は自分のものを作っていくことが許される。
親であり、師匠である万作を萬斎が今越えようとしている。新しい自分の
芸を生み出して。

「学ぶ」とは「まねる」の語源のように、先ずは先人の築いてきたものを真似る事から
始まるのだと、改めて思った。

これはお花の世界でも同じだ。基本の型を覚えて、それから自分の感性や
個性を磨いて、自分の世界を作り上げていく。

万作は73歳、しかし舞台での声の張りと、体の動かし方が凛としている。
流石に芸に生きている人は違うと感動。



椿の一種生け

2006-03-07 | お花・お教室
一種生けはかなり難しい。前回にも記載したが枝を1本落とす落とさないで
作品が全く違ってしまう。

右に伸びた枝、この下を向いた枝を残すか、下に向く枝の前に
真っ直ぐに伸びていた枝を残すか、彼女は大分悩んだ。

そこで、上の枝を残した場合のイメージを「強く生きているって感じになるでしょ」
下の枝の場合は強さよりエレガントさが強調されると思うけど、
あなたの今日の気分で選んでみなさい」とアドバイスした。
彼女は今日は優しさを感じる作品にしたいと。

彼女のイメージ通りの作品に仕上がり、満足そうだった。
小野崎しのぶさんの作品
 



ひな祭り

2006-03-03 | 日々の出来事
長女3歳、次女6ヶ月の ひな祭り


「私、お姉ちゃん!」と妹をしっかり抱っこ。周りはハラハラしながら見守っていたが,長女の真剣な顔と、ぎゅっと握ったかわいい手に、思わず笑ってしまった。

平和な時代に生まれた娘達 幸せに育って欲しいと思いを新たにするのが、このひな祭りでもある。


雛人形には特別な思い出が

私は3歳のひな祭り直前の2月に、埼玉県に疎開をした。その時、せめて内裏雛だけでもと、祖父母が持たせてくれた。3人官女や他の人形は、3月3日までに届けるよと。
しかし、その後の東京大空襲で、我が家は爆撃に合い焼けた。勿論残された雛人形は全て灰に。

初めての女の子の孫に、大騒ぎで雛人形を特注したと母は残された内裏雛だけを大事に飾ってくれていた。

疎開して3回目のひな祭りを迎えた。折り紙で作った人形が、
みかん箱の上に。「私の人形は、おひな様どこ?」と聞いても母は無言

大家さんの家に行くと、大広間に泥人形16段飾ってある。
泥人形の一番上に、私の内裏雛が燦然と光輝いている。
私は思わず「00ちゃんの、00ちゃんの!」と叫んで部屋に上がろうとした。

その時障子が内側から、ピシャっと閉められた。母がいつ来たのか隣に立っていた。
母の顔を見た時、5歳過ぎの子供だった私でも、「泣いてはだめ」と思った事を、障子の音とともに、今でもはっきりと思い出す。

母と手を繋いでの帰り道、「ごめんね、必ず返してもらうから、ごめんね」と
何度も何度も言っていた。母の気持は子供を育てた今、痛いほどよく分かる。

其の当時、お金があっても食料品を手に入れることは、非常に困難だった。
農家に頭を下げて物々交換で食料品を入手していた。

母は自分の着物、毛皮の襟巻き、南京虫の時計、指輪と有りとあらゆる
身辺の品を、ほんの僅かな米や芋と物々交換に失った。
とうとう交換するものが無く、大家さんから強請られるままに、雛人形と
お米とを、泣く泣く交換した、「貴女のお人形だけは残したかった」と
後で聞かされた。

雛人形を飾るたびに、娘たちの幸せと、失った人形のいくへに思いを馳せている。

紅蓮さん、出来ました
この写真を撮り込むのに色々アドバイス、ありがとうございました。     

ひな祭りの由来 チロリアンランプさんの所から頂きました
お雛様のこんな話知ってる


真剣に (椿の一種生け)

2006-03-01 | お花・お教室
枝の特徴や特性を一生懸命に見つめ、「どうしよう?太くて重そうだし、、、」 と真剣に考えるHさん。

「生かしたい枝、残したい部分をよく見て、後は思いきって切り落としなさい」
アドバイスは必要最小限に。
本人の感性やイメージを生かせるようなアドバイスは、真剣勝負。


無駄を省き疎密を出す事で、一種生けの単調さを感じさせないように。
難しい一種生けを、繊細でシャープな線を生かした作品に完成させた。
Hさんも思わず微笑が。こんな時が私にとっても嬉しいひと時。