1ヶ月ぶりに彫刻のMさんを友人2名と連れ立って訪ねる。横浜在住のトーシロー氏と秦野在住のN氏らを平塚駅北口で運転係の自分が拾うことになった。国道1号経由の135号を辿る非高速道路コースがいつも得意な路線になっている。平日のせいか海沿いの真鶴駅付近まで平塚から所要1時間もかからないくらい空いている。大磯町、二宮町、国府津等付近のカフェや食べ物屋さんについては自分もN氏もよく遊び歩いたせいか知っている。本日は目的地が絞られているので寄り道はできないが、それらのショップについて通過する際に短評をお互いに披瀝していたら、小田原の東海道箱根口の手前にあっというまに到着してしまった。
「K」という食堂兼居酒屋にて早い昼飯を済ませる。鯵、鰹の刺身盛り合わせと野菜かき揚天ぷらのセット定食を三者とも食べる。味は普通ながら、回転効率を意識しすぎたパートさんの食器片付けが早すぎる。まるで追い立てられているみたいだ。口によるお愛想と手が逆方向を向いているようでそのしぐさは悪しきタイプの小田原人を物語っているようだ。至近にあるお堀端の蕎麦店とは段違いの人品である。
南町付近のお屋敷通りには下曽我に在住していた尾崎一雄の古いしもた屋が移築された文学記念館もある。戦後の世田谷などの中流家屋にも共通する質素で上品な香りを放っているその家を、坊ちゃん出身のN氏などがみれば、きっと喜ぶ筈だが時間が足りないのでパスしてMさん宅へと急ぐ。Mさんとは前回の訪問時にお土産のアナログLPを約束していた。グラモフォンのピエール・フルニエが弾くブラームスのチェロソナタ集、チェコフィルが演奏するドボルザークのスラブ舞曲集などを6枚ほど持参する。どれも初期盤という配慮した土産である。
独居暮らしのMさんを取り巻く数匹の野良猫は健在、眼下の相模湾はよく晴れて蒼く凪いでいる。崖沿いの雑草に紛れる大粒の真っ赤な蛇イチゴ、南西の海風に混じって香る廃園風の庭の木立に絡まるジャスミン、どこに眼を転じてもラフな海辺の生活には5月らしい幸福の事物が点在しているではないか。居間の壁を彩っている絵画なども模様替えしたらしく、油絵が増えている。大型のスピーカー二種ををいつもどおりにしばらく楽しませてもらう。トロッとした囁き系のボーカルなどにここしばらくは耽溺しているトーシローさんには酷かもしれないが、大らかなMさん好みの克明に迫る音を了解してもらう。
Mさんは仕事時間にはラジオも楽しんでいるということで、ラジオ風のスピーカーのデザインを愛でていたときに、ペアの小型スピーカーが隠れるようにあった。ボーカルだったら小型がいいね。などと会話していた時だからまさしくグッドタイミングであった。あれは生きているのかと質問したらM氏の答えが返ってきた。北欧のダリの箱を利用した8インチのドイツ製励磁型スピーカーでたまに聞いているらしい。それも70年以上前のレトロ品ということだ。サランネットを外して見せてもらった。ザクセンベルグというフルレンジユニットが几帳面なモダン北欧箱に収まっている。佇まいから判断すれば戦後東独の統治下に所属してしまったテレフンケンのユニットなどと同じようなデザインである。励磁型ではないアル二コタイプの似たスピーカーを持っていてそれが一時期とてもよく鳴っていたことをふと思い出す。
トーシローさんがMさんへ所望したボーカル系のLPが俄然よく鳴り出してしまった。バーバラ・りーのプレステッジ盤「リー・イン・ラブ」等はまさしく水を得た魚みたいに軽やかで親和的なよい情緒を紡ぎだす。音への狭く深い拘りに生きているトーシロー氏の顔にようやく安堵の色が見えたようだ。N氏は半分、居眠りしながら平和な顔になって聴いている。自分は節操もなく大音量にも小型にも適応するものだから、Mさんの抑圧なき再生にどれだけ救われているかわからない。次回は部屋から眺める熱海沖の海上花火大会がある8月3日に再訪しましょうという約束をして、限りなく気分が安らかになる夕暮れの湯河原を後にした。