二十四節季の「雨水」を過ぎた頃から春めいた雨の日がくりかえしやってくる。去年植えこんだ「ピンクゆきやなぎ」も長く伸びた枝に青い花芽を整列させて春の訪れを告げているようだ。専用庭へやってくる野鳥もすこしづつ顔ぶれが変わってきた。厳寒期の常連だった「めじろ」「じょうびたき」が顔を出さなくなったら、今は孤鳥と渾名している「とらつぐみ」が毎日、やってきてしきりに土をついばんでいる。
先週の週末に大和の「古民具・骨董市」で入手した現代陶芸品の花器二点と鉢はいずれも土もので一週間を経て印象や自分の気分がどう変わるのか、今朝も眺めて確認しているところだ。モスグリーンの釉薬がかかった角型の壷がどうやらお気に入りに参列を果たしている。四面に描かれた窓絵の草文の彩色が仄かなピンクと薄い青のコントラストに味がある。売主の骨董屋さんはこれを「富本憲吉チックな味が漂っている」と評していた。益子系の重い土と思いきや、白く洗練された肌理の細かい土は美濃地方の窯で焼いたものらしい。これに連翹(レンギョウ)や梅の枝を挿したいところだが、毎日チャンスを逃してしまって時は進んでいる。
昨土曜はコーヒー、煎茶の補給買い出しを兼ねて藤沢・鎌倉へでる。ついでに鎌倉・小町にある古い耶蘇教会が処分を検討している大き目な板材を見学する。板はチークカラーのウレタン塗装したもので材質は集成材、重いもので教会内部の多目的自在テーブルとして活躍を重ねてきたものだ。
各種行事は教会に参集する婦人が活躍するのだが、この重い板の移動には手こずっているとのことだった。発端になったDさんとこの大きな板材を軽く叩きながら、スピーカーの躯体にはぴったりだ等と評しながら、この板を見物にやってくる人を待ちながらしばらく教会の美的角度を味あわせていただくことになった。