車はひっきりなしに通る横浜の幹線道路に位置しているのに由緒ある山元町商店街はどこかものさびしい。年をとっている個人商店主の手書き看板やPOP紙きれが古すぎてかえって新鮮な印象を与えるのだろうか?ものを知らない若いジャーナリストがたいして生気も感じさせない老人のおざなり献立をもてはやす類の店が至近にあったりする所で週末カフェのオープンが秒読みになってきた。ダサイ寿司屋の跡地、残置物の山、自分のものぐさへの近親者の批判目線、これらを泥くさくこなしてクリアするところも相変わらず負け組!の習い性なのだろう。Dさん、Kさん、Sさん、を酷使してようやく生命線のラジオ風サウンドも完成。
そして寿司屋の埋蔵品を換骨奪胎、無垢の献呈銘木板の裏板、まな板で使って刃物傷でザラザラな古い「泥やなぎ」を賦活させる、リサイクル精神の面目躍如といったところだ。来週はまたまた登場したゴミをさばいて、インテリア材料と食器や厨房の整頓段階に入る。
まだごちゃごちゃした店内でフィールド型ラジオから流れてくるブロッサム・デアリの鼻にかかったくぐもりの「誰かが私を見つめている」。週末カフェを始めてみたいというモチベーションの曲だなと思ってまたちょっぴり元気が湧いてくる。
あとはラストスパートですね。
私のほうが10日ばかり先行しました。
お互いに頑張りすぎずにぼちぼちと。