Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

梅雨空のピザ朝食

2013-06-14 08:34:34 | 
昨日の休日は秦野に住んでいるNさんに簡易型ベットをあげる為に出かけた。Nさんの住まいはUR公団マンションの5階だ。エレベーターがないから二人で階段を手運びする。そんなに重いものではないのに、やはり台風崩れの雨模様が続いていて作業に難航する日和だ。いつもはべランダから見える遠くの丘にたつ上智女子短期大学の校舎も雨に霞んでいる。運びこんだベットは上手く部屋におさまった。Nさんからお礼にと野菜をいただいてしまった。Nさんはこちらの不精めいた自炊生活を気にかけてくれていて、時々知人農家の自家用野菜をお裾分けで恵んでくれる。今回はでかい玉ねぎを7個くらいいただく。

そのなかにはサラダ向きの赤玉ねぎのよく実がつまって色艶の素晴らしい元気なものが混じっている。今朝はこれを晒しておいて既製品のチーズピザのトッピングに使うことにした。Nさんと同行した温泉入浴の帰りに閉店時間にギリギリセーフだったスーパー「フードワン」に売っていたニッポンハムの「4種のチーズ(ゴーダ、モッツアレラ、クリーム、パルメザン)」という包装美人!のチルドピザである。中身も美人にすべく赤玉ねぎのスライス、ハム、トマトペーストを加えた追加トッピングのアレンジをする。これをオーブントースターにて焼くこと8分、赤玉ねぎが柔らかにチーズと絡み合って包装美人は中身も少々美人へと変貌してくれた。

コーヒー、六つ切りしたピザ、キウイフルーツの丸齧りという簡易朝ごはんにありつける。あとでバジル粉や庭野菜として実をつけ始めたシシ唐でも加えれば更に美人度が増したのにと思った時は、すでにお腹に収まってしまったあとだった。しかし独居暮らしの丸6年という歳月。綱渡りみたいな食生活を続けているわりに健康が保たれている気がするのは、モノトーンにならないあっちふらふら、こっちふらふらという和も洋も混在、外食も自炊もバーサタイルにこなすという持ち前の「陽気暮らし」(天理教用語だが天理教信者ではない)に起因するものと自己肯定している。

食後の数時間は鬱陶しい梅雨空を逃れて冷涼感を呼ぶ北に因んだ昭和50年代の隠れた名著を紐解くことで暇つぶしを兼ねる。北海道新聞社発行の「北の魚歳時記」達本外喜治著「オホーツクの植物」西田達郎、辻井達一共著。両著とも一筋に歩むこと学ぶことの貴重を記す充実の本である。とうに物故者になられてしまった達本さんは江別市に住んでいた北海道産魚貝類の碩学で俳句なども熟知する文人である。この本は北の海、淡水に住む魚貝を季節に応じて47種類を取り上げている。

温暖な関東で育ったものには馴染みの少ない「チョウザメ」の話などは北海道の大陸との類縁性を物語っていてとても面白い。「チョウザメ」の卵はあの「キャビア」だが、親の魚は古代魚「シーラカンス」と同類の硬骨魚類が祖先のようである。このチョウザメは成魚が2メートルにもなるということは、ものの本で知っていたが、その昔北海道では石狩川、天塩川あたりにも産卵の為にやってきたなどということは知らなかった。成魚になるまでがおよそ15年というのも大きな話である。著者がかってソ連のナホトカから贈られた「チョウザメ」の後日譚としてその遊泳模様を昭和53年に小樽の水族館にて眺める記述が素晴らしい。

「装備の白光で、チョウザメの腹面を流れる菊花文様が、古代の貴族たちの衣服のようにあでやかに見えた。水槽の中で遊泳する彼等の姿は、どの瞬間をとらえても、名匠が織りなした古代裂の模様ともとれた。それほど、この魚影には神秘さがある。」

他の項目にも「イトウ」「ヒメマス」「ハッカク」「カスベ」など北特有の魚が登場して興味は尽きることがない。おまけに魚に因むアイヌ民俗譚や松浦武四郎という江戸期の蝦夷地冒険家による魚類記述録なども紹介されている。この真夏は「オホーツクの植物」にも登場する道東や道北の砂丘地帯を彩っている「エゾキスゲ」「エゾスカシユリ」「ハマナス」の景色でも眺めながら、ゆったり蛇行する湿原の川でも眺めに、久しぶりに北の地方を訪れてみようと、友人にでも声をかけてみることにした。

鮎塩焼きの夕ご飯

2013-06-12 18:37:25 | 
ちょうど一週間前のことだった。Y教授が座間までやってきたのは。彼は無理強いしたような禁欲の延長上にある観念の自己規制がとても強い人だ。お茶もコーヒーも酒類も飲まない。タンポポ茶のようなアブストラクトな味のミント茶やプレミアム風の水ばかし飲んでいる。おやつといえばサンザシのドライフルーツやクコの実だったりする。蕎麦と寿司だけが一般人の口と繋がりを保てる唯一の食分野である。それでも寿司屋などへ入ったときのオーダーはやはり変わっている。コハダ、鯖、鰯、等ヒカリものの繰り返しパターンを貫くのだ。根っからの吝嗇気質のせいで廉価品をオーダーしているのではなく、独自の健康食生活理念を実践しているようだ。

昔、彼がオーナーになっているビルのテナントにノギスの製作メーカーで著名な「ミツトヨ」が母体のレストランが入居したことがあった。港区の芝界隈で名を馳せた植物蛋白だけを素材とする自然食中華の「菩提樹」という店だった。まだ現在ほど食生活の自然食志向は差別化されていない時代だった。青山通りにあった「ナチュラルハウス」あたりがそろそろ活況を呈し始めた頃のことである。その店では湯葉を肉類に見せかける美的造型力を持った本場のコックが活躍していて、不思議にも単調な味にならない豊富なメニューが提供されていた。Y氏は妻がポジティブに料理に専心するタイプと一緒にならなかったせいで、その「菩提樹」が一時期の彼におけるメイン食堂代わりになっていた。そんなY氏だが、先週会った折の本音トークで鮎の塩焼きを絶賛していた。彼は子供時代に伊豆の伊東市内に預けられたことがある。伊東には松川が流れている。鮎はたくさん遡上する筈だ。そのころの味覚の記憶から発した言葉なのか、何処で食べた話なのか、確認することもなくなにげなく聞き流してしまった。

一週間が経って、自炊夕飯の材料を近くにあるコープにて物色していたら鮎が売っていた。Y氏の鮎絶賛を思い出した。岐阜産とあるから放射性セシウムの面でも安心だろう。無論養殖もので一匹286円、これの塩焼きに挑戦することにした。パックを開けたら、鮎特有のスイカめいた香りが漂ってきた。日本画家土田麦僊の「香魚」の構図を思い出す。水気を拭って最近、お気に入りのアルペン・ザルツという岩塩粉をたっぷりとまぶす。これをガスグリルにてよい焼色がつくまで焼く。10分程で完成だ。鮎だけでは自炊が単調になるといけない。

ちょうどコープに神戸三田屋のチルドメンチカツが売っていた。これを揚げて生キャベツをたくさん添えることにした。鮎は二年ぶりに食べた。塩が吹いているカリカリになった皮の部分が一番美味い。味噌汁、納豆、メンチ、鮎塩焼きという梅雨時の夕餉、Y氏の一言に左右されたようである。

スタミナ丼を作る

2013-06-09 21:31:27 | 
少し前に国立の谷保駅前にある和食店「大根の花」で食べた昼の「トンポーロ定食」がとても美味かった。夏が近くなってこのところ蕎麦ばかし食べているせいか、コクのあるものもたまには食べたくなった。そこで美味のレベルでは「大根の花」よりも遥かに劣るけど「トンポーロ」風真似っこ丼に挑戦してみた。外食をしない日の自炊の場合、大抵五合炊きの電気釜できっかり三合を炊くことが多い。三合あれば三回分のご飯ができる。全部食べることはできないので、そのとき食べる以外を冷凍してしまう。これを電子レンジで戻す。豚のバラ肉をこんがりと狐色に炒めて玉ねぎとピーマンも併せて炒める。「大根の花」では白髪ネギが敷き詰めてあった。しかし簡単にする為に手間を省いた。タレは醤油、味醂、清酒を煮詰めて焼き鳥のタレ風に濃いめにつくる。これを焼き豚にかけるだけというもの。

町田の繁華街で数回、食したことがある「スタ丼」というのを思い出した。「スタ丼」は肉の味付けにニンニクをこれでもか!というくらい使っていてその臭気に辟易としながら食べたことがある。こちらは塩、胡椒だけの下拵えのみでいたってシンプルな豚肉の甘辛味が完成。益子焼きの大型丼にたっぷりと盛り付けてモリモリと食べる。すると気のせいか、元気が湧いたような気分になるから不思議なものである。副菜は「おかめ納豆」「ワカメと豆腐の味噌汁」というコンビである。豚丼では街道筋でたまに看板を見かける「十勝豚丼」という北海道からの参入豚丼もあるらしい。こちらの味は知らないが、どんなものなのか、自分の味と比較する為に一度、入ってみようと思っている。豚肉はやはり出し汁のようなものに漬けてコクをつけるべきなのか、素焼きがよいものか判断に迷っているが、色々なバリーエーションで男のしがない料理街道をまっしぐらという感じである。

旧友とのジャズ談義

2013-06-07 20:19:45 | JAZZ
昨日は旧友のYさんが座間へ遊びに来る。40年の付き合いである。郊外の緑に触れて美味い蕎麦を食べたいということ。こちらのオーディオ再生の最新状況の具合を確かめること。目的は二つあったようだ。蕎麦の方は座間小学校の近くにある「やぶ久」という相模原への旧街道から引っ込んだ店が気になっていた。ちょうど昼休みのせいで店は混雑していたがそこへ案内する。こちらは穴子丼と盛り蕎麦のセット、Yさんはとろろ蕎麦と牛蒡の唐揚げを食べる。蕎麦の味はよく晒した白い系統の手打ち蕎麦で香りも歯ごたえも十分なものだった。自分の注文分の穴子が旬らしくよく肥えているのを眺めて悔しがっている子供っぽさも、昔ながらのYさんである。Yさんが住んでいてお互いがよく食べたことのある六本木近隣の蕎麦店の味と比較する。かっこと尊大だけの「本村庵」を凌駕していて、素っ気なくも昔東京風「みのち庵」クラスに拮抗できる味というのが「やぶ久」への評価だった。

肝心のオーディオについては両者のコンセプトに全く歩みよるものがない。こちらは箱に収まった古い英国スピーカーだけに心酔する守旧派である。あちらはスピーカーを箱から駆逐して純粋な始原音の理想を自作開発で示さんとする革新派である。一致があるとすればフルレンジスピーカーへの愛好癖くらいだろうか。年をとってきてオーディオのポリシーで対立がなければ、Yさんとの陶磁器や文化状況への見解は、片や大学教授、こなた市井の隠棲者という立場の違いはあってもよく一致する面が多い。今の行き止まり日本についてもケムに巻いたような比喩になるが、かってのドイツを画したメッテルニッヒに象徴されるビーダーマイヤー的な反動時代になっていることを最近の嫌な事例を持ち出して蕎麦食いの合間に嘆きあう場面となった。

Yさんは古典音楽の膨大なデータが欧州の現地人のレベルなみに血肉化している。我が家でクラシックを聞かせても釈迦に説法みたいなものである。しかしジャズについては偏見も多い。いくらかの救いは最近になってジャズを虚心に聴く姿勢になってきたことである。老境による進化例かもしれない。レスター・ヤング、アート・ペッパー、ウイントン・ケリー、ジョン・コルトレーンを愛好してきたが、この機会になにか聞かせてくれと言われる。予断抜きでジャズ史に傑出しないテナーサックスやトランペット、ピアノなどのCDソフトも選ぶことにする。

レスター・ヤングについても最盛期を遥かに過ぎた1950年代後期のものも混ぜて聞かせる。ロイ・エルドリッジがフルトーンでラッパを高らかに歌いあげて、レスター・ヤングが図太いサブトーンを効き味にした「アイ・ソウト・アバウト・ユー」などを選曲する。これはモダンジャズにおける夏目漱石の「こころ」みたいな古典だと絶賛しあう。レスターの心情表現の大きさにYさんはいつも賛辞を呈している。改めてレスターの格を賞賛しながら、これを基準に無知の強みでメッタ斬り大会となる。Yさんはチェット・ベイカーとかスタン・ゲッツが琴線に触れないようだ。

代わりに変種として流したトランペットのトニー・フラッセラの1953年という「オープンドア」の劣悪ライブ録音の一曲「ラバーマン」を褒めちぎっている。「こんなに人生の痛々しさを搾り出されてはかなわないな!」はたまた「アンプジラ」や「スモウ」といった強力アンプで一世を風靡して先ごろ他界してしまったジェームス・ボンジョルノのピアノトリオアルバム中の「アイ・シュッド・ケアー」等の快刀乱麻風ピアノ奏法を激賞している。多種多様にかけまくってみたが、Yさんが持っている人間やアート解析力と同根のジャズ理解があることに気がついたのは大きな収穫になったようである。

懐かしい灯りと懐しいレスターの音色

2013-06-04 10:25:46 | JAZZ
5月の末に梅雨入りしたと思っていたら、月が6月に変わっても皮肉なことにお天気は五月晴れみたいな日が続いている。夜勤明けの休日は初日が横浜港付近の散歩。シーサイドの山下公園前では産貿会館の定期骨董市が行われていた。その骨董市で鋳物台座の卓上スタンドをゲットする。照明を囲むガラスシェードだけがいかにも現代の中国風量産品、その浅薄感故にお値段は弱気だ。しかし台座もステイにもそこそこの50年代風アメリカン的古格がある。8千円という腰の引けた値段がついている。骨董業界では最近流行のアベノミクス効果などはまったくの空語らしい。ずっとデフレが続いていて島岡達三さんの「三島手」象嵌模様の名品、沖縄壷屋の金城次郎の魚紋壷といった名品も二十年前の半値以下で売っているのが実情という会場一瞥歩きの余談である。

しかしながらこれはガラスを替えればよい方向へ化けると踏んだ。自分で楽しむ為の貧数寄冥利というやつである。ちょうど日向薬師の台所で使っていた輪花状の曇りガラスの小さなシェードが仕舞ってある。買ってきた二日目の休日はこれを付け替えてジャズ三昧することにする。輪花状の曇りガラスシェードは町田と高尾の中間、ちょうど法政大学の山に囲まれた八王子キャンパスの付近にある骨董店にて昔買った品物である。三点留めの共通仕様のせいで付け替えは上手くいった。超一流のビンテージとはいかないが、ガラスの付け替え効果のせいで二万円程度の卓上ランプに格が上がったようだ。球の色調を更に工夫すれば雰囲気はもっとよくなって成長してくれそうである。

スピーカー付近の灯りによるせいか、最近アメリカのアップタウンレーベルから発売されたレスター・ヤングのライブ盤CD「BOSTON1950」スコット・ハミルトンの「REMEBERING BILLIE」等の新譜を聴く楽しみが倍になった。アップタウンのレスターは英文の注記によると全て未発表とのこと。ボストンのインテリが録っていた珍しいものでジャズの世界は奥が深い。尻切れトンボになるテイクが3曲あるのが残念だが、規模の大きめなライブレストラン「ハイ・ハット」での隠し録音なのだろうか?迫力あるコンボ演奏の臨場性がよく録れていて好事家には堪えられない記録である。

ジャケの表紙には横向きのレスターがベロシティーマイクにサックスの朝顔を向けている。奥の方に見えるピアニストの顔はホレス・シルバーだ。後年の崩れた顔からは想像できない青年の凛とした香りが立ち上っている。しかし日付の異なる収録の多くはピアニストがケニー・ドリューでシルバーは最後の二曲だけの参加である。最後の曲「ブルー・アンド・センチメンタル」が惜しい。レスターはパーフェクトなアンニュイの表出、ジェス・ドレイク(トランペット)のハイノートは至高の輝きを放っている。ホレス・シルバーのソロも無機質とリリカルを攪拌したような魅力溢れるピアノ打音が既に現れている。しかし尻切れという顛末。ケニー・ドリュー、コニー・ケイ(ドラムス)も後年の開花を彷彿させる演奏でレスターに対して神妙にかしずいている。レスターもパーカーも新世代の芽を育てることには長けていたようだ。

CDのレスター全集に登場する曲(LPではマーキュリー、ノーグラン、ヴァーブ原盤)でお馴染みの選曲だが「シーズ・ファニー・ザッツ・ウエイ」「町の噂」「中国行きのスロウボート」「インディアナ」が特に感銘したトラックである。レスターの脱力名人技をモダンテイストに支えようとする新潮流を感じ取ることもこのCDの魅力だと思っている。因みに以上に掲げた曲の収録日が期せずして1950年の本日、6月4日というのも面白いことだなと思う。