世戸です
久しぶりに、書き込みします。
1月22日、通勤途上で右足ふくらはぎを肉離れ、これによる大量の内出血が起きため、それ以来入院生活が続いています。
腫れが落ち着くのを待って、ふくらはぎ内の残留血液を取除く外科手術を施し、木曜日からは歩行リハビリに入りました。
病室には通信ケーブルはないので、インターネットへアクセスが出来る通信サービスに加入、会社とのメール送受信は可能となり、病室から細々と仕事もしています。
それでも時間を持て余し、仕事用に購入したラップトップパソコンをフル稼働、見逃したDVD映画鑑賞や読書三昧でしたが、来週の月曜日からは漸く半日出社の予定です。
手元にある雑誌の中に、先日話題になっていたベルギーの国内分裂報道についての記事が掲載されていましたので、抜粋ご紹介します。
僕も、6年以上勤務した思い入れの強い国なので、気になる話です。
(以下抜粋)
「本日、フランドル地方が独立を宣言しました。」
昨年12月14日午後8時、ベルギー国営テレビ局フランス語放送(RTBF)でゴールデンアワー特別番組から流れたアナウンスです。その後、国王亡命の話、国境で検問開始したとの情報や、画面には黄色に黒のフランドルの旗を振り、独立を喜ぶ群衆の映像も登場したそうです。
「これはフィクションです」とのテロップが出たのは、放送開始から40分後のことで、その後の同局の調査では89%の視聴者が、内容を真実であるかもしれないと考えたそうです。
番組の意図はベルギーの二大語圏ワロン(仏語)とフランドル(オランダ語)両地域の対立が最近再燃し、フランドルで独立を求める声が高まっていたために、番組は「ベルギーの将来についての議論を喚起する」のが目的だったそうです。
1830年独立のベルギーは、建国後の長い間事実上の公用語は仏語。言語の平等をうたった最初の憲法が、仏語で書かれたことをとっても、不平等は明らかでした。第一次世界大戦では、ドイツ軍に立ち向かった兵士の八割がフランドル人でしたが、将校の大部分はワロン人で、命令はすべてフランス語でした。フランドル地域は広範な自治、つまりベルギーの連邦化を早くから求めてきました。対立は時に尖鋭化し、60年代には名門のルーバン大学、ブリュッセル大学などで両地域の学生が衝突、広範な学生紛争に発展したために、両大学はワロン・フランドル系の大学に分裂し、現在に至っています。
これに応じ、政府も徐々にベルギーの連邦化に傾いていきました。62年には両者の言語境界線を最終確定し、数回の憲法改正で93年までにベルギーは「連邦国家」に変身しました。連邦政府の権限分野は外交、防衛、司法、治安など。一方、各地域・言語共同体政府には、産業・環境・教育など社会政策全般で広範な自治権があたえられました。
最近、フランドルの極右民族主義政党フラームス・ブラング(フランドルの利益)が大躍進し、穏健派の政党も含めて対ワロン敵愾心がはげしくなり、「ワロン人でオランダ語を理解できるのは19%だけだが、フランドル人は59%が仏語をしゃべれる」といった調査結果が改めて問題視されています。
これらの動きの背景にあるのは両地域の経済格差です。04年の一人当たりのGDPは、フランドルの約2万7千ユーロに対し、ワロンは約2万ユーロと大きな隔たりがあります。経済・産業の中枢部を担っているのは政治的発言権が低いオランダ語地域なのです。「ワロンの怠け者を養うのはいやだ」というのは、フランドルでよく聞かれる言葉です。
(以上、雑誌「選択」2月号より)
ベルギーが抱える問題は、ある意味で欧州各国に共通する部分があり、ひとつは石炭から石油へのエネルギー転換で地域経済力に逆転現象が生じたこと、もうひとつは政治的に線引きされた国家や連合体が、旧ソ連の崩壊後、民族主義に基づいた独立への動きが強くなっていることがあると思います。
久しぶりに、書き込みします。
1月22日、通勤途上で右足ふくらはぎを肉離れ、これによる大量の内出血が起きため、それ以来入院生活が続いています。
腫れが落ち着くのを待って、ふくらはぎ内の残留血液を取除く外科手術を施し、木曜日からは歩行リハビリに入りました。
病室には通信ケーブルはないので、インターネットへアクセスが出来る通信サービスに加入、会社とのメール送受信は可能となり、病室から細々と仕事もしています。
それでも時間を持て余し、仕事用に購入したラップトップパソコンをフル稼働、見逃したDVD映画鑑賞や読書三昧でしたが、来週の月曜日からは漸く半日出社の予定です。
手元にある雑誌の中に、先日話題になっていたベルギーの国内分裂報道についての記事が掲載されていましたので、抜粋ご紹介します。
僕も、6年以上勤務した思い入れの強い国なので、気になる話です。
(以下抜粋)
「本日、フランドル地方が独立を宣言しました。」
昨年12月14日午後8時、ベルギー国営テレビ局フランス語放送(RTBF)でゴールデンアワー特別番組から流れたアナウンスです。その後、国王亡命の話、国境で検問開始したとの情報や、画面には黄色に黒のフランドルの旗を振り、独立を喜ぶ群衆の映像も登場したそうです。
「これはフィクションです」とのテロップが出たのは、放送開始から40分後のことで、その後の同局の調査では89%の視聴者が、内容を真実であるかもしれないと考えたそうです。
番組の意図はベルギーの二大語圏ワロン(仏語)とフランドル(オランダ語)両地域の対立が最近再燃し、フランドルで独立を求める声が高まっていたために、番組は「ベルギーの将来についての議論を喚起する」のが目的だったそうです。
1830年独立のベルギーは、建国後の長い間事実上の公用語は仏語。言語の平等をうたった最初の憲法が、仏語で書かれたことをとっても、不平等は明らかでした。第一次世界大戦では、ドイツ軍に立ち向かった兵士の八割がフランドル人でしたが、将校の大部分はワロン人で、命令はすべてフランス語でした。フランドル地域は広範な自治、つまりベルギーの連邦化を早くから求めてきました。対立は時に尖鋭化し、60年代には名門のルーバン大学、ブリュッセル大学などで両地域の学生が衝突、広範な学生紛争に発展したために、両大学はワロン・フランドル系の大学に分裂し、現在に至っています。
これに応じ、政府も徐々にベルギーの連邦化に傾いていきました。62年には両者の言語境界線を最終確定し、数回の憲法改正で93年までにベルギーは「連邦国家」に変身しました。連邦政府の権限分野は外交、防衛、司法、治安など。一方、各地域・言語共同体政府には、産業・環境・教育など社会政策全般で広範な自治権があたえられました。
最近、フランドルの極右民族主義政党フラームス・ブラング(フランドルの利益)が大躍進し、穏健派の政党も含めて対ワロン敵愾心がはげしくなり、「ワロン人でオランダ語を理解できるのは19%だけだが、フランドル人は59%が仏語をしゃべれる」といった調査結果が改めて問題視されています。
これらの動きの背景にあるのは両地域の経済格差です。04年の一人当たりのGDPは、フランドルの約2万7千ユーロに対し、ワロンは約2万ユーロと大きな隔たりがあります。経済・産業の中枢部を担っているのは政治的発言権が低いオランダ語地域なのです。「ワロンの怠け者を養うのはいやだ」というのは、フランドルでよく聞かれる言葉です。
(以上、雑誌「選択」2月号より)
ベルギーが抱える問題は、ある意味で欧州各国に共通する部分があり、ひとつは石炭から石油へのエネルギー転換で地域経済力に逆転現象が生じたこと、もうひとつは政治的に線引きされた国家や連合体が、旧ソ連の崩壊後、民族主義に基づいた独立への動きが強くなっていることがあると思います。