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イラン

2006年04月20日 | 近況
植村です。

何の目的も無しに暇に任せて書いていますので真剣に読まないでください。

今、問題のイラン・テヘランに出張してます。
最近、出張が多く3月はバンコック、4月の頭にミラノ、そして今がテヘランです。
いろんな所へ行って良いなと思われるかも知れませんが、年を取ると飛行機に乗るのが苦痛でたまりません。 ”どこでもドア”がほしい。

テヘランも春になり、気温は今の東京と同じぐらいで非常に気持ちのいい季節です。 周りの山はまだたくさんの雪をかぶっていますが。。

この年になって語学の才能が無いことを痛感する今日この頃です。 バンコック・ミラノ・テヘランのどこも特殊語学地域ですので片言でも現地の言葉を話せれば良いのですが、教えてもらっても5分と経たないうちに忘れます。 イランが仕事のMainの地域ですがペルシャ語だけはまったくだめ。 文字を見ただけで覚えようという気にはなりません。

イランはDry Countryですので公ではお酒はだめです。 だけど、今周りには ビールからウィスキー・日本酒まで何でもあるので、日本にいるときより飲んでるかも知れません。 今回も日本酒を2升(紙パック)持ち込みました。 空港で税関を通る時のスリルはなんとも言えないものがあります。 日本の税関で申告をごまかすのとはちょっと違います。

昨日の夜はシシカバブーのパーティーでまた食べ過ぎました。美味しいのです。

日本との時差が5.5時間。 インドとイランぐらいでしょうかこんな中途半端な時間を設定している国は。 日本は今何時と計算するのにその都度大変です。 こんな計算も邪魔くさくなるのも年のせいでしょう。

テヘランから車で北へ4時間ほど走るとカスピ海です。 西へ飛行機で1時間の距離にイラクがあります。 仕事とは言え、テヘランへ来る度になんでこんなとこに来ているのかと思いをめぐらしていますが、その時必ず思うのが、ロシア語やってたはずなのになぁと言うことです。 ロシア語の世界に居たことが不思議でたまりません。 

出張のいいところ(?)は、普段の生活から1週間とか2週間の間、まったく違った環境になり、いろんなことを考えることが出来ることかも知れません。 一人の時間がこれだけあるのも日本では考えられないことです。  先進国ではそういった状況にはならないのですが。。。 夜に行くところが無いからかなぁ。

何か面白そうな写真(核施設?)でも撮れればまたご報告します。





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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大変そう・・でも、楽しそう!? (織田桂子)
2006-04-20 15:59:03
イランからのお便り、面白く拝見しました。日本との時差が5.5時間なんて、びっくりしました。そういう時間設定の国もあるのですね。アラビア語は、本当に文字を見ただけで、学習意欲がそがれますよね。でも、以前気まぐれで見たアラビア語講座で、一つだけ挨拶を覚え(?)ました。「アッサラーム・アライカム」でしたっけ?たしか「こんにちは」だったと思うのですが・・・



「どうしてこんなところに居るんだろう?」というのは、私も時々思います。縁があったのだろう・・・と思うことにしています。色々大変でしょうが、食べ過ぎないように、飲み過ぎないようにして、頑張ってください。



年齢のことは考えないことにしている織田より
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ペルセポリス (服部和)
2006-04-23 23:21:38
植村君



テヘランのお話ありがとう。

アメリカのイラン攻撃が始まる可能性も否定できないですね。イランは挑発しているようでもあるし。白地図を見せられたらどちらがイランかイラクが迷ってしまうほど無知だったのですが 去年「ペルセポリス」という本を読んでから イランには特別興味を持つようになりました。Marjane SATRAPI(マルジャン・サトラピ)というイラン女性の書いた漫画なのですがとても感銘を受けました。彼女は1969年イランのラシュト生まれ。テヘランで育ってフランス語学校に通っていました。家にはメイドがいてお父さんはキャデラックに乗っているような生活。非常にリベラルな両親に育てられたのですが 1979年イスラム革命によって一家の生活は激変。両親は知人のつてを頼って14歳の彼女をウィーンへと出国させます。その後ストラスブールでイラストレーションを学んだマルジはイラストレーターになるのですが、、1人の女の子のイスラム革命以降の体験を描いたこの本は12ヶ国語に訳され ベストセラーになったということです。日本語版はバジリコ株式会社というところから出ていて 2巻まで発行されています。この本は私にイスラム教徒と神様の関係についても ちょっとヒントを与えてくれました。普通のイランの人の今の生活や町の様子が知りたいと思います。一般人の反米感情はどの程度なのでしょうか?

   

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ペルセポリス (植村)
2006-04-25 16:17:24
服部さん

ペルセポリスはShirazという町にあります。 Shirazは日本で言えば京都。 イランの歴史ある町です。 イランへは結構日本の年配の観光客が訪れています。 アメリカ、ヨーロッパなど何度も行っている人が中近東に観光に来るようです。  

アメリカとイランが中が悪い状況ですが、イランの人たち(中流家庭以上)はアメリカ大好きです。 反米感情が強いというのは表面的な話で、 チャンスがあればアメリカ、カナダへの移民のチャンスをみんな狙っています。 

ほとんどのイランの知識人は今の大統領に失望しています。 この大統領を選挙で選んだ際もかれを指示したわけではなく、消去法で彼が選ばれた経緯があります。

Tehranは至って平和で他の国からはなかなか想像できないかも知れません。  

昨日、見本市の打ち上げPartyをイランのPartnerの自宅へ行いました。 女性人はドレスを身にまとい、夜は華やかな社交場に返信します。 飲めや、歌え、踊れの大騒ぎを夜中の1時まで。。。 また、写真を送ります。

結構楽しいです。



隣りのIraqやEgyptでは昨日またテロで犠牲者が出ていますが、Iranはまったく異なり平和です。







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報告書・終了! (茨木政子)
2006-04-27 05:49:41
 やっと、先ほど、終わりました!結局、昨日の昼間にECC滋賀センターから、大阪本部に電話して不具合を解消して、滋賀センターのパソコンから「報告書送信完了」でした!原因はECCウエブソフトの未熟さが原因だってECCはパソコンスクールも経営してるのに!



 それでもやっぱり昨夜は夜中に起き出して、手書きの入学願書と進級登録書の始末をつけて、今日、郵便局から送って、やっと「完了」です。



パソコンを終う前に、ブログをのぞいています。植村君のは何度よんでも、おもしろい。イランなんて、多分、一生行かないと思うから。イタリアは是非行きたいなあ。

 

ナージャの書き込みを読んでて、ボートピープルとしてベトナムを脱出して、日本に来られた人の事をを思い出しました。一人はアメリカんに渡って神父さまになられ、一人は日本で神父さまになられています。日本の神言会の神父様です。そう、愛・地球博でん名古屋に行ったとき、名古屋ほ神言会が活躍されてましたね。その神父さまは 日本に帰化されてて、お名前は「大海」とつけられたそうです。大きな海を渡って来た気持ちを忘れないようにだそうです。南ベトナムでは、お父様は「外交官」だったそうです。



 まあ、もうすぐ6時。ではまた!
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思い出した (今枝恭子)
2006-04-27 16:54:33
千葉に住んでいる叔父(父の弟)は、東京外大英米科卒で東京駅から見える野村貿易に勤務していました。退職して何年にもなりますが。在職中は石油関係の仕事で、イラン、インドネシアへよく出張していたという話を聞いたことがあります。

45歳の娘は独身でこの4月からアトランタ勤務。税理士だったかな・・・
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