われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

オンガクノチカラ

2007-12-07 13:26:26 | Weblog
 皆様いかがお過ごしですか。年中組の音楽会が先週末におこなわれ、年長組に引き続きこちらも無事に終えることができました。堂々と、自信に満ちた立ち振る舞いに頼もしささえ感じる見事な音楽会であったと思います。そのまなざしはキリッとして凛々しく、みんなで考え合いながら自分たちの音楽会を作り上げようとしている姿に、大きな成長を感じました。来春にはいよいよ最高学年となるわけですが、きっとこの子どもたちも立派な年長児となってくれることでしょう。そんな確信を得ることができた素晴らしい音楽会でありました。

 さて、いよいよ明日は待ちに待った年少組の音楽会がおこなわれます。子どもたち自身もそうですが、私たち教職員も年少組の出番を今か今かと待ち望んでおりました。年長、年中と様々な音楽会への取り組みを目の当たりにしてきた彼らはついに自分たちの番がやってきたことを心から喜び、やる気十分で練習に取り組んでまいりました。そのとてつもないパワーはいまや他の学年をも圧倒するほどの迫力で、全体練習をおこなう運動場は連日大変な熱気に包まれていました。音楽というものを通して、年長・年中の子どもたちから大切なものが年少の子どもたちひとりひとりにしっかりと受け継がれ、あんなに幼く、頼りなげだった彼らもいまや立派な真人の子どもとして堂々と、自信に満ち、更なる飛躍へと大きく羽ばたこうとしているかのようであります。

 それはまた音楽というものの持つ力が子ども同士の心をも大きく揺り動かし、彼らの成長を自然な形で促しているためであるのかも知れません。音楽には他の芸術分野にはない(あるいは他の分野に比べはるかに突出した)不思議な力というものが備わっているように思います。たとえば私は十代の前半から詩を書き、それが自分にとって最も大切な表現の手段だと思って今もほそぼそと書き続けているわけですが、何かひとつものを書くたびに、あるいは子どもたちの澄み切った青空のような歌声を聴くたびに、いつも心の奥では、ああやっぱり音楽にはかなわないなぁと思ってしまいます。美しい音楽を奏でるように、歌を歌うように詩が書けたら、そのような思いも消えるのかもしれませんが、少なくとも今のところはそのようなものが書けたためしがありません。音楽はたぶん文学作品などに比べ、人の体の中に(五感を通して)直接に入ってきて、様々な感情を喚起し、心を揺さぶるためであろうというのが私の考えですが、とにかく人は嬉しいときにも悲しいときにも音楽に耳を傾け、歌を口ずさむものです。時には魂を鼓舞し、時には命あるものの一瞬のきらめきを謳い、時には絶望の深い淵から人間を救済し、癒し、再生へと導く。人の最も身近なところに、あるいは私たちの体の中にあるもの、それが音楽なのかもしれません。そしてそれこそが音楽の持つ力であり、役割なのでしょう。

 さあ、準備はすでに整いました。この一年を締めくくるにふさわしい、素晴らしい年少組の音楽会が間もなくはじまります。
 保護者の皆様のおいでを心よりお待ち申し上げております。


【今日の一枚】
本日おこなわれた「子どもの音楽会」でのひとコマ。
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聴きに来た年中さんと年長さん

2007-12-07 13:18:34 | Weblog
 きょうおこなわれた子どもの音楽会に観客として集まった年中組と年長組の子どもたち。音楽会に参加する態度もとても真剣で、年少児達の晴れ姿に惜しみない拍手を送っていました。先輩たちが立派であるからこそ、後輩たちもまたそんな姿に憧れ、自分たちもがんばってそうなろうとするのです。これまでの一連の音楽会に向けた活動を通して、目には見えない大切な伝統がまたひとつ受け継がれました。
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