みなさんこんにちは。
今週はわりあい穏やかな一週間で、年少と年中組の子どもたちはそれぞれ順番に近くの鳥屋野潟公園へ園外活動に行って来ることができました。そもそもの目的は冬ならではの雪遊びをしようということで、公園の丘の斜面(そこに積もっているのはまっさらな雪のはずであった)を橇で滑ったり、雪だるまを作ったりする予定でしたが、タイミングが悪く雪はすっかり溶けていたそうです。しかし子どもたちはそんなことは一向に気にならないようで、春が来たみたいに元気よく駆けまわったり遊具を使って遊んだりして、思い切り体を動かして来れたようです。この季節は何かと家の中に閉じこもりがちなので、こんな機会に大いに発散してほしいものですね。
さて、聞くところによると、今日1月27日はモーツァルトの生誕250年の誕生日なのだそうです。モーツァルトといえば言わずと知れた大作曲家ですが、35歳の若さでこの世を去っているので、死後実に200年以上ものあいだ語り継がれ聞き継がれてきたということになります。200年てひとくちに言うけれど、けっこう昔ですね。そしてひとりの人間が世間の記憶に残り続けるには余りにも長い年月です。たしかに、並みの才能ではないのでしょう。世間では天才とよく言われますが、モーツァルトの場合はただの天才ではありません。それは、彼の残した曲を聴いてみればすぐにわかる。それらは聴く者を楽しませよう、楽しませようというサービス精神に満ち満ちている。苦虫噛み潰した大先生みたいに難解な言葉を並べたててもいないし、威張り散らしてもいない。ぜんぜん偉ぶらない。平易で、とてもわかりやすい。それらは騒々しいくらいに通俗的であると同時に、余りにも人間的である。人の喜びとか、悲しみとか、全部知り尽くしている。全部知り尽くしてなお、生きることの素晴らしさや尊さを私たちに伝えようとしているのです。
「やっぱ、人生っていろいろあるけどさ、人間てけっこういいもんだぜ」と。
モーツァルトは音楽を通してそのことを語ろうとし、生誕250年の今日も語り続けているように私には感じられます。
今夜は久しぶりにCDの棚からモーツァルトを引っ張り出してじっくり聞いてみようかな。
それでは良い週末をお過ごしください。
今週はわりあい穏やかな一週間で、年少と年中組の子どもたちはそれぞれ順番に近くの鳥屋野潟公園へ園外活動に行って来ることができました。そもそもの目的は冬ならではの雪遊びをしようということで、公園の丘の斜面(そこに積もっているのはまっさらな雪のはずであった)を橇で滑ったり、雪だるまを作ったりする予定でしたが、タイミングが悪く雪はすっかり溶けていたそうです。しかし子どもたちはそんなことは一向に気にならないようで、春が来たみたいに元気よく駆けまわったり遊具を使って遊んだりして、思い切り体を動かして来れたようです。この季節は何かと家の中に閉じこもりがちなので、こんな機会に大いに発散してほしいものですね。
さて、聞くところによると、今日1月27日はモーツァルトの生誕250年の誕生日なのだそうです。モーツァルトといえば言わずと知れた大作曲家ですが、35歳の若さでこの世を去っているので、死後実に200年以上ものあいだ語り継がれ聞き継がれてきたということになります。200年てひとくちに言うけれど、けっこう昔ですね。そしてひとりの人間が世間の記憶に残り続けるには余りにも長い年月です。たしかに、並みの才能ではないのでしょう。世間では天才とよく言われますが、モーツァルトの場合はただの天才ではありません。それは、彼の残した曲を聴いてみればすぐにわかる。それらは聴く者を楽しませよう、楽しませようというサービス精神に満ち満ちている。苦虫噛み潰した大先生みたいに難解な言葉を並べたててもいないし、威張り散らしてもいない。ぜんぜん偉ぶらない。平易で、とてもわかりやすい。それらは騒々しいくらいに通俗的であると同時に、余りにも人間的である。人の喜びとか、悲しみとか、全部知り尽くしている。全部知り尽くしてなお、生きることの素晴らしさや尊さを私たちに伝えようとしているのです。
「やっぱ、人生っていろいろあるけどさ、人間てけっこういいもんだぜ」と。
モーツァルトは音楽を通してそのことを語ろうとし、生誕250年の今日も語り続けているように私には感じられます。
今夜は久しぶりにCDの棚からモーツァルトを引っ張り出してじっくり聞いてみようかな。
それでは良い週末をお過ごしください。