皆さんこんにちは。いかがお過ごしでいらっしゃいますか。毎日降ったりやんだりの不順な天候が続いておりますが、きょうは朝からすっきりと晴れて念願であった年長組の子どもたちと海水浴に行ってくることができました。目的の海は日和山海岸。毎年この時期になると、年長児たちを連れてこの海岸へ出向きます。今年は絶好の海日和となり、ほっといたしました。この調子で梅雨もすっきりさっぱりと明けてくれると良いのですが。梅雨明けが待ち遠しいですね。
さて、日和山海岸は関屋浜や青山海岸などに比べるとあまり知られていないどちらかと言うとマイナーな海岸ですが、実は私自身にとっては幼い頃から通いなれた言わば馴染みの海岸です。物心ついた頃から海といえばいつも日和浜の海でした。その昔、私はここで小さなヨットの操縦をおぼえ、海原にたったひとりで出て行くことに夢中でした。(ヨットといってもおもちゃではなく本格的なディンギーで、現在はオリンピック種目にもなっています。)父が購入したそのディンギーの虜になった私は日曜日になると、ずっしり重たいセール(帆)を担いでひとりで自転車をこぎ、海に通いました。私はその頃すでにどこへでもひとりで行くことができる子どもでした。小学生の私はそこで海の素晴らしさと恐ろしさを存分に体験することになりました。私にヨットのことを教えてくれたのはある老人でした。その人はもうこの世にはいませんが、いつもひとりでヨットに乗っていました。一人ぼっちでヨットに乗り、一人ぼっちで荒々しい海に繰り出すその人が、その後の私の現在までにおける人生の最も大切な事柄を身をもって教えてくださったひとりであります。私はそこで多くのことを学びました。それから20年以上たって、今はひとりで海原へ繰り出すことはありませんが、そのときのことは頭の片隅に鮮明に焼きついています。あるいは、体の芯までたっぷりと沁みこんでいます。私はそこで何を学んだのでしょうか? 目蓋を閉じて思い出してみましょう。それは、たとえばこんなことかもしれません。
海を恐れない。けれど海の怖さ、恐ろしさをきちんとを理解する。
ひとりで海に出たら必ず無事に帰ってくることを考え、努力する。
思い上がった考えは捨てる。だが、最後まであきらめず自分を信じる。自分を信じることのできる者だけがひとりで海に出ることができる。
そして風を読む。風をつかまえ、味方につける。潮の流れを読む。いかなる船も沖に出たら潮に逆らうことはできない。潮の流れは圧倒的な力であらゆるものを押し流す。流れに身をゆだねることも時には必要なこと。
船が転覆したら全体重を使って復元に努める。小さなヨットはすぐに転覆する。しかしコツさえつかめば小学生の小さな体でも船を起こすことができる。
そしていよいよ駄目だと思ったら、船を捨てて泳ぐ。潮に流されて遠くの浜に打ち上げられても、力を使い果たさず、流れに身を任せて、ゆらゆら泳ぐ。そのうちどこかの浜にたどり着くまで、ゆらゆら泳ぐ。それが何十キロも離れた海岸であっても、いのちを無駄にしてはいけない。必ず生きて帰る、ということ。
新しい夏が来て、子どもたちと海水浴に行くたびに、私はそのことをいつも思い出します。あぁ、またあの頃のように、ひとりで海に出たいなぁとも思います。少し年をとったせいでしょうか、もう一度自分の原点に戻りたいなと思うことがたびたびあるのです。
今年も我らの大いなる夏が始まりました。
【今日の一枚】
年長組の子どもたちと日和山海岸で。わが愛すべきしんじんの子どもたちと泳ぐことができるのはこの上ない至福でありました!
さて、日和山海岸は関屋浜や青山海岸などに比べるとあまり知られていないどちらかと言うとマイナーな海岸ですが、実は私自身にとっては幼い頃から通いなれた言わば馴染みの海岸です。物心ついた頃から海といえばいつも日和浜の海でした。その昔、私はここで小さなヨットの操縦をおぼえ、海原にたったひとりで出て行くことに夢中でした。(ヨットといってもおもちゃではなく本格的なディンギーで、現在はオリンピック種目にもなっています。)父が購入したそのディンギーの虜になった私は日曜日になると、ずっしり重たいセール(帆)を担いでひとりで自転車をこぎ、海に通いました。私はその頃すでにどこへでもひとりで行くことができる子どもでした。小学生の私はそこで海の素晴らしさと恐ろしさを存分に体験することになりました。私にヨットのことを教えてくれたのはある老人でした。その人はもうこの世にはいませんが、いつもひとりでヨットに乗っていました。一人ぼっちでヨットに乗り、一人ぼっちで荒々しい海に繰り出すその人が、その後の私の現在までにおける人生の最も大切な事柄を身をもって教えてくださったひとりであります。私はそこで多くのことを学びました。それから20年以上たって、今はひとりで海原へ繰り出すことはありませんが、そのときのことは頭の片隅に鮮明に焼きついています。あるいは、体の芯までたっぷりと沁みこんでいます。私はそこで何を学んだのでしょうか? 目蓋を閉じて思い出してみましょう。それは、たとえばこんなことかもしれません。
海を恐れない。けれど海の怖さ、恐ろしさをきちんとを理解する。
ひとりで海に出たら必ず無事に帰ってくることを考え、努力する。
思い上がった考えは捨てる。だが、最後まであきらめず自分を信じる。自分を信じることのできる者だけがひとりで海に出ることができる。
そして風を読む。風をつかまえ、味方につける。潮の流れを読む。いかなる船も沖に出たら潮に逆らうことはできない。潮の流れは圧倒的な力であらゆるものを押し流す。流れに身をゆだねることも時には必要なこと。
船が転覆したら全体重を使って復元に努める。小さなヨットはすぐに転覆する。しかしコツさえつかめば小学生の小さな体でも船を起こすことができる。
そしていよいよ駄目だと思ったら、船を捨てて泳ぐ。潮に流されて遠くの浜に打ち上げられても、力を使い果たさず、流れに身を任せて、ゆらゆら泳ぐ。そのうちどこかの浜にたどり着くまで、ゆらゆら泳ぐ。それが何十キロも離れた海岸であっても、いのちを無駄にしてはいけない。必ず生きて帰る、ということ。
新しい夏が来て、子どもたちと海水浴に行くたびに、私はそのことをいつも思い出します。あぁ、またあの頃のように、ひとりで海に出たいなぁとも思います。少し年をとったせいでしょうか、もう一度自分の原点に戻りたいなと思うことがたびたびあるのです。
今年も我らの大いなる夏が始まりました。
【今日の一枚】
年長組の子どもたちと日和山海岸で。わが愛すべきしんじんの子どもたちと泳ぐことができるのはこの上ない至福でありました!