金沢から従兄に連れられ、Nの行きたがっていた白川郷へ向かう。
高速から見える山々。 空がまだ「朝」の顔をしている。
高速の上を渡る猿!?
動物専用の橋なのか? 少なくとも高速道路で分断された山間を人工の建造物を使って移動している。
初めて見たので、感心よりも驚きの方が強い。
山にかかる雲、いや霧かな?
放射熱によって出来るそうだが、見慣れない私にも懐かしく思えるのが不思議な話。
白川郷が近づいてきた!と思えるのが、この橋の欄干。 ミニ合掌造りが乗っかっている。
2014年4月より景観保全と歩行者安全のため9時~16時はマイカー車両通行止めになった。
車を降りて歩く白川郷・歩行者天国は確かに歩いていて楽だった。
山からの湧き水が豊富なのだろう。
丸太を繰り抜いて作った水を溜める器にはきれいな水が注がれ、掛け流しになっている。
山からの恵みなので無料なのだろうが、とても贅沢に思える。
まだ朝の9時なので茅葺屋根から湯気が立っている。 これも放射熱。
茅葺きの厚みは80cm以上あるそうで30-40年毎に葺き替えるそうだ。
考えようによっては「3匹の子豚」の草の家。 ガッチリしすぎ・・・。
木と草と紐。 こんなに重い屋根をそれだけで支える技術。
日本ってやっぱりスゴイよね。
茅葺きの建物に泊まりたい人が多いのだろう、合掌造りの民宿が多くあった。
その宿も家をぐるりと囲むように筵(むしろ)が張られている。
雪に覆われる集落の中で人間の可動域を確保するためだそうだ。
居住区の周りに雪のないエリアを作ることで人が動けるエリアが作られる。
それによって空気の層も出来るであろうから暖房効果もアップするように思った。
家屋の周囲に張り巡らされている菰(こも)掛け。
建物の雪対策は民家やお店だけではなく神社も対象であり、また雪吊りではないが石灯籠も丸太3本で守られていた。
それだけに雪は美しくもあるが恐ろしいものでもあるのだろう。
なぜ山奥に合掌造りで有名になった集落郡あるのか?は以前から疑問だった。
近代まで年貢米の代わりに火薬の原材料「塩硝」が生産されていたからだと思われる。
もちろん鉄も出たのだろう。
なぜなら白川・鍛冶橋の欄干には「足名椎(アシナヅチ)」「手名椎(テナヅチ)」の夫婦神の像があるからだ。
足名椎・手名椎はヤマタノオロチに毎年娘を犠牲に差し出している。
ヤマタノオロチはタタラ製鉄と関わりが深い怪物。 白川が鉄との関係が強いと考えるのも無理ではないと思う。
ゆったりした時間が流れているかのように思えた集落も、昔は戦に直結した生活をしていた。
そう考えると、近代になるまで昔の生活を守る必然性があったのではないかな?