昨日はハイキングで、車道の横の笹のヤブに入って見事に道を間違えたのだけれど、
それはそれで本当に楽しくて、結局一周して元の車道に出ても、子供たち文句も言わず、よく歩いてくれた。
私が子供の頃は母がこんな冒険チックな遠出のお散歩を得意としていた。
母はハーメルンの笛吹よろしく道々で近所の子供に声をかけるものだから、常に子供の数は七、八人になった。
でも母がリーダーではない。
アッチに行ってみたいなぁ…と母が言うと、子供たちが
「この有刺鉄線をぬければ」とか、「この斜面を降りればあそこにでるはずだ!」とか、それでコースが道々決まっていく。
不思議なのは、母が、「そんなことをしてはダメ!」と言った記憶が全然ない。
実際、母は子供たちにくっついて一緒に有刺鉄線を乗り越え這うように坂を下った。
あの頃は気づかなかったし、人はみなそんな子供時代を過ごしているものだと思っていたが、
黄金色にキラキラ光るススキ野原、ベルベットみたいな落ち葉の絨毯、深緑の杉林。宝石箱の中を好きに歩きまわらせてくれた母との冒険…非常に恵まれていた子供時代だったのかもしれない。
それはそれで本当に楽しくて、結局一周して元の車道に出ても、子供たち文句も言わず、よく歩いてくれた。
私が子供の頃は母がこんな冒険チックな遠出のお散歩を得意としていた。
母はハーメルンの笛吹よろしく道々で近所の子供に声をかけるものだから、常に子供の数は七、八人になった。
でも母がリーダーではない。
アッチに行ってみたいなぁ…と母が言うと、子供たちが
「この有刺鉄線をぬければ」とか、「この斜面を降りればあそこにでるはずだ!」とか、それでコースが道々決まっていく。
不思議なのは、母が、「そんなことをしてはダメ!」と言った記憶が全然ない。
実際、母は子供たちにくっついて一緒に有刺鉄線を乗り越え這うように坂を下った。
あの頃は気づかなかったし、人はみなそんな子供時代を過ごしているものだと思っていたが、
黄金色にキラキラ光るススキ野原、ベルベットみたいな落ち葉の絨毯、深緑の杉林。宝石箱の中を好きに歩きまわらせてくれた母との冒険…非常に恵まれていた子供時代だったのかもしれない。
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