わたしには、前世を、覚えているようなところがあって。
いや、あまりに境い目のない性分だから、いろいろな人の人生を、まるで、自分の事のように体感して勘違いしているのかもしれないが。
いつだったか、ずいぶん前に、テレビで、オレンジの袈裟を着た僧侶たちが、山岳を歩いて歩いて、山の上にあるお寺で、砂で曼荼羅を描くのを見た。
その時に、革のサンダルか、素足かで、岩のゴツゴツした山肌を登っていくのはきつかったなあ。
あんなに高い山の上にお花畑があって美しかったなあ。
などと、ぼんやりと思った。
名前も尚子(しょうこ)なので、小さな頃から和尚さんには、親近感を覚えている。
で、わたしはそんな僧侶の前世で、悟りを開けたのか、というと、
ダメだったんだと思う。
今生、また、もう一度生を受けたという事は、
ハイ、やり直し。の、前世だったわけだ。
多分、前世では、修行を頑張りすぎたんだと思う。
頑張って、我慢して、堪えたのだと思う。
自分ではない何かになろうとして、一生懸命やったのだ。
そういう癖が、今もある。
だから、方法を変える為に与えられた今生であるならば、
変わらなくていい。
いま、ここに集中していればいい。
そういう、目的の今生なのかもしれない。
なんてことを、考えるのだけれど、他の人にはそういう感覚ないものなのかな。