本日は、3月31日。
四年生の末っ子くん、児童ホーム最後の日。
夕方迎えにいく。
四年前の3月最後の土曜日。
雨が降っていた。
小学校に入ったら、放課後ここに来て、ママを待っていてね、と、見学に行った。
まだ小学校に入学する前だったけど、
学校に慣れるより、児童ホームに慣れるほうが大切だと思って、保育園の卒園式が終わったその足で行った見学だった。
土曜日のホームは、人数も少なくて、指導員のかたも子供たちもゆったりしていた。
指導員のかたが、もう壁に貼ってある末っ子の名前を指して、
君はお誕生日は11月なんだね。
入学式の日に待っているからね!
と、いってくれた。
四年生の男の子が、厚紙とつまようじでコマを作ってくれたのを、しばらく一緒にまわして、最後に
あげる
と、言った。
末っ子は、なんとなく、
やるぞ
という頼もしい顔をして、
児童ホームのみんなに
さよなうなら
をして帰った。
あの日から
四年。
本当に第二のおうちみたいに過ごさせてもらった。
わたしは、仕事をもっているお母さん方と、知り合えて話ができたのも、同志みたいな気持ちで本当に助けられた。
今日、指導員のかたがたに
ありがとね。本当に助けてもらったよ!
と、末っ子は言われてお別れしてきた。逆にお礼を言われちゃうなんて!
何度も二人で帰った道を、今日最後に歩いて帰ってきた。
前に、末っ子。
もう、ついてくだけのわたし、なんだなぁ。
ずいぶん大きくなった後ろ姿にしんみりしちゃった夕方だった。
春めいている。
ちょっと肌寒い、どんよりした日が続いているけれど、草花が芽吹いている。
出てきたばかりの、草花は艶やかで、
ひらたく言うと、エネルギーに満ちている感じがする。
いつか、千葉の植物園の温室での事。
サボテンの温室に一歩足を踏み入れたら、全部のサボテンが振り返ってこちらを見た、
気がした。
気がしたけれど、あれは本当。
人間の視線が一斉にあつまるのとおんなじ感じがした。
わたしは、はずかしくて怖くて、一気に駆け抜けた。
サボテンに見定められてるなんて嫌な気分!!
あれから、サボテンには気をつけている。
まぁ、あれはサボテンだから強烈だったのだけど
春に芽吹いている草花も、同じような存在感がする。
草花たちはこちらを見てこないから、わたしのほうがそっと近寄ってじっと見る。
香りをかぐ。
彼女たちからは、とても、素敵なものをわけてもらった気分になる。
ああ、いつか、サボテンとも仲直りできる日がくるかなぁ。
毎日、毎日、ブログを書いている。
あることないことよく書くなぁ。
(いや。全部あることです)
わたしの毎日が、特別に事件だらけで、マーベラスな日々って事はないと思う。
ただ、聞いて!あのね!
って性質が強いんだよね。
話を盛る
って、よく言われるけど、盛ってる自覚が全くない。
本当にわたしにはそうみえちゃっているんだもの!
そうみえちゃってインプットされたら、ださなきゃいけないでしょ、だから、書く。
まぁ、そんなこんなで、息するみたいに、つらつら書き連ねていきます、ブログ。
ママーッ
ママは仕事なのー?
と、末っ子に三回くらい聞かれて気がついた。
そうか。おまいらは、春休みかい。
と、言うことで、本日はお仕事をお休みして、春休みっぽい事をした。
と、言っても、予定がないのは、末っ子とメヒ子ちゃんだけだったので、三人で楽しもう!
ファミレスに行って、お食事をして、
ショッピングモールに行って、お洋服を品定め。
メヒ子ちゃんと、
ああでもないこうでもない、
あれいい、かわいい!
買っちゃおう!お揃いだ!
着るたびに思い出すからね。
なんて、やりとりをしてお買い物。
女の子には、そういう時間が必要なわけだ。
いくつになっても。
お母さんになっても。
帰りに、菜の花畑に寄り道。
そこで気がついた。
春休みに買ったお揃いのブラウスは、菜の花みたいな黄色。
全部が全部、春って感じ。
本日は夜のドライブ。
末っ子を隣に乗せて、後ろにはメヒ子ちゃんと長男。
海辺の街を走ったら右側の線路に電車が来て、並走する形になった。
ぐんぐん迫ってくる夜の電車は、銀河鉄道の夜みたいだねって、
メヒ子ちゃんに説明したかったけど
とても難しかったので、
車内で聞いているオナタリア、ラフォルカデの歌を大きな声で歌いながらアクセルを踏み込んだ。
後ろの長男とメヒ子ちゃんが、
ママ!ママ!
おかしい!ダメ!
と、大騒ぎ。
わたしは、
え?歌詞のスペイン語おかしい?
ってとぼけてみたら、
スペイン語はダイジョブ!
スピード、おかしい!
だって!
ああ。面白い夜のドライブ。
メヒ子ちゃんは、もうすぐホストファミリーチェンジ。
夜桜の下をイルカみたいに運転するのも、わたし得意なんだけど、
桜の開花は間に合うかな。
今日はメキシコ娘の通っていた高校へ、 イヤーブックやらを取りに。
そうか。娘の同級生たちはもう卒業したのか。
遠い横浜の高校で、わたしゃ一回行くのもよっこらせ。
担任の先生が事務室で待っててくださって、 ご挨拶して荷物を受け取って、二分くらいで用事はすんだ、さて、帰るか。
一時間半かけて来て二分ですかー。
やれやれ。
横浜の駅ビルをぶらつこう。
駅の雑踏をあるいていると、名前を呼ばれる。
びっくりして顔をあげると、我が上司。
おやまあ!こんなところで!! と、30秒くらいご挨拶して別れた。
文房具屋で来年度の手帳を買い、本を立ち読みし お昼を食べに一人でレストランへ。
あら、大人になったもんだ。 一人でいろいろも楽しいなぁ。
それで帰りの電車に乗ったら疲れてグーッと寝込む。
我が街の駅まで帰ってきたけれど、家まで遠くてあるけない。
バスがでるまで30分。 時間つぶしにドトールコーヒーでケーキセットを頼んだけれど、甘すぎちゃって食べきれない。
あー。 そんなこんなで、フラフラしていた今日1日。
激しい波で海面が渦を巻いて泡立っていた。
二人でじっと見入った。
おもむろに、友が、
岩場に張りつく海藻を指して、
あれ、食べられるかなぁ。
と、言った。
わたしはその時、子供の頃に見た絵本の聖書の天地創造の嵐を思い出していた。
同じ風景を見て、思考が全然違うので、笑った。
わたしには、全てを深刻に壮大に深く考える癖がある。
まぁ、厨2病ですわ。
で、
いけない、いけない
と、
今夜の夕飯や、明日の末っ子のサッカー当番や、月末の支払いの事なんかに着地する。
しかし、今週はちょっとお仕事の方が面白かった。
水曜日は石材鑑定の先生がいらして、
縄文時代の石器を見ながら、
ほら、ここ。縄文人がここに指を置いたの!
なんて嬉々としておっしゃっていた。
木曜日は、縄文の先生の土器分類の補助をした。
先生は、土器の中の繊維を見たり、縄の跡を見て、ウンウン言いながら、すごい勢いで時代を追う。
ほうら!草創期!
と、言われて差し出された土器を見ても、素人目にはわからないけれど、
先生の目が明るく輝いているので、すごさを理解した。
そうして仕事を終えた夜はすごい月で、妖怪でも集会しているみたいな夜空だった。
ああ、いろんな世界が平行して、存在している今だなぁ。なんて、思考は飛躍したけれど、
もし友が、あの月を見ていたら、
あんパンみたいだ、
なんて思ったりするのかな。
と、フと思いついたら、なんだかカラリと可笑しい気持ちがした。
目覚ましより少し前。
6時からリビングでボーッとする。
7時になったらよっこらせ。
お弁当と朝ごはんをつくる。
今は、学校が半日。
学童にいく末っ子のお弁当はご飯。
メヒ子ちゃんと次女のランチはサンドイッチでいいや。
そりゃそりゃ。
朝からいろんな物を作っているなぁ。
自画自賛!
さぁ、お仕事にだって行ってきます!
江戸時代の長屋の暮らし
という記事をネットで読んだ。
大家さんは長屋の人の暮らしの面倒をいろいろ見るけれど、
みんなの糞尿を売って現金収入があったらしい。
これ。
社会がまるく治まるしくみぢゃね?
人糞が貨幣の役目をしたら、うちみたいな子だくさんの家は自然にリッチという事になる。
みんな子供を産む。
はい、少子化解消。
子の糞尿がお金になれば、保育園をやりたい人も増える。
はい、保育園不足問題解消。
老人の糞尿もお金になる。
老人を預かるホームも潤う。
保育士や介護士のお給料も上がる。
はい、そういう問題解消。
オーガニックなどの食事をしている人の人糞はちょっと高く売れる仕組みにすれば、みんなそれを食べるからオーガニックな畑が増える。
人は健康になり、大地も自然になる。
はい、保健問題と環境問題解消。
たくさん糞をする成人男性のお父さんは、会社で糞尿をして会社の利益にするよりも、自宅で用をたして自分の家の収入にしていただきたい。
ワークバランスの見直しになる。
もちろん、戦争になんて行かせない。
ちゃんと家で、糞尿をしてもらわないと困る。
ああ!
すべてがうまく幸せになる!!
人糞をそのまま貨幣に
と、考えるのはエキセントリックなようだけど
人糞をエネルギーに変換して売れる仕組みなんて簡単にできそうだ。
つまり、わたしがいいたいのは、
なんかやってお金たくさん稼げる人しか価値がない世の中なんて限界があるっつーの。
うんち売れれば、みんな生きるだけで素晴らしいって仕組みの世の中になるんじゃないの!!
ニートとかさ、そういう問題が解消するわけですねえ。
って話。
ちょっと眠たくて支離滅裂だけどさ。
お前、うんちするから良い子だねって社会は、みんな笑ってるとこしか想像できない。
抜本的改革!!
だって、ちょっと前の江戸時代まで本当に肥やし売れて社会は成立していたんでしょう!
やればできるんじゃないのかなぁ。
適性診断
みたいなのを受けた事ある?
と、いう話になった。
五年前にハローワークの講座で受けた受けた!
んで、
芸術性だけが飛び抜けていた。あとは献身的と学術研究がちょっといい数値
こんなんじゃ、あたしの活躍する場は社会にはないなぁ
と、ひどく落胆した事を覚えている。
それまでは自分の事をそんなに偏った人間だとは思っていなかった。
普通に、普通の事もできると思っていたのだ。
しかし、なんだかうまくいかない。
モノゴトヲジュンヲオッテキチントヤル
的な事がからきし苦手なのだ。
なんでだ?
と思ってアーユルヴェーダの体質診断に行った。
脈だけで、先生には同じような事を言われた。
先日、ふとした事で占星術のチャートを出していただいた。
やっぱり同じような事が書いてある。
それで、何百回も見ている自分の手相を改めて見ると、相はここ三年くらいどんどん変わって、
より混乱さを極めている。
フフフ。
もう、笑っちゃおう。
安定するのは、難しい!
って、それは面白い事が次々起こるって事かもしれないし!!憂いません!憂いません!!