今日は街を、歩いた。
用事があったけど、こんなご時世だし、サッと済ませる、つもりのわたし。
信号を待っていると隣に立ったおじいさんが、
「この信号、なげぇな。」と言った。
杖を持って地面をカッカッと叩いている。
「なんにも見えねえんだよ。」
と、おじいさんは言った。
青になったので、
「青になりましたよ。」
と、声をかけた。
「おう。」
とおじいさんは言って、急ぐわたしの斜め後ろを追うように歩いてきた。気づいて、速度を合わせて歩く。お顔を拝見すると、確かに瞳が真っ茶色で、どこに焦点があっているのかはよくわからない。
横断歩道を渡り終えたので、
「段がありますよ。」
と、声をかけておじいさんに歩道の上に歩いてもらう。
それで新型ウイルスもあるから、なるべく距離を取って、つかず離れて!?歩いた。
「わかるよ。産まれた時からこの辺歩ってんだから。」
おじいさんのはっきりした声!
確かにこのあたりの人が話す訛りだ。わたしの子供達もおんなじような喋り方をするけど、指摘すると全く気付いていない。生粋の、秦野っ子。
「もう83年生きてっからよう。学生の頃なんかここは走ってあっちに抜けたんだよ。
あ、ここはガス屋。ここは履物屋だろ。ここはパン屋。この自転車屋はあっちにあったのが、越してきたんだよ。」
へえ。
でも、ちょっと変なのだ。
「ほら。あっちは八百屋。」
おじいさんが、指先した先にはカフェ。
そうか、おじいさんの目が見えていた頃の風景を教えてくれているんだ!
「ここ!俺が産まれた家。」
おじいさんは言った。
あら!わたしのお友達が前に雑貨屋さんをやっていた建物。いまはがらんどう。貸店舗の張り紙。
「もう誰の持ち物なのかもわかんねぇや。オレより上のアニキは、みんな死んじゃったから、聞けねえしな。」
「じゃあな。」おじいさんは言った。
急に、おじいさんは手をあげた。
さよなら、の合図だ。
え!?おしゃべりは淀まないけど、歩調はだいぶゆっくり83歳がわたしと話したくて一生懸命早く歩いてきたのだとわかった。
わたしと歩くのが、疲れちゃったのかな、と思い、
「どちらまで行かれるんですか?」
と、きいたら、
「ここだよ。歩くついでにな、様子見に。」
「ああ!パトロールですね。」
と言ったら、おじいさんは、ニカっと笑って、
「そうだよ!パトロールだよ!
じゃあな!またな!」と、手をあげた。
わたしは、
「また!また!」
と、もう、身体を半分進行方向に向けて歩きながら言った。
新型ウイルスがあるから、人と距離を取らなくちゃいけない。早く離れなくちゃ。と、思って、早足で歩きだしたら、悲しくて仕方なくなった。
また。
また。
過去の風景を見ているおじいさんの目に、わたしは映らないけれど、また、会いたいよ。おじいさん。お元気で。