お母さん運営の夏の学童。
夏休み最後の土曜日に行われる保育園の秋祭りで、毎年、学童さんは太鼓を披露する。
毎年なかなか素晴らしい演奏で、園児も父兄も職員も、拍手喝さい、一つの見どころになる。
やる気のあるお母さんに、今年は演目はどうしましょう。練習はどうしましょう。
子どもにちゃんとしたモノを下ろさないと!
と、せっつかれていた。
今年は、お母さん運営になって初めてである。
太鼓をカリキュラム的に体験させるんではなくて、みんなで夏中遊んだ最後の作品として位置付けたいと思った。
つまり、
上手い下手ではなくて、ちゃんとしたモノを下ろすではなくて、
子どもから湧かせる事を、意識しませんか?
と、提案した。
太鼓は、本当は、日本人の肉体労働の傍で発達して、祈りを込めて、捧げられたモノであるから、
やっぱり、ちゃんと、と言うならば、夏中みんなと、過ごしてエッサホイサと働いて、その掛け声が、唄やお囃子や、太鼓になるべきだ。
そんなのは、理想?
でも、今の日本の様々を見ていると、偉い人から言われた事をちゃんとやる生き方よりは、
みんなにムリと言われても、湧き出るモノを信じてやっちゃう。
そういう風に生きてる人の方が幸せに見える。
太鼓のリズムは、もう子どもたちの中にある。
それは、何かをやるぞ!という時の胎動、押し出す力になる。
ただ、それを強化したい。
わたしは、枠を与えて納めていくより、
枠を超えられる力を子どもには、つけて欲しいと願う。
って、きっとハチャメチャになる夏の学童を見て、誰もきっと、そんな意図があるなんて、思わないよな。
もうやりたいお母さんは、子どもの太鼓に混じりましょう!
一緒に横並びでやりましょうよ!
そう。オマケにただやりたがりのわたしでもある。
実際には、まとめていくの悩むんだろな。
でも、みんながいる!
みんなで、悩みながら、行きませう!!