野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

アルゼンチンのみなさんありがとう。

2017-12-31 10:45:08 | 子育ての事
息子が帰ってきた。

11ヶ月地球の真裏の外国で暮らしたのだから、とても変わっているかと思ったら、そのまんますぎてびっくりした。

息子のいたのは、アルゼンチンのブエノスアイレス近くの小さな街。

移民多数の国では、外国人がいても普通で、とりわけおもてなし、みたいな文化はないらしい。

だから、最初は苦労したみたいなのだが、後半は知り合いが増えてみんなによくしてもらって、とても良い経験をしたらしい。

それは、向こうのみなさんがくれたお土産を見たらわかる。

手作りの服。手編みの帽子。本。

なんというか、重みがある。

彼のカバンの中から次々でてくるいろんなものに、日本に溢れているパッと捨てちゃうようなプラスチックの物が一つもない。

本当にいい時間をすごしたんだね。

あー、帰りたい。

と、何回も言う彼。

ホームシックが一回転して、不思議な事になっている。


いつもとおんなじ、平和な1日。

2017-12-25 22:52:19 | 日記
クリスマスである。

このイベントで日本中でどれだけの鳥が食べられているのかと思うと、今日だけは鶏肉はやめよう、と、そんな心もちのここ何年か。

じゃあ、ショコさん。

ケーキ。ケーキは、いいでしょう?ケーキは食べるの?

と、聞かれて、

いや、なにも今日ケーキ買って、ケーキ屋さんの手を煩わせる事ないと思うんで、今日はやめとこうって、気持ちになりますね。

えええ。ショコさん。ディズニーランドは?ああいうとこはどうなの?いくの?

いや。ディズニーランドは、石でも木でもなんでも作り物なんで、行ったら行ったで全部叩いて確かめます。
よっぽどの事がないと行かないけど。

でも、アメリカのディズニーランドは、行ってみたいなあ。

なんだあ、ショコさん。
それはただの捻くれ者よ。

なんて、職場で隣の机の方との会話。

バレたか。

そうです。わたし、捻くれ者よ。

クリスマスだろうがなかろうが、世界中のみんながハッピーでメリーでありますように。

脳内整理。創作欲沸々。

2017-12-23 19:18:07 | 日記
『時間』が神様かもしれない、と思う。

とどまることがなく、全てを変容させ、万華鏡のように事物を組み替えていく力そのもの。

歩みを止めて、ゆったりと静まればいつでもそこに溢れ、

忙しい時間がないと、慌てると、すぐに切り離されてしまう。

時間を噛み締めて、神様を感じられるように注意しよう。

師走でございます。


って、フェイスブックの方に書いた。

わたしは今までも、『時間』に何度も救われた。

誰も見た事はないのに、確実にそこにある。誰も見捨てられる事はない。

やっぱり、神様みたいじゃない!?

と、一人で興奮している。

そしたら、だって、いつも一緒だから、外を探さなくていいんだ。

あああ!
この大発見を表すような物語を紡ぎたい!

息子のサッカー大会、娘のダンス発表会、古巣の保育園の閉園の会。そして、クリスマス!!

師走の大喧騒の真っ只中で、頭の中は一人ムフムフ状態。

縄文土器に触れる時の静かな興奮。

時間、という神様に、ひれ伏す感覚。

そういうのを丸ごと表す、物語。
書けないかなあ。思案中。




心象風景形成

2017-12-18 22:48:53 | 日記
また、やっちゃったよ!

なんと、ココハダに載せたブログのアドレス間違えてたって!

しかし!!

わざわざ、探してたどり着いてコメント欄で教えてくれた方がいました!

もう、本当にそれが嬉しい!!

毎日って、万華鏡みたいだと思う。
いろんな事のカケラがクルクル降り混ざりつつ、わたしの中に心象を形成する。

そりゃ、やってらんねーよ、な破片も混ざるけれど、全てが模様の一部になって、遠くから眺めたら美しい。

まさに今回の一件は、間違っちゃったけど、教えていただいた、という事で、わたしの中ではキラキラな出来事として認識されたのでありました。

と、言いつつ、次号は、気をつけまーす!!



差し上げてるのに、いただいている。

2017-12-14 20:34:50 | 日記
フリーペーパーココハダデビューを果たして、なにか日常が変わったかというと、全然変わらず。

あいも変わらず、遺跡発掘の調査事務所の一室で、パソコンに向かって図面描き。

でも、職場の仲間にも、配っちゃった。わたし、こういうものでございます、と、新たに自己紹介したような気分。

いままで、わたしは漫画描いたり、文章書いたりしたら、それでおわり。
もう出したら気が済んじゃって、その後の事はどうでも良かったフシがある。

でも、今回は、ココハダを車に積んで、合間合間に配布している。

これが、なんとも楽しい!!

みんなが、ココハダを見たとたん、あ!って顔をしてくれるし、

すぐに手にとって感想を言ってくれたり。今回は、ラーメン特集だったので、オススメ店は?と聞かれたり、食べ歩きします、と言ってもらったり。

わたしなんて、新参者だから、こんなに街のみなさんに愛されているフリーペーパーを作り上げてきた諸先輩方の来た道を思う。

だから、余計に、みなさん!見て見て!と、なる。

写真は、白笹稲荷神社に設置していただく分を持っていったら、
せっかくだから差し上げます、と、逆に、いただいた境内の銀杏の木の銀杏。
パワーいり、らしい。

つまり、そういう事。

みなさんに差し上げているのに、いただいているんです!!
パワーを!!!

ホントにありがとうございます!




ココハダ

2017-12-10 19:18:46 | 日記
お知らせ。

秦野唯一のフリーペーパー
ココハダに、わたし一ページいただいて、エッセイ的な文章を書いています。

ここに至るまでの道のりがまた、ちょっと、面白いんですが。

あのフリーペーパーになんか書かせてもらえないかな、って呟いたその相手が、
あ、代表知り合いだよって、マッハで連絡をとってくれて、とんとんとん。と。

いや。本当に、今まで何度、雑誌の編集部に投稿しては落ち、書かせてくれと言っては、プロがいますから間に合ってますと言われた事か。

そうですよね。わたし、プロじゃないんです。
でも、わたしで有ることについては100パーセントわたしなんです。だから、わたし、わたしの文章を書きますよ。

と、もういい加減、奇跡もおこさず、エコ贔屓もしてくれない神様に、逆ギレしたわたしが開き直ったゆえの展開だった。

とにかくね!みなさん!
読んでください!!!秦野市内400カ所で配布中!ただいま絶賛お届け中!

取材から編集から配布から、全部ボランティアで成り立っているすごいフリーペーパーです。

プロじゃないから、すごい。

ふふふ。実は、そういうフリー(無料)でフリー(自由!)な冊子です。

関わる事ができて、本当に嬉しい!神様、ありがとう!!って、また神様を持ち出すわたしは、ちゃっかり者かしら。


大先生とお会いして。

2017-12-05 20:04:28 | 日記
よし。この道を行くんだと、決意が神様に聞き入れられたのか、素敵で不思議な出来事がいくつかあった。

その中でも、ひとつ。

ある土曜日。我が仕事の上司であり、大学の講師でもある方と、とある大学の学食で縄文時代について語らっていた。

すると、事務の男の人がかけてきて、我が上司に、

先生が部屋に一人だから、お相手して!

と、声をかけて、またパタパタと行ってしまった。

行こう!!

と7月に還暦を迎えた我が上司だが、颯爽と立ち上がった。

え。わたしなんぞが、いいのかな。
この大学卒でもないし。紛れ込んで学食のベジ定食食べてるだけなのに。

と、うろたえつつも、上司の後に続く。


学食の奥の扉の向こうにまだ扉があって、博物館実習室やら、研究室があった。

随分高い天井なのに床からびっしり本の詰まった本棚に四方囲まれた部屋である。

そこに、先生は座ってらした。

縄文と言えばこの方という研究者で、何冊も何冊も本を書き、テレビにでているのも拝見した事がある。
80歳の大先生である。

わたしは、うわ〜〜!とびっくりしてしまった事もあるし、縄文時代の事をそりゃお話してみたいけれど、すぐに勉強不足が露見してしまうだろうし、先生のオーラがすごいしで、満足な自己紹介もできずに、しどろもどろしてしまった。

それでも縄文人の慣習の事、土偶の話を伺えた。けれど、全部僕の本に書いてある、との事。
読んでから聞くべきでしたすみません。

話題は、研究室にいた先生たちとだれだれさんが本を出した、とかそんなになる。立て続けだからね、内容がね、みたいなムード。

大先生が、

うーむ。と、眉をひそめる。

昔は本を出すって大変な事だったよ。今は、気軽に出せる環境もあるみたいだけれど、本を出すという事は、本当は、恐ろしい事なんだよ。

と、おっしゃった。

まさに。
ずっとこの道で生きてきた、偉大な先生に頂いた大切な言葉だと思った。

わたしがこうやって綴った文章も、一旦わたしの手を離れたら、面識もない方々の目に触れる、その恐ろしさをもう一度肝に命じた。
わたしが、いつまでも、表現、活字、言葉のパワーに酔って翻弄される事がありませんように。

真摯に自分自身にむかえますように。

とてもとても、貴重な体験をさせていただいた。

先生、神様、ありがとうございました。



道なんかない。意志しかない。

2017-12-04 20:46:17 | 日記
ブログの更新がいままで粗になっていましたが、
実は、実生活での創作活動は充実しておりました。

まず、十月の終わりに、編集講座なるものを受けに、大阪に行ってまいりました。

どうしても行きたい講座だったので春から泊まりがけで行く計画を虎視眈眈と進めていたのに、まさかのサッカーお当番とトイレ当番までもがその週にブチ当たり、おまけに台風上陸!!肝を冷やしました。

実は占星術で、わたしはやりたい事をやるのに障害があるという星があるそうで、きたか!やはりな!と、思いました。

でも、はっきり言って邪魔されるなんて慣れっこ。子供四人抱えていつでも自分の事は二の次だったのです。

お当番を代わってくれたお友達に感謝し、新幹線のなかでも子供を遠隔で指示し、携帯電話の充電がやばい!となった途端に、コンセントのある席が空いたので移動。

ありがたや。ありがたや。

障害は、ある。でも、ソレを乗り越える面白さをわたしは選んできたのかも。ちゃんと場面場面に、助けは現れる!
(強くなってきたものです。)

でね。
なんとなく、わたし自身が代わってきたと同時に、わたし、ちょっと、ある確実な手ごたえを感じ始めているんです。

じつは、大阪の講座に、やっぱ、文章書こう、と、一編の文章を書いて持っていきました。

それをみんなで読んで練るような事も講座でしたんですが、そこにいる女子が、わたしの文章をグッと読んでくれたのです。

わたし、小さな頃から、なんか女子女子した感じが苦手で、いつも男子の中に混じっちゃったりして、それがまた女子の反感かったりして、よく身の置き所がわからないなあ、という人生だったのです。

でも、日記書くのが好きで、話すのは苦手でも、文章なら自分の気持ちを現わせるかな、という感じはあったんです。でも、そんなん、いちいち人に見せないし、親友にだけお手紙で書いたりして。
ブログも、日記の延長のつもりでやっとります。

でも、そう、
講座で、何年ぶりかにちゃんと文章を作品として作って、それで女子たちがグッときてくれている、というのが、本当に、、、、沁みました。

それとね、モヒトツ、文章書いたの、(これは近日中にみなさまにお披露目なります)
そこでも、女子たちが、グッと読んでくれた。

あー!こんな幸せあるかいな!!

わたしの幸せが、人の幸せになったんだもの!!!

あ。だからと言って、どうも、わたしには、有名になるような星は、ないかもしれない、、、
インド人のアーユルヴェーダの先生に、人に認められるのと自分の作品を創るのは別の事。と言われております。

でもさ、目の前の人達に幸せ分けられたらいいんだ。
死んでから作品認められる、そういう芸術家なんて山ほどいるし!

たとえ認められなくても、どうやるか、に手は抜けません。


と、いう事で、大阪にも行かせていただき、帰りは台風で新幹線が止まったので一泊延泊。
大丈夫、と家族が言ってくれたので延泊したんですが、帰ってきて、干していった洗濯物がまだ外に干してあった衝撃!(台風だったよね?)

少しづつですが、自分の仕事を進めていきたいと思っております。
絶対やめない!!



全てお見通しされている朝

2017-12-03 08:28:50 | 日記
今朝、朝ヨガに行こうと車に乗って、正面を見たら、ギョッとした。

月の周りに何かかかっている。

光彩という月の輝きが反射して輪をつくる現象より、もっと確実で、ちょっと異様な感じ。

携帯電話を取り出して、カメラで何回も撮ってみたけれど、たちまちレンズが曇ってしまってうまくいかない。

これは、なにかマズイ現象なんじゃないか。
あちらからこちらを覗かれているような、こちらがあちらを覗いているような。

直前まで見ていた夢が、おばあちゃんの夢だった。もう20年も前に亡くなっている。

だから、ちょっと、ドキドキした。
わたしはおばあちゃん子だったし、縁が深かったので、亡くなっても、亡くなった感じのしない存在ではあるのだが、リアルに質量を持って目の前に出てこられたりしたら、ちょっと、ビビるだろうな、やはり。

朝ヨガクラスまでには、丘を超える。
丘を超えて、あちら側からみると、
雲がちょうど月にかかって、満月にほど近い輝きが雲を透かしていただけだった。

しかし、あんな風に、わたしが見る角度を計算したかのように、あんな風景を創り出しちゃうなにか。

やっぱり、

やっぱり、

なにか大きいモノって、いるとしか考えられなくて、

小さいわたしのワタワタ振りに、苦笑い。





夏の学童の話。その15。こどもレストラン、完結!

2017-12-01 18:22:38 | 子育ての事
こどもレストラン開店となると、子供たちは、入り口にならび、料理の後ろに並び、
いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!
の大絶叫。

お客さんは入り口で200円払って、あとはビュッフェ方式だから、子供たちも食べてまわればいいのに、まずは、お客さんたちにサーブ。偉い。

わたしもところどころで声をかけられ、サービスしてもらい、
ねぇ、ねぇ、固まらないゼリー、案外評判いいよ、
しょうこちゃん、しょうこちゃん、サービスで大盛りにするよ
なんて、囁かれて、嬉しい。

お客さんのお母さんたちからも
子供たちがイキイキしてる!いいねぇ。いいねぇ。
との声。

先代の園長に、
労働さえも遊びのように楽しめるように
と、再三言われた。

それが、なかなか難しくて、大人に言われてやらされる感がでると、
たちまち、あいつがアレやってない、コレやってない。と、人のアラを探すような行為が目についてきて、
仕方ないとイヤイヤ仕事する団体になり、その内容は、雑で心のこもっていないものになる。
そんな、義務をこなすのが人生だ、みたいな価値観、子供たちに植え付けたくない。

こんな小さな頃から、我慢でやり通す姿勢を染み込ませて、
それは、報われる保証はないし、むしろ、一生涯を徒労で終わらせる結果になりかねない。

だから、自由奔放でいい、わけではなくて、
背筋を正す気持ちよさ、他人の為に動く気持ちよさ、他人となす事のハーモニーの気持ちよさ。その回路を子供たちの中に開いていきたい。

原動力の源が、快、であって欲しい。

どうしたらいいかな。考えた結果のこどもレストランである。



昨年のキャンプのこと。日中みんなで自由に、ゆったり遊んでいるときに、
雨がいきなり降ってきた。

薪が濡れちゃう!!
と、そこにいた子供たち10人くらいで、必死に薪を屋根のあるところに運んだ。

薪の棘が手に刺さる、なんてかまわずにみんなで必死にやった。

そのとき、誰も傍観者はいなかったし、誰も力の出し惜しみもしなかった。

それで、薪をしまって、ああ、一安心って、みんなで雨を見た。

なんて言うのだろう。

こんな事の連続の日々なら、不登校や、鬱や、自殺、なんて、起こらない社会になるかも。

なんて、わたしの祈るような気持ちから始まったこどもレストラン、と言う事には誰も気づかず、宴は、終わり。

5、6年生で大急ぎで片付けるから、四年生は、1、2、3年生を風呂に入れて!!寝る!!

大量の片付けを必死にこなし、やれやれ、と、風呂に行くと、5、6年女子が風呂からあがるところ。

ああ、良かった。女の子たちが仲良くなった。と、安堵。


こんな風にわたしの夏は終わりました。
書くのに随分時間がかかっちゃったけど、読んでくれたみなさん、ありがとうございます。

わたしとしては、子育ての話はおしまい。次の課題に向かっています。

自分育ての話になっていくかなあ。