野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

ふわふわの布団に寝る。

2014-09-28 08:18:37 | 日記


とにかくすさまじい多忙っぷりだな。
端から見ていて、思っていた。

板の上に寝る娘である。
(本当は、詳しく言うと、板の上に寝るおばさんに憧れて、薄い布団の上にペラペラのシーツにくるまって寝ている)


文化祭のダンス部の舞台を見たら、なるほど、これを作っていたのか、納得。

それを終えても、また部活だが片付けだか、朝から晩までいない。ホッとする間もないわけね、と思って見ていると、荷物をまとめている。

山形に修学旅行のような研修旅行だそうだ。

農家のお宅に三泊四日ホームステイさせてもらうそうである。

出発の朝、四時に起きてガタガタ朝支度をしている。

昼食はあちらで芋煮会だそう。ルンルン機嫌がよろしい。

5時半に送り出す。


ところが、
明日帰ってくる日。

担任の先生から電話。

娘があちらで発熱してしまったそう。

えええ!
以前にも忙しくしていた真っ只中に、扁桃腺を腫らしたことがある。
おっと、そうなのか、あの子は喉のあたりが鬼門なのか、と、そろそろ親の私はわかってきた。

しかし、わかっても、今回は私の手元にいない。
手当てのしようがない。
娘は横になるスペースを与えていただければなんとか過ごすだろう。

遠方で、先方にご迷惑をおかけしていないか。それがハラハラ。

担任の先生から逐一お電話をいただく。

ステイ先の娘さんが看護士さんで手厚く看病していただいてる様子。


あああ!そうか!
あたたかい芋煮などをいただいて、あたたかいお布団で寝させてもらって、
とっても良くしてもらって
ホッとして
バタンキューしちゃったのかもしれない!


今回みんなに良くしてもらって、きっと娘はみんなにそうしてあげられる人になるのだろうな。

親なんて、なんにもできない。

皆様。もしいるのなら神様。病気はチャンスというけれど、
本当に貴重な体験をさせていただいた娘であります。
ありがとうございます。
じゃ、なんだか足りないな。しみじみ。


おひさまディ

2014-09-22 08:54:50 | 日記


昨日はよく遊んだ。

突然にお声をかけていただいた、流しそうめん大会はいつの間にか水掛け合いになりずぶ濡れの子供たち!

そして突如始まったケーキデコレーション対決。

豆腐クリームに紫芋を混ぜてピンククリームがなかなかいい感じ。

男の子がリーダーのチームはワイルドライオンケーキ。
おしゃまな三年生女の子チームはカーネーションケーキだって!

どちらのチームのとしてケーキが素敵か!張り合っていたはずなのに、最後に男の子リーダーが

オレもカーネーションケーキ食べたい

と言ったのは笑った。

十三年前の始まりの話

2014-09-18 19:20:25 | 子育ての事
犬や鳥の育て方なんて本は本屋にいけば簡単に手に入る。

なのに、人間の育て方は流派が別れに別れ、どれが決定打なのかよくわからない。
ともなれば、親は錯綜している情報を取捨選択して、一人の人間を育てていかなくてはならない。

ワタシより先にいく人類の先端を育てるのに、経験不足で自分のこともままならない小さなワタシの器で事たりるのだろうか。

子育てに言われているのが、母親の愛情がどうとか、誉めましょうとか躾ましょうとか、心理面からの話に異様に片寄る。

いや
そういうんではなくて。

モヤモヤしつつも、もっと本質的な事を、
と、常々思っていたんだと思う。

自然食やら穀物菜食やら自然療法やらにはまり、シュタイナーの本をむさぼり読み、

そうこうしているうちに、長男は六歳、長女四歳、次女一歳半のとき、ある保育園に、出会った。

確か年末の寒い時期に、子供たちは、半袖半ズボン。
それより印象的だったのは、保育者の大人が半袖と素足に草履だったことだ。


斎藤公子
よく知らない。

でも、何もない土の園庭に土の斜面。園舎は外側から見るかぎり、工事現場のプレハブだった。
子供たちは半分斜面の園庭を、鬼ごっこなのかかけっこなのか、縦横無尽に駆け回っている。
そのとき園児は十人いたかいないか。無認可の保育園がこの工事現場のプレハブ兼ゴミ捨て場跡を、保育のできる状態にして引っ越してきてからまだ三ヶ月、とのことだった。

その十人弱の子供たちは、昨今見ないような鼻水のたらしっぷりで泥だらけになって半裸で遊んでいる。

ちょっと懐かしい感じ。
自分の子供時代みたい。公園さえもない山で育ったので、遊具のない土だけの園庭が懐かしい感じだなぁ、と思った。

テンションが上がりつつある私の横で、ふと気がつくと四歳の長女が固まっている。
あれ?泥に触れない?

長男が小さな頃は茨城に住み、畑を借りていたので子供は泥んこ遊びが大好きなものだとばかり思っていた。
しかし、その元気な長男を追いかけ回すのに必死で、二歳下の長女はいつも私の背中にくくりつけられていたんだろうか。

まずい。

これは大変に大きなことに感じられた。

自由への教育

自由に教育するのではなくて、

自由に生きられるように教育せねばならないのに。

泥が嫌だ、が理由で、やりたいことに制限がでれば、それは相当に不自由な人生になる。

泥とか虫とか、動物の毛並みとか匂いとか、
例えばそのようなモノたちと隔絶された人生なんて不幸以外の何者でもない。

なぜなら、人間はそれの一部だから。
あの日は全然知らなかった斎藤公子の保育理論は、まさにそれを言っている。
個体発生は系統発生を繰り返す。

自分のルーツを否定し受け入れられない、それが人生のスタート地点。そんな子供時代を子供にプレゼントしたくはない。

幸いな事に、公開保育が終わるまでの短い時間の中で、娘は泥遊びに慣れ、
また、ここに来たい!
と、言った。

来たい、どころか、それから10年その保育園にドップリハマる事になるとは、その日は思いもしなかったのだが。



斎藤先生の保育理論が、保育園などの組織の中で実践されていく場合の捉え方と、
子を持つ一人の母親としての私個人の捉え方と差があるかもしれない。

私が書けるのは、
母親が捉えた保育理論と実践。

いや全然違いますよ。と、専門家からは言われてしまうかもしれない。

それでも、待ったなしで子供に対峙する母親のポジションというのは相当にでかい。

なにかに遠慮することなく、私が捉えた保育理論をしばらく書いていこうと思う。

質問等あればコメントお願いします。答えるような記事を書いていければと思っています。

海辺の村へ

2014-09-17 21:33:42 | 日記


自分の生い立ちを考えるといつも、ちょっと不思議な気持ちがする。

西の方の日本海の漁村育ちの父と、
北の方の日本海沿いのお街育ちの母が、
ギリギリ駿河に接した関東の山中で暮らしているところに生まれ落ちたからだと思う。


小さな頃から、父と母は生活の中で海海海と言い続け、
小さな私は山間から見える狭い空の向こうに、すばらしい海を思い描いた。

ゆえに山の中の小さな娘の中に、いつもどこかエトランゼみたいな心境が育っていても仕方がない。


山をおりて麓の高校に通う事になったとき、

親友になったのは海辺の民宿を営む家の子だった。

彼女の小麦色の肌や、醸し出す開放的な雰囲気はまさに、海のミューズが具現化したかのように思われた。

そして、私は高校時代、ちっとも勉強しないで、海の傍らの彼女の家に通った。

何をしていたかは、全然思い出せないのに、風景の色彩の鮮やかさ、人々の開けた感じ、そして砂が皮膚にまとわりつく感覚などはいつでも鮮明に蘇る。

海が好きとか、懐かしいとか、そういうのとはちょっと違う。

たまらない。
そう言えば近いだろうか。

小さな頃に、父母が、海の話をするとき、これと同じ感覚を抱いていたのだと思う。


先日叔父さんが持って来てくれた、父の生まれ育った小さな漁村の写真。

ここからのDNAが私に流れていたのなら、仕方がないな。急に自分の中のいろいろな事に合点がいった。

いつも抱いている、どこかに行きたい。覗いてみたい。
そんな欲求は、帰りたい、の端っこだったのかもしれない。

板の上に、寝る。

2014-09-15 18:22:43 | 日記



高校二年の娘は、部屋の窓を開け放して、薄っぺらな布にくるまって眠っている。

寒くなってきたし、もっとフワフワの布団出せばいいのに

と言うと、

台湾で大きな事業を成功させたおばさんは、板の間に寝るんだって。
私も寝心地がいいといっぱい寝たくなっちゃうから。

とのこと。

私は驚いた。

この娘、夜は9時過ぎに帰宅し、12時過ぎまでダンスの衣装作りやら勉強やらモソモソやっている。
それから朝は五時に起き、電車に飛び乗っていくのである。

平日は私にあまり会うことがないくらい何かを活動的にこなしているらしいのだ。

あのバイタリティーはなんだ。

長男と、よほど頑丈な体質なんだろうと話した事がある。

しかし、どうやら、自分で自分を律しているらしい。

私は眠るのが大好きで、天蓋付きの羽枕で眠るのが夢…なんて思っていたのだが、
娘の話を聞いたら、

ヤバい、板の間で寝てみたくなってきた。

2010年10月20日発行の保育園の広報紙から。

2014-09-02 19:39:54 | 過去に書いたもの。
リズムを学ぶ


ピアノの音が鳴り、子どもたちが目を輝かせていっせいに飛び出してきます。
金魚になったり、どんぐりになったり、様々な動きが盛り込まれたリズムあそび。斉藤保育の大きな特徴です。

「私はいままでの幼稚園教育で行われてきていた『お遊戯』に疑問を持ち、独自に生物の進化をなぞらえる『リズムあそび』を考え出してきて、それに見合う曲をつけて本にした。『さくら、さくらんぼのリズムとうた』(群羊社)という本である。」斉藤公子「生物の進化に学ぶ乳幼児の子育て」(かもがわ出発2007)」

歩みを覚えた人間は、二度とハイハイをしなくなります。ゆえに、人間の土台を作り上げていく時期に、生物の進化をなぞらえる動きを充実させることはたいへんに重要なことです。

おなかの中で進化の過程をたどる人の子の発生を受精卵までさかのぼると、受精卵が分裂するとき、その源は小さな振動です。金魚運動は全ての運動の基本です。金魚運動が、しなやかな背骨をつくり、しなやかな背骨がたくましい体と豊かな感性を育みます。
このリズムあそびは、単純な金魚運動から、年長期ともなると多様化し、様々な文化の要素も盛り込まれ(竹踊りに苦労なさった保護者の方もいらっしゃるのでは?)、空間を読む力、仲間と息を合わせることも要求されるように発展していきます。

斉藤先生の目指す、『全面発達、人間の土台』が全て集約されています。


カテゴリー追加しました。

2014-09-01 20:45:12 | 日記
子育ての事は常々書かねばと思っている。

私の子供たちが素敵に育っているかどうかはおいておいて、(だって子育ての結果なんていつでるかわからないから、判断のしようがない)
でも、子育てのコツ的な事を聞かれる場面が多いのだ。

私自身が、子供を四人も抱えて、大変そうに見えない
と、言われた事がある。

おおらかよね~と言われた事も多々ある。

多分、そのあたりが先輩ママみたいなムードを醸してるのかもしれない。


しかし、子育てを語るには、もう少し専門的な話が絡んでくる。
それにまつわる、ある保育園の園長との日々も書かなくてはならない。


先行して、保育園の広報新聞に私が過去に書き散らした文章をアップしたい。

断片的な文章だが、子育て真最中のお母さんたちにはヒントになる事がちりばめられていると思う。

いま、読み返ししても、てにをはをも直したいくらいのものもあるが、なかなかいいなぁと自画自賛。

カテゴリーも一つつくるからね。奮闘中のお母さんの為になるかな。読んでくだされば幸せです。

2011年2月5日発行の保育園の広報紙から。

2014-09-01 20:45:09 | 過去に書いたもの。
充実させたい文字獲得前夜



O保育園のテレビ文字おもちゃ食事などの制限を何故だろうと思われる方もいるでしょうか。

そのヒントは、人が人間として発達してきた道筋にあります。

個体発生は系統発生を繰り返す。
皮膚刺激、金魚、両生類ハイハイが基本の保育です。六歳までの子供は、文字文化獲得以前を生きています。

ラスコーやアルタミラの壁画を見ると文字文化獲得以前の古代人の発達の高度さがわかります。
土器の装飾から数の概念を使いこなしており、遺跡からは太陽や星の動きから天体や時間を把握していたことがわかるものが世界中にあります。

つまり、そこには文字以前になんでも創りだせる体と心があるのです。

本物の体験から自分で獲得する…文字文化との出会いもそうあって欲しいものです。