クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

朴の大好きな弟のお話 前編

2017年11月21日 | あの頃 朴は若かった
18年前、弟は娘を亡くしました。

生後わずか2週間のとても小さな命でした。

弟は北海道で軽労働派遣の会社を経営しています。たくさんの挫折を様々な人に助けられて乗り越えて、今では立派に成功して、地元に恩返ししようと頑張っていて誇らしく思います。


弟と離れて暮らした30数年の期間を埋めるように、親の介護のこともあり、今、僕ら兄弟は昔のように仲良く毎日話しています。

そんな兄弟仲ですが、弟が娘を亡くした18年前まで私は弟が憎くて堪りませんでした。

弟は若い頃から色々と先が見えづらい事業を人口の少ない北の街で安易に立ち上げては失敗し、少なからない借金を作っては両親に泣きつきの繰り返し。何をしても上手くいかない空回り、態度も荒んでいるように感じたものです。

両親も助けなければよいものを、定年後の年金や僅かばかりの貯金を崩し、満期目前の生命保険を解約し弟に工面し続けていました。

当時の状況では返す当てのないお金です。実家
に頼めなくなると今度は私に泣きついてくる始末。挙句の果て、父の兄弟(叔父叔母)に母が借りにいくという過保護さ。

実家にお金が無くなると手先の器用な父は65歳を超えているのに大工仕事を手伝いに行ったり・・・。定年後のんびり暮らすはずだった両親は、弟によって随分苦労させられました。

私がたまに帰省すると母親は弟の愚痴ばかりこぼします。であればもう助けるな!と何度言ったことか。それでも過保護の両親は助けることを止めません。

私はそんな両親も弟も憎くて堪らなかったのです、もう共倒れしたらよいのです。

でも決まって母が言うのです。
親しか頼るところないのさぁ
しょうがないっしょ、息子だから。

そして、反目している僕ら兄弟に
いつも父が言うのです。
兄弟ふたりきりなんだから
仲良くしなきゃダメだべさ。


と言われても仲良くできるわけありません。
両親の辛い姿を創ってるのは弟なのですから。

当時弟には4人こともがいました。みんな素直でいい子たち。

そんなある年に帰省してみると義理の妹のお腹が大きいことに気づきました。

借金の肩代わりを両親にさせといて5人目?
生活できるのか? 

何を考えているのか何も考えていないのか、いつも愛想のよくない義理の妹のお腹を見て弟夫婦に呆れたことを覚えています。

To be continued