慌てて家を出てから数時間後、弟の自宅に着きました。産まれて2週間、祭壇に遺影はありません。
代わりに可愛らしい花がたくさん飾られていました。
弟が心配していた親戚だってたくさん駆け付けてくれていました。
多分、お袋が連絡をしたのだと思います。
よかった・・・
「あ、アニキ、わるいな遠いとこ急に来てもらって・・・ アニキ、顔を見てやってくれるかい?」
「抱き上げてもいいのか?」
「抱いてやってくれるのか?」
「当たり前だ、他の4人は全員抱き上げてるよ。」と愛らしい小さなベビーベッドに眠る姪を抱き上げて頭を撫でました。
冷たいな・・・
そう思うともう涙が止まりません。
「ほら、○○・・・ 良かったね、抱っこして貰って・・・ 東京の伯父さんだよ。パパのお兄さんだよ・・」
「・・・・・」
「な?、アニキ・・・ ただ寝ているみたいだべさ。息しているみたい・・。起きないかなと思って見てるんだけど・・」
「そうだな・・ 寝てるみたいだ・・」
「でも起きないんだよ・・・可哀想に・・・ 2週間だよたったの・・ 抱いてやる時間もなくて・・・ 何のために産まれてきたんだろう? 苦しかっただけなのに、何でだろう・・・」
私は冷たくなった頬を撫で、小さな手のひらを握りながら、産まれて直ぐに逝ってしまった姪の哀れさを思い、弟の深い慟哭を受け止めるように彼を抱きしめて一緒に泣き続けました。
そして通夜が始まりました・・・
翌日の告別式、故郷の空は穏やかで青く高く澄んでしました。
(何故だか火葬場へ向かうマイクロバスの運転手がいなくて、親戚縁者を載せたバスを私が運転する羽目になってしまいました)
火葬場
お別れの時、小さな棺に蓋をしなければなりません。
弟は大声で「ごめんね・・ ごめんね・・」と泣き崩れます。
4人の子供たちも一緒に遊ぶはずだった小さなちいさな妹を泣きながら見送ります。
いよいよ出棺の時、
弟は「アニキ、○○は熱くないよね?絶対熱くないよね?苦しくないよね?」と痛いほど私の手を握りしめました。
私は「・・・・ 大丈夫、熱くないよ・・・ 大丈夫だ!」と握り返しました。
これしかなかったのかと思うくらい小さな骨を兄弟で泣きながら拾って弟宅へ戻り、遺骨を祭壇に置いて改めて御坊様にお経を上げて頂きました。
(帰りのマイクロバスの運転も私でした・・・)
皆一息ついて、部屋には私と弟の二人になりました。
そこに御坊様がやってきて静かに話し始めました。
「あなたは喪主のお兄さんですか?あ、そうですかぁ、やっぱりそうですよね。喪主の弟さんとはずっと離れていたのですか?兄弟仲違いとかしていたのですか?」
「・・・・・・」
「さっき出棺の時にね、お兄さんと喪主の弟さんの間に2~3歳くらいの可愛い女の子がいて、ふたりの喪服の裾を引っ張りながら、ふたりを見上げてニコニコと笑っていたんですよ・・・」
「・・・・・・」
「お兄さんが、喪主の弟さんの手を握り返した時に、その女の子はホッとしたように微笑んで、ゆっくり消えて行ったんですよ・・・」
「・・・・・・」
「兄弟で今まで何があったのか知りませんが、その女の子はおふたりのことをとても心配していたんだと思いますよ。」
「・・・・・」
「命を授かって、僅か2週間で○○ちゃんは亡くなってしまい、産まれたことに何の意味があるかとその不条理さに泣きくれることもあるでしょう・・・」
「・・・・・」
「でも、こうやってお兄さんがすぐに駆けつけて、喪主の弟さんもお兄さんに頼って、一緒に泣いて・・・・。こう言っては何ですが、私はあなた達兄弟がお互いを許し、認め合って、昔のように
仲の良い兄弟に戻れるきっかけを作ってくれるために産まれてきたのかもしれないと思うのです。」
御坊様のお話の途中から僕らはもうその答えに気付いていました。
気づいていたから涙が止まりませんでした。
気づいていたけれど、僕らの出来の悪い兄弟を仲良くさせるためだけに産まれてきたなんて本当は認めたくなかったのです。
それじゃあまりにも可哀想すぎるじゃありませんか・・・。
あれから18年経ちました。
僕ら兄弟は藤沢と北海道と遠く離れて暮らしていますが、姪が命をかけて気づかせてくれたおかげで、
この歳になって兄弟らいいことが一緒にできるようになりました。
両親共々の介護や面倒を看ることはしんどいですが、
弟と一緒に乗り切っていかなければなりません。
そう強く思うのです。
代わりに可愛らしい花がたくさん飾られていました。
弟が心配していた親戚だってたくさん駆け付けてくれていました。
多分、お袋が連絡をしたのだと思います。
よかった・・・
「あ、アニキ、わるいな遠いとこ急に来てもらって・・・ アニキ、顔を見てやってくれるかい?」
「抱き上げてもいいのか?」
「抱いてやってくれるのか?」
「当たり前だ、他の4人は全員抱き上げてるよ。」と愛らしい小さなベビーベッドに眠る姪を抱き上げて頭を撫でました。
冷たいな・・・
そう思うともう涙が止まりません。
「ほら、○○・・・ 良かったね、抱っこして貰って・・・ 東京の伯父さんだよ。パパのお兄さんだよ・・」
「・・・・・」
「な?、アニキ・・・ ただ寝ているみたいだべさ。息しているみたい・・。起きないかなと思って見てるんだけど・・」
「そうだな・・ 寝てるみたいだ・・」
「でも起きないんだよ・・・可哀想に・・・ 2週間だよたったの・・ 抱いてやる時間もなくて・・・ 何のために産まれてきたんだろう? 苦しかっただけなのに、何でだろう・・・」
私は冷たくなった頬を撫で、小さな手のひらを握りながら、産まれて直ぐに逝ってしまった姪の哀れさを思い、弟の深い慟哭を受け止めるように彼を抱きしめて一緒に泣き続けました。
そして通夜が始まりました・・・
翌日の告別式、故郷の空は穏やかで青く高く澄んでしました。
(何故だか火葬場へ向かうマイクロバスの運転手がいなくて、親戚縁者を載せたバスを私が運転する羽目になってしまいました)
火葬場
お別れの時、小さな棺に蓋をしなければなりません。
弟は大声で「ごめんね・・ ごめんね・・」と泣き崩れます。
4人の子供たちも一緒に遊ぶはずだった小さなちいさな妹を泣きながら見送ります。
いよいよ出棺の時、
弟は「アニキ、○○は熱くないよね?絶対熱くないよね?苦しくないよね?」と痛いほど私の手を握りしめました。
私は「・・・・ 大丈夫、熱くないよ・・・ 大丈夫だ!」と握り返しました。
これしかなかったのかと思うくらい小さな骨を兄弟で泣きながら拾って弟宅へ戻り、遺骨を祭壇に置いて改めて御坊様にお経を上げて頂きました。
(帰りのマイクロバスの運転も私でした・・・)
皆一息ついて、部屋には私と弟の二人になりました。
そこに御坊様がやってきて静かに話し始めました。
「あなたは喪主のお兄さんですか?あ、そうですかぁ、やっぱりそうですよね。喪主の弟さんとはずっと離れていたのですか?兄弟仲違いとかしていたのですか?」
「・・・・・・」
「さっき出棺の時にね、お兄さんと喪主の弟さんの間に2~3歳くらいの可愛い女の子がいて、ふたりの喪服の裾を引っ張りながら、ふたりを見上げてニコニコと笑っていたんですよ・・・」
「・・・・・・」
「お兄さんが、喪主の弟さんの手を握り返した時に、その女の子はホッとしたように微笑んで、ゆっくり消えて行ったんですよ・・・」
「・・・・・・」
「兄弟で今まで何があったのか知りませんが、その女の子はおふたりのことをとても心配していたんだと思いますよ。」
「・・・・・」
「命を授かって、僅か2週間で○○ちゃんは亡くなってしまい、産まれたことに何の意味があるかとその不条理さに泣きくれることもあるでしょう・・・」
「・・・・・」
「でも、こうやってお兄さんがすぐに駆けつけて、喪主の弟さんもお兄さんに頼って、一緒に泣いて・・・・。こう言っては何ですが、私はあなた達兄弟がお互いを許し、認め合って、昔のように
仲の良い兄弟に戻れるきっかけを作ってくれるために産まれてきたのかもしれないと思うのです。」
御坊様のお話の途中から僕らはもうその答えに気付いていました。
気づいていたから涙が止まりませんでした。
気づいていたけれど、僕らの出来の悪い兄弟を仲良くさせるためだけに産まれてきたなんて本当は認めたくなかったのです。
それじゃあまりにも可哀想すぎるじゃありませんか・・・。
あれから18年経ちました。
僕ら兄弟は藤沢と北海道と遠く離れて暮らしていますが、姪が命をかけて気づかせてくれたおかげで、
この歳になって兄弟らいいことが一緒にできるようになりました。
両親共々の介護や面倒を看ることはしんどいですが、
弟と一緒に乗り切っていかなければなりません。
そう強く思うのです。