クラブボクシング@ゴールドジム湘南神奈川

普通、湘南辻堂といえばサーフィンなのにボクシングでひたすら汗を流すオッさん達のうだうだ話!

昨日の出来事

2017年11月25日 | 日記
ライナーが暇なんで、長々と書きますよ。


いつだったか忘れましたが、シバノフトレーナーに聞かれたことがあります。

「ライトスパーリングの判定で思うことある?こうして欲しいとか。」

多分、私はこう答えました。
「カウンターとかキレイに入った一発をもっと評価して欲しい。」と。


で、昨日は久しぶりに出場しなかったこともあり、ジムメイトも含めて何試合か観てみました。

そこで思ったこと。
判定基準の事はもういいとして、勝った選手と自分のスタイルや信条を比較してみたところ、私は実はライトスパーリングに向いていないかも。

だからと言って、いわゆるガチスパーリングも向いていない。

てことは、ボクシング向いてないじゃん。


話は変わって、久しぶりに会ったトレーナーと話しました。相変わらずキツい一言を食らいました。
私が、
「少しだけサウスポーに光明が見えましたよ。でも、蹴れないんで強い左ストレートが打てないんすわ。」と言ったところ、

「ジョビさん大丈夫です。オーソドックスでと蹴れてないっすから、どっちもどっちじゃないですか。」との事。

あのトレーナー、コイなんちゃらとか言ったかな。もう奢ってやらん。


また話は変わって、S.バンタム級のチャンピオンの彼。
わざわざ挨拶に来てくれる凄くいい奴。

「おお、チャンピオン。」と声を掛けたら、「そんな〜、やめて下さいよ〜。」と笑顔で答える謙虚でカワイイ奴っすね。

で、重要なのはここから。

彼はいじられキャラなんですかね。
彼のジムメイトたちに、私と同じように「チャンピオン」ってからかわれてるんですね。
近くに私がいるわけですよ。
彼がいじられる回数が増えるたび、私はどんどん複雑な気持ちになっていきます。
彼は私に勝ってチャンピオンになったわけですからね。


思いましたよ。
そんなデリカシーのないあのジムの選手たちには絶対に奢ってやらんと。


そして、最後の話。
中学校の先輩と会うなり、軽く胸ぐらを掴まれ「何で出ねーんだよ。」と言われました。

私が、
「もうムリっすよ。センスないっすから。」
と答えると、

「40過ぎても頑張っている人いっぱいいるだろ。勝手に終わってんじゃねえよ。」
と言われました。

相変わらず熱い人で、私のソウルに少しだけ響きましたかな。

でも、私が頑張るとしたら、それは湘南の皆と一緒か信濃トレーナーに
「出ましょうよ〜」と言われたらかな。
石川県なのに信濃


今年はいいとして、来年は1試合出たいところ。
あ、でも本厄だからやめとこっかな。


パクちゃんの『アップ『風景です。
リングチェックですね。



スマホのメモリがもったいないから、ブログに『アップ』して消しますかな。

選ぶ男 1

2017年11月24日 | 湘南辻堂熱血ボクシング漫画!
は〜い 皆さんお疲れ様でしたぁ!
今日は企画モノAVの男優オーディションでしたが、皆さんの中から、本番ナシのいわゆる汁男優を何人か選ばせて頂きたいと思いま〜す。皆さんいいですかぁ?

うっす! はーい! ごっつぁんっす!

では、合格者の発表で〜す。
ます一人目で〜す。
ぴーやまくん!

うっひょ〜い‼️

おはようございます!

2017年11月24日 | 日記
何だか他のメンバーが私に気をつかって書きづらそうなので私が書きますね。

昨日の結果
ラルフ 圧勝!
私、このブログの読者(?)に完敗
キムさん 頑張り勝ち
朴さん 圧勝
アニキ 圧勝・・・のはずが疑惑の引き分け

でした。

運営して頂いたスタッフの皆様、応援に来ていただいた皆様、参加した皆様、有難うございました&お疲れ様でした。



投手に憧れて〜パーパー風〜

2017年11月23日 | 日記
星野くん、私ピッチャーになりたいの。


山田さん、いきなり野球?
山田さんは見た目的にゴルフくらいがちょうどいいのに。


星野くん、何言ってんの?
早く座って構えてよ。


もう仕方ないっす。
僕は山田さんの夢を叶える下僕です。
はい、どうぞ。



星野くん、高いよ。
もっと低く。


わっかりました。
あ、山田さん、肉離れになっちゃいました。



もう、ホントだめ

レイコ

2017年11月23日 | 日記
出場された選手の皆さんお疲れ様でした。

トレーナーの皆さんは、もう少し判定基準を統一しましょう。


さて、私は久しぶりに出場しなかったので、まあ気楽に過ごせました。


昼は喜多方ラーメンと炙り焼豚丼。
その後、ずっと気になっていた大森駅前の神社を参拝。
別き寺社仏閣マニアじゃないけど、やっぱり石段があると登りたくなるのが性なんですな。
ま、そんなことをしていたら、私にボクシングの楽しさを教えてくれたIZKさんの試合を見逃してしまいました。


今大会の私的MVPは、なんといってもマイルドヤンキー・サウスポーのスウェット女性選手。
実力的にもネタ的にも。
冷コーでもレイコップでもないっす。



ラルフさんが言ってました。
今年の流行語大賞は、
「ほら、アッパー当てたいんだろ?」
面白かったっす。


彼女をみて、私は本格的にサウスポーの習得に励むことを決意しました。

でも、おやじファイトだと右を捨てるわけにいかんしなぁ。
難しいなぁ。

朴の大好きな弟のお話し 後編

2017年11月22日 | あの頃 朴は若かった
慌てて家を出てから数時間後、弟の自宅に着きました。産まれて2週間、祭壇に遺影はありません。

代わりに可愛らしい花がたくさん飾られていました。

弟が心配していた親戚だってたくさん駆け付けてくれていました。

多分、お袋が連絡をしたのだと思います。
よかった・・・

「あ、アニキ、わるいな遠いとこ急に来てもらって・・・ アニキ、顔を見てやってくれるかい?」

「抱き上げてもいいのか?」

「抱いてやってくれるのか?」

「当たり前だ、他の4人は全員抱き上げてるよ。」と愛らしい小さなベビーベッドに眠る姪を抱き上げて頭を撫でました。

冷たいな・・・
そう思うともう涙が止まりません。

「ほら、○○・・・ 良かったね、抱っこして貰って・・・ 東京の伯父さんだよ。パパのお兄さんだよ・・」

「・・・・・」

「な?、アニキ・・・ ただ寝ているみたいだべさ。息しているみたい・・。起きないかなと思って見てるんだけど・・」

「そうだな・・ 寝てるみたいだ・・」

「でも起きないんだよ・・・可哀想に・・・ 2週間だよたったの・・ 抱いてやる時間もなくて・・・ 何のために産まれてきたんだろう? 苦しかっただけなのに、何でだろう・・・」

私は冷たくなった頬を撫で、小さな手のひらを握りながら、産まれて直ぐに逝ってしまった姪の哀れさを思い、弟の深い慟哭を受け止めるように彼を抱きしめて一緒に泣き続けました。

そして通夜が始まりました・・・


翌日の告別式、故郷の空は穏やかで青く高く澄んでしました。

(何故だか火葬場へ向かうマイクロバスの運転手がいなくて、親戚縁者を載せたバスを私が運転する羽目になってしまいました)

火葬場

お別れの時、小さな棺に蓋をしなければなりません。

弟は大声で「ごめんね・・ ごめんね・・」と泣き崩れます。

4人の子供たちも一緒に遊ぶはずだった小さなちいさな妹を泣きながら見送ります。

いよいよ出棺の時、

弟は「アニキ、○○は熱くないよね?絶対熱くないよね?苦しくないよね?」と痛いほど私の手を握りしめました。

私は「・・・・ 大丈夫、熱くないよ・・・ 大丈夫だ!」と握り返しました。

これしかなかったのかと思うくらい小さな骨を兄弟で泣きながら拾って弟宅へ戻り、遺骨を祭壇に置いて改めて御坊様にお経を上げて頂きました。

(帰りのマイクロバスの運転も私でした・・・)

皆一息ついて、部屋には私と弟の二人になりました。

そこに御坊様がやってきて静かに話し始めました。

「あなたは喪主のお兄さんですか?あ、そうですかぁ、やっぱりそうですよね。喪主の弟さんとはずっと離れていたのですか?兄弟仲違いとかしていたのですか?」

「・・・・・・」

「さっき出棺の時にね、お兄さんと喪主の弟さんの間に2~3歳くらいの可愛い女の子がいて、ふたりの喪服の裾を引っ張りながら、ふたりを見上げてニコニコと笑っていたんですよ・・・」

「・・・・・・」

「お兄さんが、喪主の弟さんの手を握り返した時に、その女の子はホッとしたように微笑んで、ゆっくり消えて行ったんですよ・・・」

「・・・・・・」

「兄弟で今まで何があったのか知りませんが、その女の子はおふたりのことをとても心配していたんだと思いますよ。」

「・・・・・」

「命を授かって、僅か2週間で○○ちゃんは亡くなってしまい、産まれたことに何の意味があるかとその不条理さに泣きくれることもあるでしょう・・・」

「・・・・・」

「でも、こうやってお兄さんがすぐに駆けつけて、喪主の弟さんもお兄さんに頼って、一緒に泣いて・・・・。こう言っては何ですが、私はあなた達兄弟がお互いを許し、認め合って、昔のように
仲の良い兄弟に戻れるきっかけを作ってくれるために産まれてきたのかもしれないと思うのです。」

御坊様のお話の途中から僕らはもうその答えに気付いていました。

気づいていたから涙が止まりませんでした。

気づいていたけれど、僕らの出来の悪い兄弟を仲良くさせるためだけに産まれてきたなんて本当は認めたくなかったのです。

それじゃあまりにも可哀想すぎるじゃありませんか・・・。

あれから18年経ちました。

僕ら兄弟は藤沢と北海道と遠く離れて暮らしていますが、姪が命をかけて気づかせてくれたおかげで、

この歳になって兄弟らいいことが一緒にできるようになりました。

両親共々の介護や面倒を看ることはしんどいですが、

弟と一緒に乗り切っていかなければなりません。

そう強く思うのです。


朴の大好きな弟のお話し 中編

2017年11月22日 | あの頃 朴は若かった
18年前のとある秋の祝日の朝、弟から電話がありました。このタイミングの電話は5番目の子供が産まれたという報せかと電話を取りました。

「あ、兄貴?」
「おぉ、どうした産まれたか?」
「・・・・・・」
「どうした?」
「・・・・・・」
「どうかしたのか?大丈夫か?」

仲が悪いとはいえ押し黙っている弟が心配です。

「・・・・産まれた、2週間前。・・・・産まれたけど、さっき死んだ・・・」
「え?」

「死んだ、たった2週間しか生きられなかった・・・・」

慰める言葉なんてどう絞っても出てこないから、電話口で泣いている弟とただ一緒に泣きました。

そして、弟から

「アニキ、急で申し訳ないし、忙しいの分かるけど葬式に来てくれる?」

「おー もちろん行くよ。これから直ぐ空港に向かうよ・・・」

「アニキには実家のことで心配ばかりかけて、こんな時だけ急に来てくれってごめん・・」

「馬鹿、何言ってんだよ。直ぐ行くよ」

「親戚に金借りてるから親戚呼びづらいし、親爺お袋だけじゃ嫁の手前バランス悪いし・・・」

「いいんだよ、俺その娘の伯父さんじゃん。俺が行かないとダメなんだよ・・。まだ姪に会えてないしな・・・」

「アニキ、本当にごめん。」

子供を亡くすのなら自分が死んだ方がずっと楽。弟の辛さが苦しいくらい伝わります。

「何度も言うな、兄弟だろう俺ら!待ってろよ。夕方には着くからな」

電話口で弟がずっと泣いていました。

そうだ俺たちは兄弟だ、ずっと仲違いしてきてきたけど、仲の良かった兄弟なんだ。

そうだ、親爺が言うようにふたりきりの兄弟なんだ。

ライトスパーリング

2017年11月22日 | 日記
改めて考えると、ちょっと試合数多過ぎないっすか?
今度のライトスパーリングの話です。


前回の大会は1部で終わったのに、随分と出場者増えましたな。
前回は年度末でしたからね。


隊長の試合が終わった後どう過ごすかなぁ。

タケさんの応援するとして、その後はパチンコかなぁ。
でも20年くらいやってねえし。


1部と2部の間の中だるみが嫌ですね。
選手宣誓でもやればいいのに。


パクさんは試合前だからネタ探しで遊べないし、久しぶりに会うあのトレーナーと遊ぶかなぁ。
ほら、A級ボクサーで時々有料で客を取るあのトレーナー。
でも、あの方は仕事だしなぁ。

そういえば、成田タイムってあるじゃないですか?
遠いから朝集まれないため、出場者は2部に限定されるっていうやつ。
湘南タイムも欲しいっすよね。
打ち上げあるから1部に限定。


たまには同じ階級の選手でも研究してみますかな。いつか当たるかもしれないし。
自信なくすからそれはやめよう。

坂本トレーナーの動き見ているだけでもネタがかなり見つかりそうだけど、それはかったるいなぁ。


今大会、多分ですけど、湘南の選手が何かしらの賞を取ると思います。
技能賞かな。

朴の大好きな弟のお話 前編

2017年11月21日 | あの頃 朴は若かった
18年前、弟は娘を亡くしました。

生後わずか2週間のとても小さな命でした。

弟は北海道で軽労働派遣の会社を経営しています。たくさんの挫折を様々な人に助けられて乗り越えて、今では立派に成功して、地元に恩返ししようと頑張っていて誇らしく思います。


弟と離れて暮らした30数年の期間を埋めるように、親の介護のこともあり、今、僕ら兄弟は昔のように仲良く毎日話しています。

そんな兄弟仲ですが、弟が娘を亡くした18年前まで私は弟が憎くて堪りませんでした。

弟は若い頃から色々と先が見えづらい事業を人口の少ない北の街で安易に立ち上げては失敗し、少なからない借金を作っては両親に泣きつきの繰り返し。何をしても上手くいかない空回り、態度も荒んでいるように感じたものです。

両親も助けなければよいものを、定年後の年金や僅かばかりの貯金を崩し、満期目前の生命保険を解約し弟に工面し続けていました。

当時の状況では返す当てのないお金です。実家
に頼めなくなると今度は私に泣きついてくる始末。挙句の果て、父の兄弟(叔父叔母)に母が借りにいくという過保護さ。

実家にお金が無くなると手先の器用な父は65歳を超えているのに大工仕事を手伝いに行ったり・・・。定年後のんびり暮らすはずだった両親は、弟によって随分苦労させられました。

私がたまに帰省すると母親は弟の愚痴ばかりこぼします。であればもう助けるな!と何度言ったことか。それでも過保護の両親は助けることを止めません。

私はそんな両親も弟も憎くて堪らなかったのです、もう共倒れしたらよいのです。

でも決まって母が言うのです。
親しか頼るところないのさぁ
しょうがないっしょ、息子だから。

そして、反目している僕ら兄弟に
いつも父が言うのです。
兄弟ふたりきりなんだから
仲良くしなきゃダメだべさ。


と言われても仲良くできるわけありません。
両親の辛い姿を創ってるのは弟なのですから。

当時弟には4人こともがいました。みんな素直でいい子たち。

そんなある年に帰省してみると義理の妹のお腹が大きいことに気づきました。

借金の肩代わりを両親にさせといて5人目?
生活できるのか? 

何を考えているのか何も考えていないのか、いつも愛想のよくない義理の妹のお腹を見て弟夫婦に呆れたことを覚えています。

To be continued

サウスポーに憧れて

2017年11月20日 | 日記
先週の土曜日の練習。

試合前で数段レベルアップしている皆さんに何とか喰らい付く私。

皆さんの迷惑にならないように色々と試させてもらいました。


パクさんと3くらい?
パクさんの左をバックステップしてかわして右をかます予定でしたが、パクさんの手数が多いのであまりできませんでした。


アニキと2、ラルフさんと4の計6はサウスポー。
サウスポーは、ひとつのオプションとして持っておきたかったんですね。
左ストレートが強く打てないけど、感触は良かったです。
いつか試そうとしてたんですが、3月までは試合に勝つためのインファイト習得に時間を費やしたので、中々できませんでした。

3月以降は練習してないし、デートしたいし。


サウスポーで思い出したことがあります。
私は中学まで野球をやっていましたが、やはり投手をやりたかったんですね。
でも、体が小さく速い球も投げることができなかったので、断念…。
と思いきや、私はある策を講じました。

左投げの習得です。
左投げの人は、捕手、一塁手以外の内野ができないかわりに、大抵一度は投手の候補にあがりますね。
左投げこそが投手に最も近づく策と考えたのです。
ま、生まれつき左利きの人にはかなわずに投手は今度こそ断念したけど、それでもぴーさんよりは速い球を投げられると思います。


サウスポーでもう一つ思い出したことがあります。
映画「サウスポー」。
ボクシングの映画で中々面白いのですが、主人公のボクサーは決してサウスポーではありません。
ということは、右拳を壊してサウスポーに構えを変えるというのが既定路線。
と思いきや、そういうわけでもない。
では、対戦相手の対策としてサウスポーの習得。
というわけでもない。

ストーリーの終盤が近づくにつれ、「そもそもこの映画のタイトルって何なんだ?」と思い始めた頃、とうとう、ホントに最後の最後に、一瞬「サウスポー」です。
気になる方は、映画をご覧下さい。


もうひとつサウスポーで思い出しました。
中学生の頃です。
ある友人に聞かれました。
「サウスポーって左利きだけど、右利きは何て言うんだ?」

「ああ、それね。サウスポーの『サ』ってのは『左』って書くんだよ。だから右利きはウウスポーさ。『ウ』は当然『右』と書く。」

「じょびは物知りだよな。」


プロ野球史上No. 1サウスポーを挙げろと言われたら、私は中日の今中ですかね。
普通は江夏ですかね?
でも現役知らないから、やはり今中かなぁ。