今回は日付ネタです。
昨日、KATOから流電クモハ52の製品化を投稿しましたが、
その編成の中間車はサハ75 106とサハ48 034との事。
ということで・・
サハ48 034(再掲ですが・・汗)です。
KATOから発売されるクモハ52 004と同じく、
第二次流電の中間車サロハ66の最晩年の姿です。
美しかった張り上げ屋根が普通屋根化されたものの、
広窓の配置は原形のままの流麗なスタイルでした。
おまけでもう一枚。
何故、このような撮り方なのか・・・
たぶん、廃車待ちの車の向こうを”現役”の身延線旧国が
走り抜ける図を狙ったのでしょう^^;
1978年11月23日、身延線 西富士宮留置線にて。
昨日、KATOから流電クモハ52の製品化を投稿しましたが、
その編成の中間車はサハ75 106とサハ48 034との事。
ということで・・
サハ48 034(再掲ですが・・汗)です。
KATOから発売されるクモハ52 004と同じく、
第二次流電の中間車サロハ66の最晩年の姿です。
美しかった張り上げ屋根が普通屋根化されたものの、
広窓の配置は原形のままの流麗なスタイルでした。
おまけでもう一枚。
何故、このような撮り方なのか・・・
たぶん、廃車待ちの車の向こうを”現役”の身延線旧国が
走り抜ける図を狙ったのでしょう^^;
1978年11月23日、身延線 西富士宮留置線にて。
なかにはロングシート化のうえ、クハに改造された仲間もいましたので、
この姿を維持出来た事は、仰るように幸せだった事でしょうね。
しかし、旧国の特定番号車がNゲージで製品化されるようになるとは、
ホントに良い時代になったものです^^
モハ52二次車と共に、戦前ではかなり思い切った大きさの
窓だったでしょうか。サハに格下げになったとは言え、
3ドアや4ドアにされることなく戦時を乗り越え晩年まで
製造時の姿を保ったのは、この車にとっては幸せだったかな
と思いました。