『今日は何の日』シリーズ。
本日、4月18日は三重県の『県民の日』だそうです。
1876年のこの日に、三重県が現在の形になっととか。
ということで・・・
三重県は亀山機関区で撮影したDF50の廃車群です。
当時の鉄道雑誌で、紀勢線で役目を終えたDF50が、
『亀山機関区構内に何両か留置されている・・』
といったような記事を読み、行ってみました。
自分が行った時にはすでに3両しかいませんでしたが・・・
DF50以外にも、なにやら興味深い車両が写っていました。
いつのように、この時はDF50以外”眼中”になかったようで、
個々の車両は撮っていませんが、救援車代用の貨車に操重車、
さらには旧客の救援車でしょうか。
う~ん、気になるな・・・
1980年4月9日、亀山機関区にて。
本日、4月18日は三重県の『県民の日』だそうです。
1876年のこの日に、三重県が現在の形になっととか。
ということで・・・
三重県は亀山機関区で撮影したDF50の廃車群です。
当時の鉄道雑誌で、紀勢線で役目を終えたDF50が、
『亀山機関区構内に何両か留置されている・・』
といったような記事を読み、行ってみました。
自分が行った時にはすでに3両しかいませんでしたが・・・
DF50以外にも、なにやら興味深い車両が写っていました。
いつのように、この時はDF50以外”眼中”になかったようで、
個々の車両は撮っていませんが、救援車代用の貨車に操重車、
さらには旧客の救援車でしょうか。
う~ん、気になるな・・・
1980年4月9日、亀山機関区にて。
顔だけを見ていると、ホント未だ現役の風格が残ってはいましたが、
側面のナンバーが剥がされている車もいたりして、痛々しかったです(涙)
怪しいお宝を前に素通りするなんて・・・
当時、もう少し”視野”が広かったら・・・と、昔の写真を見る度に
後悔している日々であります^^;
そうですね、山陰のDF50は一足先に消えていましたね(惜)
”戦災復旧車”のヒントを頂きまして、'77年現在の配置表で調べてみたところ、
当時の亀山機関区には3両のスエ71が配置されていましたので、
まさしく”戦災復旧車”の生き残りだったようです(悔)
もう少し写っていないか、ネガシートを確認してみますね^^;
鋭い!ヒントをありがとうございました♪
サイドがボロボロでやっぱり廃車なんだと。
亀山機関区 残念ながら行ったことはありませんが、
怪しいものが沢山あって楽しそうですね。
本州では、最後まで生き残ったDF50だったでしょうか。
救援車は、電車が種車の”戦災復旧車”の生き残りの
ようにも見えますね。
亀山の広かった駅や構内なども、いまはどうなったかなと
お写真を拝見して思い起こしました。