今日は早めの夏休み♪
連日の猛暑でバテ気味の体を休ませています。
そんな本日、8月3日は日付ネタの投稿です。
8月3日=クモニ83ということで、画像を探したのですが・・

未掲載画像は、これしかありませんでした。
1979年3月29日、山陽本線 広島駅?での撮影です。
可部線色のクハ79 214は当ブログ何度目かの登場です。
今回”主役”のクモニ83の併結相手は115系でしょうか。
'77年当時の配置表では、当時広島運転所に配置されていたクモニ83は5両。
そのうち4両は低屋根の800番台でしたので、画像の0番台は006のようです。
この006を調べてみたところ・・・
'81年7月には大糸線の北松本支所に転属し、'87年2月に廃車となったようです。
”我が愛すべき長キマ”に転属していたとは、これも何かの縁でしょうか^^
さてさて、今回は暇に飽かせて両車の経歴も調べてみました。
まずはクモニ83006から。
1947年4月、モハ63 373として使用開始され、初配置は中野。
1952年3月にモハ72 107へと改造。
1955年から各地を転々とし始めます。
池袋~三鷹~池袋~高槻~淀川~下十条~浦和~東神奈川~蒲田
といった具合で、西へ東へと大忙しだったようです^^;
その後、1968年2月にクモニ83 006へと改造され・・・
岡山~広島~北松本→廃車という車両人生でした。
続いてクハ79 214です。
1947年3月、モハ63456として使用開始され、初配置は津田沼。
1953年1月にクハ79 214へと改造。
その後、青梅~浦和~松戸~仙石線管理所~広島→廃車。
という流れでした。
こうして見てみると、出自は同じながらもその後の”車両人生”が
こうも違うというのも興味深いものです。
戦後間もなくの誕生から、暫くは総武線ですれ違っていたであろうこの両車。
再び、遠く広島の地で顔を合わす事になろうとは思ってもみなかった事でしょう。
『よぉ兄弟、久しぶり!!』
『随分派手になったなぁ!』
そんな車両同士の会話が聞こえてきそうです(笑)
連日の猛暑でバテ気味の体を休ませています。
そんな本日、8月3日は日付ネタの投稿です。
8月3日=クモニ83ということで、画像を探したのですが・・

未掲載画像は、これしかありませんでした。
1979年3月29日、山陽本線 広島駅?での撮影です。
可部線色のクハ79 214は当ブログ何度目かの登場です。
今回”主役”のクモニ83の併結相手は115系でしょうか。
'77年当時の配置表では、当時広島運転所に配置されていたクモニ83は5両。
そのうち4両は低屋根の800番台でしたので、画像の0番台は006のようです。
この006を調べてみたところ・・・
'81年7月には大糸線の北松本支所に転属し、'87年2月に廃車となったようです。
”我が愛すべき長キマ”に転属していたとは、これも何かの縁でしょうか^^
さてさて、今回は暇に飽かせて両車の経歴も調べてみました。
まずはクモニ83006から。
1947年4月、モハ63 373として使用開始され、初配置は中野。
1952年3月にモハ72 107へと改造。
1955年から各地を転々とし始めます。
池袋~三鷹~池袋~高槻~淀川~下十条~浦和~東神奈川~蒲田
といった具合で、西へ東へと大忙しだったようです^^;
その後、1968年2月にクモニ83 006へと改造され・・・
岡山~広島~北松本→廃車という車両人生でした。
続いてクハ79 214です。
1947年3月、モハ63456として使用開始され、初配置は津田沼。
1953年1月にクハ79 214へと改造。
その後、青梅~浦和~松戸~仙石線管理所~広島→廃車。
という流れでした。
こうして見てみると、出自は同じながらもその後の”車両人生”が
こうも違うというのも興味深いものです。
戦後間もなくの誕生から、暫くは総武線ですれ違っていたであろうこの両車。
再び、遠く広島の地で顔を合わす事になろうとは思ってもみなかった事でしょう。
『よぉ兄弟、久しぶり!!』
『随分派手になったなぁ!』
そんな車両同士の会話が聞こえてきそうです(笑)
国鉄時代の”広域転配”は、当時の鉄道ファン誌に載る
”車両の動き”を見ながら優等列車用よりも
むしろこのような”ゲタ電”や101系や103系、そして
一般気動車などに興味をもったものでした。
東西もさることながら、仙石線と可部線両方を経験した車両が
あったとは、ますます興味をそそります(笑
クモニに生まれ変わって、「新性能電車」と手を組むようになった
姿をみたクハ79214の心中は、複雑だったかも知れないですね・・・
一ヶ月違いだと本当に兄弟ですね。79214は小生も1~2回拝んでいますが、もと仙石線なんですね。似たようなカラーで ”北から西へ”というのもなんだか興味深いですね。
”車両の動き”! 懐かしいですねぇ^^
旧型車両の転配属を見ては、いろいろと妄想したものですが^^;、
昭和50年代に入ると廃車が多くなり、心を痛めたものです。
79214は'66年~'70年の間、仙石線に在籍していたようですので、
気動車色時代もあったかもしれません。
新性能車ばりの走りを強いられるクモニを見た79214の心中は
案外”ホッと”していたかも??などとも思ってしまいます(笑)
79214は正面窓こそ原形だったものの、仙石線からの転入車らしく
戸袋窓はHゴム化されていましたね。
'70年の転入時には仙石線も”うぐいす色”となっていたでしょうから、
可部線へも”すんなりと”溶け込んだ事でしょうね(笑)
可部線の旧国は現役時代に近くを通りかかっているのに、完全スルーでした。この強烈な色遣いに恐れをなしてしまったようです。
いや、それよりも子供の頃に読んだ「はだしのゲン」に圧倒されてしまい、潜在的に広島に畏怖の念をもっていたようです。あの日から70年、平和な日々が永く続くことを改めて祈ります。
ところで、現代の可部線は個性的な車両が活躍している楽しい線区ですが、こちらもそろそろ引退が近づいている様ですね。
戦後70年の節目の年に、安保法案の先行きが心配されますね。
最近の可部線を画像検索してみましたが、”ナナサン”時代には及ばずとも
なかなか”カオス”な状況のようですね。
ただ、『末期色』という呼称にはどうにも馴染めませんでした^^;