今回も更新の頻繁な『反省部屋』です。
嗚呼・・・(T T)
1976年12月、東北本線 尾久~赤羽間の王子近辺の踏切で撮影したEF57 3号機です。
突然、踏切が鳴って慌てて構えたのだと思いますが、
せめて踏切の反対側で構えていればよいものを・・・
さらに、この写真のショックな点は、機番を確認しようと拡大してみて
初めて判った事なのですが、どうやら重連のようなのです!!
次位機の型式は判りませんが、パンタが4つ写っていました・・
悔やんでも悔やみきれません。
嗚呼・・拡大しなければ良かった(T T)
嗚呼・・・(T T)
1976年12月、東北本線 尾久~赤羽間の王子近辺の踏切で撮影したEF57 3号機です。
突然、踏切が鳴って慌てて構えたのだと思いますが、
せめて踏切の反対側で構えていればよいものを・・・
さらに、この写真のショックな点は、機番を確認しようと拡大してみて
初めて判った事なのですが、どうやら重連のようなのです!!
次位機の型式は判りませんが、パンタが4つ写っていました・・
悔やんでも悔やみきれません。
嗚呼・・拡大しなければ良かった(T T)
昭和51年の暮れだとゴナナは本当の末期ですよね。ゴナナはまともに撮れていない小生にはうらやましいような、残念なような複雑な画像ですね。でもこの時期ですからおそらく後はゴハチではないでしょうか?ゴナナが前にいただけでもラッキーでは・・・。
線路脇に枕木を立てて有刺鉄線が張られたりしてましたっけ。
当時の踏切風景がナイスに記録できていると思います。
違うかっ
やはり残念ですよねぇ・・
当時は中学生でしたが、もう少しにまともに撮れなかったのかと・・
57同士の重連ってあったのでしょうかね?
パンタのせり出た姿が迫力の57ですから、重連だとかなりの迫力だったでしょうねぇ。
コメントありがとうございました♪
コメントありがとうございます♪
昔の踏切の周りって、こんな感じで雑然としていましたよね。
良い記録ができていましたぁ♪
って、違うかっ^^;
お世話になっております。
コメントさせていただきます。
こういう画像はある種の緊迫感が伝わってきますね。
踏切や線路脇は枕木から発するタールの
匂いがして好きでした。
昔を思い起こさせるいいお写真ですね。
コメントありがとうございます♪
拙い写真にお褒めのお言葉をありがとうございます。
そういえば、タールの匂いしてましたねぇ。
懐かしさが甦ってきて、拙い写真をUPさせて頂いた甲斐がありました♪