人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

真の神様の祖国光復-16

2019年09月13日 18時35分12秒 | 学習

 

 今もアメリカは、国会が開院される時は、祈祷から始めます。大統領が就任宣誓をする時、聖書の上に手を置いて神様の前に誓い、聖職者の祝祷を受ける国です。さらには、貨幣にも「我々は神を信ずる(In God We Trust)」という言葉を書いている唯一の国です。このようにしてアメリカは、地球上に唯一、プロテスタントを信奉する世界的な形態を備えた国家となったのです。

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 ところが、今のアメリカはどうでしょうか。公立学校では、公式的に祈祷を禁じています。創造論よりは進化論を教育しています。さらには五〇パーセントに至る離婚率は、家庭の神聖さを事ごとく破壊してしまっているのです。このような現実を心配されている神様の声を聞いた私は、既に一九七一年に祖国と家族をあとにしたままアメリカにやって来ました。何度も全国を巡回しながら私は、「火事になった家に消防士として来た。病気になっているアメリカを治療する為に医者として来た」と叫びました。

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その時私は、既にアメリカを離れていらっしゃる神様を発見しました。アメリカのいかなる所にも神様がいらっしゃらなければならないのに、反対に至る所で神様が離れ始められたのです。人々の心から、家庭から、学校から神様が離れておられました。振り返ってみると、ニューヨークのマンハッタンの五番街を歩きながら、アメリカを離れていかれる神様にしがみついて限りなく涙を流したのが、きのうの事のようです。不幸にもアメリカは私が予言したとおり、道徳的に衰亡の一途をたどっています。

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 皆さん! レバレンド・ムーンがなぜアメリカで反対されながらも苦労してこのように叫んでいるのでしょうか。私は、神様が今日アメリカを訪ねてこられるまでに流された血と汗と涙の苦労を誰よりもよく知っているので、去る三十年間、アメリカにいながら一日たりとも楽な気持ちで過ごした事がないのです。アメリカの主人は誰ですか。ホワイト・アメリカンやブラック・アメリカンではありません。神様がアメリカを愛されるようにアメリカを愛する人が、本当のアメリカの主人です。アメリカは地上に神の国を立てる為に選ばれた長男のような長子権代表国家なので、今もイエス様は霊的に主にアメリカの地にいらっしゃりながら、そのみ旨を果たしてくれる事を切に祈っていらっしゃいます。

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 一方、私は神様のみ旨に従って一九八二年にワシントン・タイムズ社を設立し、アメリカが行くべき方向を提示する保守正論紙として、アメリカの世論を主導してきました。そして真の家庭の価値運動と青少年達の為の純潔運動を通じて、強力な救国救世運動を展開してきました。この全てのものに、アメリカが神様の摂理の前に正しく立つ事を願う心から投資してきたのです。私が一九六五年にワシントンD・Cを訪問し、決定したホワイトハウスの近くの聖地には、今も夜を明かしてアメリカの為に祈祷する群れが沢山います。皆さん全ては、心の門を開き、あのピルグリム・ファーザーズから歴代の愛国の烈士達の切なる願いを聞く事が出来なければなりません。

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 内外の貴賓の皆様!

 今始まった新千年紀は、六千年の間追い求めてこられた神様の救援摂理歴史がみな終わり、エデンの園で失ってしまった創造理想が天宙的に実現される時です。人間の堕落によって主人を失った万物の嘆きも解放される時であり、長い間別かれていた父母と子女が再び出会い、これ以上涙のない新らしき天と、新しき地が成し遂げられる時であり、霊界と地上が一つに通じ、地上と天上に神様の国が成就する時代です。生きていらっしゃる神様の直接主管が、全般、全能の権勢として現れる時代です。さらに東西両洋全体が、天地父母を中心に「一人の神様のもとに一つの宇宙」として地球星大家族主義の世界が実現される時です。これは、聖書に預言された旧約の約束と新約の約束が成就される、成約時代の完成を意味します。

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 今、時が来ました!

 

 アメリカが再び目覚めるべき時が来ました。第二の建国運動を挙国的に展開し、神様を中心とした真の父母、真の家庭、真の国家、真の世界を取り戻すべき時です。そうして離れようとされる神様を再びお迎えしなければなりません。六千年間も準備して訪ねてこられた神様がアメリカを離れられたら、どこに行きますか。神様さえ正しくお迎えすれば、家庭問題、倫理問題、青少年問題、人種問題は自動的に解決されます。五色人種が一つに相まみえて生きて行くアメリカは、地上天国のモデルなのです。この時、私達みんなが一致団結して、人類が進むべき道を開かなければなりません。「長子の国(注:兄弟の最年長の事。最も期待が大きい国の意味)」であるアメリカが先頭に立って、天の父母様に侍り、世界各国を神様の前に導く先導者的な使命を完成すべき時です。

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 この歴史的な課業を完遂する為に、共に同参して下さるようお願いいたします。もう一度この場を訪ねて下さった皆様に、深甚なる感謝を捧げ、天と地に平和と自由と正義があふれる新たな千年王国が始まる事を願いつつ、お話を終えようと思います。

 

 皆様の家庭と国に神様の祝福が共にあらん事を願います。ありがとうございました。

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  五 「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」

 南北統一を熱望する指導者、そして紳士、淑女の皆様。

 たった今始まった新千年紀は、二十世紀の遺物である分裂と葛藤が清算され、和解と統一の地球村一家族という理想が実現される時です。皆様の各家庭に新千年の祝福が共にある事を祈願いたします。

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 まず、私の八十回目の誕生日を祝賀して下さる為に、世界(全国)各地から訪ねてきて下さった皆様に心から感謝いたします。そして何よりも、この日まで見守ってくださり、共にいて下さった神様に全ての栄光をお捧げいたします。私の生涯を振り返ってみる時、ただの一時も平坦な時期がありませんでした。韓半島を取り囲む列強の狭間で、あらゆる苦難の道を歩んできた民族の受難史と共に歩んで来ました。

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 私は、十六歳(数え)の少年時代に、祈祷している中で突然、天のみ旨と出合い、その後、生涯を通じて神のみ旨を成就する為に全身全霊を傾けてきました。そして気がつけば、人間の不幸の根本原因は、人類始祖の堕落によって霊的無知に陥り、神様との関係が断絶された事にあったのです。この事によって、人間は神様と人生と宇宙の根本問題等に対して無知に陥ったのです。今まで私は、世界各地の公式席上において一万回以上語ったみ言を通して、神主義に立脚した真の人生観、世界観、歴史観を提示してきました。それらの内容は、世界各国の十二の言語に翻訳され、既に三百巻以上の本として出版されました。これは、文献による総合的な研究や学問的な探求の結果として解明したものではなく、有形・無形世界を自由に行き来しながら、原則的で根本的な解答を解き明かしてきたものなのです。

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 今日、私は、この意義深い場に感謝しながら、私達民族の宿願であり、世界の冷戦問題の最後の決算であるというべき韓半島の統一問題を念頭に置き、その方案に対する根本的な解答として「神様の王子、王女が行くべき生涯路程」という題目でお話ししたいと思います。

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 内外の貴賓の皆様。

 皆様は、どこの国の国民ですか。大多数の人が韓国の国民であると思います。そうすると、韓国が皆さんの祖国です。そうではないですか。それでは、神様の祖国はどこになりますか。今、神様の祖国はありません。この世界の全ての国家の起源はどこですか。神様が起源になっていますか、そうでなければ、他のところが起源になっていますか。このような、全ての国家の歴史的な起源が問題になっているのです。

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 この世の国々は、全て闘いによって分かれて生まれました。それ故に、ある二つの国がある時、その二国の境界線は、深い恨みが積もった境界線になっている場合が多いのです。第三国、第四国との境界線よりも、隣接した境界線を中心としてより熾烈な闘いを繰り広げ、より多くの血を流した歴史的な事実があるという事を私達はよく知っています。このように、二国家間、二つの民族間の障壁が最も高いのです。

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 闘いは常に、何万里も離れた所に飛んでいってするのではありません。昔から、隣接する二国家の境界線を中心として闘いが起きてきました。ですから皆さんも、最も近い隣人との間から闘うようになっています。なぜなら、人間が堕落したからです。隣人との間から闘いが起きるのは、堕落による結果なのです。

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 堕落とは何ですか。神様と人間との間に藤が生じるようになった事であり、神様とサタンとの闘争が起きるようになった事であり、人間とサタンとの闘争が起きるようになった事です。人類歴史において、この地球上に数多くの国があったという事は、数多くの闘争があったという事を証明する事だという結論を下す事が出来ます。そのようにして生まれた国はどこに行くのでしょうか。全ての国が平和の世界を追求しますが、本当に平和の世界に行く事ができるかという問題が、今人類共通の課題として残っているのです。

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 平和の世界というものは結果の世界ですが、過った出発、すなわち過った原因から平和の世界に到達するという事は、論理的な矛盾と言わざるを得ません。それ故に、このような戦争の起源を克服して乗り越えて行く事のできる運動を展開する所においてのみ、理想世界に向かう出発点を捜し出す事ができるのです。原因が完全である為に結果が完全であり、平和で始まるが故に平和の過程をたどる事ができ、平和の目的に到達できるという事は理論的に妥当なのです。

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 このように見る時、自分の国と隣接している国が歴史的な怨讐国家であるといって、ずっと憎み続けようとするならば、永遠に平和の世界には到達出来ないという事を知る事が出来ます。それでは、行くら理想郷を慕い、理想郷に向かって前進したとしても、その目的達成は不可能です。このような闘いが始まった、その動機を否定し、過った歴史を消し去る為には、その反対方向の内容を主張する運動が必要であるというのです。

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 内外の貴賓の皆様。

 皆様は、国のない民と同様です。それでは、過去には国があったのでしょうか。歴史上に、「私の国である」という事のできる形態の国があったでしょうか。そのような国の形態も、持つ事が出来なかったのです。それでは、その国を取り戻す為に苦労した人がいなくてそうだったのでしょうか。そうではありません。その国は、過去の歴史時代の人が考えていた位置では、捜し出す事が出来ない為に迎える事が出来なかったのです。その時代圏内において、内外を備えた基準を中心としてその国を捜し出す事が出来なかったので、その国を迎える事が出来なかったのです。私達が取り戻さなければならない祖国というのは、今日、この地上に存在する、いかなる歴史と伝統をもった国でもありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。

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 私達は、次元が違うその国を受け継ごうとするならば、そのようにできる思想的な主体性をもった国民にならなければなりません。しかし、その主体的な思想は、絶対的な創造主がおられるならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が願う国を成そうとするならば、その国の主権を中心として国民が一致する事のできる国となる事を願わなければなりません。そのような国民性をもって国家形態を備えなければならないのです。

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 一つの国が形成される為には主権がなければならず、国民がいなければならず、国土がなければなりません。天の国もやはり同じです。主権に代わるものが父母であり、国民に代わるものが息子、娘であり、国土に代わるものが国なのです。この中のどれ一つとして除く事は出来ません。これは鉄則です。最も重要な事は何ですか。世界と国の為に生きる事です。そのようにしさえすれば滅びません。滅びないところが限界点です。

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 国の為に生きる基準で実際に行動をしていて死んでいった人々は、死んでもその国の民になります。その国がなくなる時まで残るようになるのです。国が形成される為には、国土がなければならず、国民がいなければならず、主権がなければなりません。

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 主権とは何ですか。根源である神様と因縁を結ぶ事です。国を統治する人達は、国民が深く寝入ったあとに、神様と因縁を結んで政治を行わなければなりません。そして、主権者は国民と一つにならなければなりません。国民と一つになり、自分の持つ全てのものは自分の為のものではなく、国の為のものであると考えなければならないのです。

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 そのように成れば、その国は繁栄します。そのような観点から地上に天国を実現するという問題を考えてみる時、天国の主人は誰でしょうか。主権者は誰でしょうか。間違いなく神様が主権者です。そして国民は誰ですか。国民は万民です。それでは国土はどこですか。地球星です。地上天国は誰に似ているのでしょうか。「私」に似ているのです。一つの国を見れば何がありますか。主権、国民、国土があります。これは人間と同じです。

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 地上天国は誰に似ているというのですか。「私」に似ているのです。「私」という個人が集まって国になるのです。従って、「私」に心があるように、国にも主権がなければならず、人格体なので国民がいなければなりません。人間には万物が必要であるように、国土がなければなりません。このような原則から、国土は人に支配され、国民は主権に支配されるのです。この国土、国民、主権が国家形成の三大要素です。そのようになっています。

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 人について見てみる時、心は体を支配し、体は万物を支配するのが原則です。この原則がある為に、全世界を見れば、天地人であるという決定的な結論が出てきます。天とは何ですか。人間の心と同じなので主権と同じです。人は国民であり、地は万物です。結局、国は誰に似たのかというと、「私」に似ているのです。

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 行くら大きい社会、行くら大きい国家であっても、人に似なければなりません。それは、神様が御自身の形状に似たものを好まれるからです。それでは、人が最も好むものは何ですか。自らの形状に似たものです。ですから、理想的な国家とは、何に似なければならないのですか。人に似なければなりません。天・地・人に似るのです。

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 統一教会の用語で「祖国」というものは、大韓民国という一つの国ではなく、世界的な国の事をいうのです。「世界的」という言葉は、堕落した世界圏でも使われる言葉なので気分が良くありません。それで、このような「祖国」を捜し求めて行く主義を統一教会では「天宙主義」というのです。

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 その祖国は大韓民国ではありません。神様が願われる祖国は大韓民国ではなく、米国でもありません。共産国家でもないのです。その祖国は神様が願う祖国です。故に、私達は、新しいその祖国の文化を創り上げなければならず、その祖国の歴史を創り上げなければなりません。

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 私達は、新しい理想的な祖国を建てる為に、新しい基準を定めなければなりません。私達の生活を変えなければならないのです。その世界は、今のこの世界と全く違います。言葉も違うのです。「原理主管圏」や「相対基準」、「相対基台」、「復帰基台摂理」という重要な言葉を、世の中の人々は知っていますか。ですから、違うというのです。

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 統一教会が願う国が建設されれば、統一教会の看板を外さなければなりません。そして、統一教会が願う世界が形成されれば、統一教会が立てた国はなくさなければなりません。大韓民国の韓民族を中心とした文化と人格だけの為の宗教は捨てなければならないのです。世界の為に生きる宗教であってこそ、これからも残る宗教になるのです。

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 満場の内外の貴賓、紳士、淑女の皆様。

 

 神様のみ旨を受け継ごうとする人がいるならば、彼はどのような主張をしなければならないと思いますか。

 

 この世の人々が好むような方向に行くようにという主張は絶対に出来ません。むしろその反対の道に行くようにと主張しなければなりません。それに該当する代表的な標語が「愛の心をもって怨讐を愛しなさい」というものです。「怨讐を愛しなさい」このみ言は、誤った歴史を元に戻す事ができるものであり、台風に揺さぶられる船の錨や錨綱のようなものです。

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 しかし、復帰摂理歴史を通じて「怨讐を愛しなさい」というみ言を実践してきた人はいませんでした。もし、怨讐を愛する事ができる人々がいるならば、そのような人々によって一つの組織的な形態を備えた世界的な版図を確保しなければなりません。このような結論が出てくるので、そのような運動を神様が提示なさらなければならないのですが、神様によって提示されたその運動の反映体が、歴史に現れた宗教運動であるという事を皆さんは知らなければなりません。

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 今までで、神様が最も愛する事のできる人は誰でしょうか。イエス様なのです。イエス様は、闘っているこの世界に新しい方向を提示して下さいました。ローマやイスラエルのような圧迫国家と非圧迫国家の間には、お互いを怨讐視する高い障壁があるのですが、イエス様の哲学は、それを壊してしまうべきであるというものでした。イエス様は「ローマよ、あなたは力で私を征服しようとするが、私はその反対に愛であなたを征服する」と考えられたのです。それで、十字架にかかりながらも怨讐の為に福を祈ってあげたのです。

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 そのような思想は、ローマの兵士達に対して「彼らは、自ら犯した罪が分からないので、彼らを赦したまえ」という驚くべき宣言として現れたという事を知らなければなりません。イエス様がそのようになさる事によって、世界の全ての国がお互いを怨讐視する事を乗り越える事ができ、二つの国家間の国境を乗り越える事ができる一つの原型、または模範となりました。

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 イエス様は、個人的な怨讐が全てではないという事を知っていたのです。家庭的な怨讐があり、氏族的な怨讐があり、民族的な怨讐があり、国家的な怨讐があり、世界的な怨讐によって四方から縛りつけられているという事を知っていました。これは、自分に従い、自分が行く道を行こうとする人には、数多くの怨讐が待っているという事なのです。そして、「家庭的に行けば家庭的な怨讐が待っており、氏族的に行けば氏族の怨讐が待っていて、熾烈な闘いが予想されるけれども、その時ごとに怨讐を愛しなさい」というみ言です。このような精神をもっていれば、いつかは勝利できるというのです。

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 それでは、神様の理想国家の実現、すなわち神様の祖国の主権復帰はどこから実現されるのでしょうか。怨讐を愛するという思想をもった個人から出発するのです。それ故に「神様がいらっしゃる限り、愛で国境を崩し、全ての環境と文化的な垣根を越えて怨讐までも抱こう」という運動を提示したキリスト教は、世界的な宗教にならざるを得ないのです。大豆を植えれば大豆ができ、小豆を植えれば小豆ができ、真っ赤な花の種からは真っ赤な花が咲きます。同じように、あだを討つサタンの種を蒔けば、あだを討つ悪の木が育つのですが、怨讐を愛する善の種を蒔けば、怨讐を愛する善の木が育つという事です。これは自然の道理なのです。

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 神様の祖国は、どこからどのような道を訪ねてくると言いましたか。それは、怨讐を愛する道、個人の怨讐を愛して、家庭の怨讐を愛して、氏族の怨讐を愛して、国家、世界の怨讐を愛する伝統を残す道から訪ねてくるのです。そのような道でなければ、神様の祖国は現れる事が出来ないという事を皆さんは知らなければなりません。

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 見ていて下さい。米国が反対したが故に、国務省が反対したが故に、国会が反対したが故に、私は国会で勝利したという賞状を受け、国務省から勝利したという賞状を受け、米国で勝利したという賞状を受ける事ができる時が来るはずです。それで、反対する国務省の中にも友人ができ、国会の中にも友人が沢山できています。勝利は、私に返ってくるようになっています。

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 私は、そのような友人が一人もいなかったとしても、あらゆる反対を克服して勝利に導く事ができるという確信があります。反対すれば反対するほど、こちらの怨讐を愛する内容が相対的により大きくなるので、反対が激しいからといって落胆する必要はありません。

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 自然の道理は、一方が低気圧ならば、もう片方は高気圧になっています。一方が高気圧に成れば、もう片方は低気圧になるのです。米国の国務省が高い所から反対する時、私が低気圧圏を成していれば、高気圧が低気圧に吸収されるように、米国の国務省は私に屈服してしまうはずです。

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 私が非難されながらも闘わずに彼らを愛すると、彼らは私の友人になり、友人の家庭ができ、友人の氏族ができ、友人の国ができたのです。怨讐を愛する精神をもった人々によって構成された国が現れれば、その国は、神様が願う理想境となる事ができ、人類が入って行く事のできる理想郷になる事ができるという事を知らなければなりません。

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 私は、とても見すぼらしい男です。事実、そうではないですか。皆さんは「違う」と言いますが、世の中の人達は、私が愚かな人であると思っています。しかし、神様は、私が一番お好きです。世の中が私を愚か者扱いしたとしても、神様が認めるので、世の中に対して堂々とした立場で攻撃できるのです。

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 怨讐を愛する心をもてば、言えない事がありません。なぜですか。神様が送った男性であり、美男子というならば、そのような人が美男子です。立派な人というならば、そのような人が立派な人です。堂々として勇ましい人というならば、そのような人が堂々として勇ましい男であると考えるので、私はそれを栄光に思い、世の中に対して自信をもって攻撃するのです。

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 私一人がこのように陶酔して活動すれば、何が起こるか御存じですか。このようにする事によって、神様を喜ばせる若い青年男女が生まれ、神様を喜ばせる五色人種の家庭が生まれ、神様を喜ばせる民族が編成され、神様の祖国の主権復帰が可能になるのです。

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 「怨讐を愛しなさい」と言ったので、最も憎むべき人をも愛さなければなりません。一番の美男子に一番の醜女を夫婦として結んであげたとしても、怨讐を愛する以上に愛さなければなりません。そのような人は、この世の怨讐を愛するにおいて最高の王子の旗を掲げて前進する人の候補者です。事実そのような人がいるならば、どれほど素晴らしいか考えてみて下さい。そのような人は、民族の国境をさっと越える事ができるというのです。愛する心だけをもって暮らす日には、全ての障壁が崩れていき、復帰摂理歴史が短縮されて天国が近づいてくるという事を知らなければなりません。

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 私の哲学は簡単です。私は、やってみなかった事がありません。農夫にもなってみて、労働者にもなってみました。やれる事は全てやってみました。漁夫になってまぐろも釣りました。そのようにして生涯を生きてみると、一人だと思っていたのに、振り返ってみると英国人がついて来て、米国人持ついて来て、世界の数多くの人々がついて来ています。ついて来るなと足でけ飛ばしてもまたついて来て、後ろに飛ばされてもまたついて来ます。ですから統一教会を、幾ら研究してみてもその内容の全てを知る事は出来ないのです。

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 内外の貴賓、そして紳士、淑女の皆様。

 今から行くべきなのは、どのような道ですか。行くら氏族を編成したとしても、サタンの国の主権が残っている限り、皆さんは国のない人々です。ここが皆さんの国ですか。皆さんには国がないのです。行くら氏族があるとしても、その主権が天を中心とした主権でない時は、この氏族の首を切る事もあり得るのです。そうでしょう。それ故に、天が歓迎する事のできる国を訪ねていかなければなりません。今日、この地上における第一イスラエル圏というものは、天全体が歓迎でき、個人も歓迎し、家庭も歓迎し、氏族も歓迎し、民族も、教会も歓迎する事のできる、そのような地になるべきです。

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 ところが、今日の統一教会を中心として見ても、既成教会を中心として見ても、大韓民国を中心として見ても、全体が歓迎できる立場に立ったでしょうか。そのようになる事が出来ませんでした。方向が違います。方向が違うのです。大韓民国が進んでいるのは外的です。そうでしょう。神様を中心としたものではなく、世の中を中心として外的に進んでいます。この国の主流的な思想がないというのです。

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 従って、この国の主流的な思想を中心として天と連結させ、新しい立体的、あるいは平面的内容を備えた新しい国家観を形成し、その形成された国家観を、今日の国家を中心としたもの以上の内容として備えていかなければ、神様の祖国の主権復帰の時を迎える事は出来ません。

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 今日の「解放」というものは第一の解放です。今、統一教会においては、第二の解放が必要なのです。大韓民国も第二の解放が必要です。ここで大韓民国が第二の解放を迎えれば、国家と民族はその事によって願いを成就できるかもしれませんが、統一教会は第三の解放を必要とするのです。そのようになるのです。大韓民国は第一の解放により、初めて内外において今の国家形態を備えましたが、第二の解放が必要な時が来ました。南北が統一されなければならないというのです。

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 その国はどのような国ですか。その国は、歴史過程において、民族が悲惨な路程をたどらねばならず、蕩減復帰の原則に一致する事のできる国民性をもたねばならず、歴史的な伝統を引き継いできた国でなければなりません。その国はどのようにならなければならないのでしょうか。完全に統一された国にならなければなりません。今日の大韓民国がそのような国になろうとするならば、どのようにならなければならないでしょうか。

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 その国の基準に上がって行く為には、南北を統一しなければなりません。北朝イスラエルと南朝ユダのように分かれた南北韓を、一つに統一しなければなりません。カイン・アベル国家に分かれたのと同じように南北に分かれたのですが、これを統一しなければ一つの勝利的イスラエル国家は現れないのです。

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 それでは、この国において、大韓民国を中心として北朝鮮と韓国は、どのように統一されなければならないでしょうか。それは、新しい世界主義的な思想をもたなくては統一する事が出来ません。この時に備えて、新しい思想を掲げていこうというものが、今日の統一教会が主張する統一思想です。分かりますか。

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 今、私達は二つの事をしなければなりません。世界において、いかなる国家持ついて来る事が出来ない団結した民族を形成しなければならず、そして、いかなる宗教もついて来る事が出来ない鉄のような信仰で団結した国家を成し遂げなければならないのです。このような思想を中心として、南北が統一された国家が成し遂げられなければなりません。そうしなければ、神様の国、世界に誇る事のできる天国の主権は誕生しないのです。これが、今日の私達の行くべき地上の第一目的地であるという事を知らなければなりません。

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 祖国を取り戻す事が出来なければ、サタン世界の国家を凌駕する事のできる天を中心とした一つの国を持つ事が出来ません。その国を持つ事が出来なくては、世界のサタン国家を打つ事は出来ません。押し出せないのです。宗教、統一教会をもってしても出来ません。真の父母の思想を中心として、国が方向を定めて進んでいかなければなりません。このような問題が残されているという事を知らなければならないのです。

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コメント

真の神様の祖国光復-17

2019年09月13日 18時27分53秒 | 学習

 

 このような観点で見る時、イスラエル国家の精神的な支柱がユダヤ教であったように、今日の韓国において統一教会がユダヤ教と同じ立場であるならば、真の父母の思想が韓国の主流的な思想になるのです。ある人達は、そのように言うのです。国会議員達もそのように言います。真の父母の思想を国家の中心理念すれば、共産党は問題ありません。

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 紳士、淑女の皆様。

 今日、天の為に行く人々は、サタン世界に派遣された密使です。個々人において、大小、広狭、高低の差はあるかもしれませんが、各自が置かれている生活自体においては、密使の生活から離れてはなりません。そこには、いつも生死の危険が伴っています。まかり間違えば、永遠の生命の問題が左右される立場に立つようになるのです。

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  それ故に、永遠の生命を支える事ができ、永遠の生命を保護してくれる私達の祖国を取り戻すという観念が、その環境より何百倍も強くなければ密使の生活は出来ません。

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「祖国の栄光を願う心をもって祖国の恨を解いた時、全ての万民が喜ぶ」という事を考えながら、新しい歴史を創建し、神様の祖国主権復帰の一日を迎えるその時に、自らの功労が現れる事を思いながら、現在の立場を無視してしまう事が出来なければなりません。そのような心が先立たなければ、密使の使命を遂行する事は出来ないのです。言い換えれば、神様の祖国主権復帰の為の希望が現実の希望より千倍、万倍強くなってこそ、今の生命を捧る事があったとしても、それを克服して密使の使命を遂行する事ができるのです。

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 もしそのように責任を果たそうとして、不意の事故で犠牲になったとしても、そこには新しい責任者を再び派遣できるのです。既に彼が死んでしまったとしても、彼の友人になる事ができ、彼の側に立つ人々が出てくるはずです。彼が模範となる立場で生きてきた故に、たとえ彼が犠牲になったとしても、そこには彼の側に立つ人々が残るのです。このような人々が残っている限り、神様がその基台の上に代わりの者を送る事ができるのです。しかし、そうでない立場で死んでしまう時には、そこで彼が行くら苦労したとしても、それで終わってしまうのです。

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 このような立場で皆さんは今、新しい時代を迎えてどのような姿勢を持たなければならないのでしょうか。神様の祖国主権復帰の為の信念が、何よりも高く胸の中で燃えていなければなりません。言い換えれば、六千年間、神様が待ち焦がれた祖国を建設する旗手となり、先鋒に立った精鋭部隊の一員として開拓者になる、この途方もない使命に責任を持っているという自負心を感じなければならないのです。過去に生きた数多くの人々が持つ事を願いましたが、持とうとしても持つ事が出来なかった、一つしかなく、この一時にしかない特権的な使命を担ったという厳粛な責任感をもたなければなりません。

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 従って、食べる事、寝る事、行く事、来る事、全ての生活が祖国創建の為のものでなければなりません。「神様から特別に派遣された密使として、凛々しく見事にこの使命を遂行しよう」と立ち上がってくれる事を神様がどれほど期待していらっしゃるでしょうか。今までは、ひどく追い込まれ、激しく追い回されました。国家の基台を備え、全体の内容を提示して一度も広げてみる事が出来なかった天のみ旨、祖国を立てる事ができる、そのようなみ旨を立てなければなりません。今までそのみ旨を、一度も立てる事が出来なかったのです。

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 しかし、今からはそのような祖国を建てる事が出来ます。その祖国には主権があり、その祖国には国土があり、その祖国には国民がいます。また、そこには単一民族の血統が因縁となっており、他の民族が持つ事が出来ない歴史があります。そのような祖国の為に私達は密使の使命を遂行しなければなりません。そのような使命を自分自ら早く完遂して、やり遂げればやり遂げるほど、神様の祖国主権復帰の基台が自分によって徐々に近づくのです。

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きょうの苦労を代価として払う事が神様の祖国主権復帰の一日を早く迎える事のできる基台になるのです。このような事実を思いながら、皆さんは生きて密使の使命を完遂するという決意をもっていかなければなりません。そうでなければ、これから神様が私達に与えて下さる世界史的な祝福と天運を、私達のものとして迎える事が出来ないのです。私達は、天国を地上に建設しなければなりません。地上でその国を復帰し、その国の中心と一つになって、天の国において、天が願ったその希望の基準を備えてお父様のみ前に帰ってこそ、面目を立てる事ができるのではないかというのです。

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 ところが、皆さんに国がありますか。もっていないという事を考える時、死ぬに死ねないのです。死ねば、どこへ行くのかというのです。お父様のみ前に行って面目のない事と恥ずかしさをどのように免れるのですか。自分の生命の長さというのは制限されているのに、その期間内にしようとするのですから、どれほど忙しいでしょうか。そこで悪なるサタンの環境は私達に反対し、怨讐達は私達の道を妨げるのです。これを切り開いていこうとするので、いつも密使のような行脚の路程を避ける事は出来ないのです。

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 私が行き来するのも、その国を取り戻す為の、神様の祖国主権復帰の為の建国の功臣になる為であり、そのような使命を担い、あるいは天の密使として指令を受けて今日の悪なる世界に来てこの事を行っている、という事実を思いながら生きていかなければなりません。そのようにしなければ皆さんは、今後、訪れる国の国民として、その威信と体面を立てる事が出来ないという事を知らなければなりません。

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皆さんは個人的に影響を与えたいですか。家庭的に影響を与えたいですか。国家的ですか。世界的ですか。どのように影響を与えたいですか。世界的に影響を与えたいでしょう。しかし、世界的な舞台に上がっていこうとするならば、一人では出来ません。国がなければなりません。しかし、皆さんの国があるでしょうか。

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ですから私達は、夜も昼もその国の為に食べて、寝て、暮らそうとするのです。その為に生まれたという事を、皆さんが天地を中心として誓う生活をしなければならないという事を知らなければなりません。寝ている時にも、世界の数多くの人々のベッドを集めて、その頂上で寝ていると考えなければなりません。

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食膳を見てもそのように考え、どこにいても自分一人で座るのではなく、世界の人種を全て集めた頂上の玉座に座っているという心をもたなければならないのです。天の息子はそのようでなければなりません。

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 サタン世界の権限を凌駕する位置に立つ事ができ、その栄光の位置に立って生きなければならないのが天の息子、娘の生活であるという事を、皆さんは知らなければなりません。神様が息子、娘を愛そうとするならば、そのような息子、娘を愛すべきなのであって、サタンにさえも劣る息子、娘を愛すれば、父の威信が立たないのです。皆さんは、そのような信念をもって今後、全世界と手を結んで日々の生活をしていかなければならないという事を、新しく決心しなければなりません。そこにおいて、統一戦線の基盤は確固たるものになると思うのです。

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 「私は、たとえサタン世界圏内にいたとしても、天の密使だ、天の一大使だ」と考えなければなりません。密使には、その国の国王と直接連絡する事のできる道があるのです。他の人には分かりませんが、そのような密使の使命と威信の為に生きているという信念をもっていかなければならないのです。この事を皆さんは、はっきりと知らなければなりません。国の国王も密使の報告を持っているのです。それと同じように、私達がこの地上で、そのような使命を持っているならば、神様も私達の報告と私達の要求を待たれるようになるというのです。

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 従って、自分が密使の立場で「至急に願うものを送って下さい」と言えば、あらゆる冒険を克服しながらでも送ってあげようとするのではないでしょうか。これと同じように、皆さんがそのような信念をもって神様の特権的な栄光の息子、娘である事を認識しながら「私はこれを願うので成し遂げて下さい」と言えば、成し遂げてくれるのです。そのようにすれば、生きていらっしゃる神様を発見でき、生きていらっしゃる神様が働かれるのを見る事ができるのです。

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 そのようになってこそ、指導者になる事ができ、病気の者がいれば病気を治す事ができ、困難な時には、神様が直接助けて下さるようになるのです。そのような生活を通じて多くの事を学ばなければなりません。そうしてこそ自信が生まれ、そうしてこそ信念をもって全てのものを打開して行く事ができるのです。

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 紳士、淑女の皆様。

 

 私達が行くべき所はどこですか。個人を尋ねて行く事が、私達が行くべき目的ではないのです。また、家庭を尋ねて行く事が現在の私達の目的ではありません。私達が行くべき道は、国を尋ねて行く事です。分かりますか。父、母、息子などという区別なく、これを尋ね求めなければならないという事です。ところが、今日の統一教会の教会員達、祝福を受けた家庭、氏族圏内にいる人々は、「ああ、国だとか何だとか、教会だとか何だとか、そんな事は知らない」と言います。そのように成れば、全て落第です。原理的にそうなのです。

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 死ぬ時まで国を求めていき、もてる精誠の全てを尽くして、正に天国の主権復帰の為に祝典を行い、祝賀する事ができ、勝利の凱歌を上げる事ができる、その時を迎えなければなりません。

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 イエス様の言葉ならば何であっても、その一つだけしか知らないというようでなければなりません。方向を提示するにおいては、二つではなく一つです。行こうと言えば行かなければなりません。そのようになっています。そのようになっていますか、いませんか。それでは、夫を捨てて、息子を捨てて、家庭を捨てて行こうと言えば、行かなければなりませんか、行ってはならないでしょうか。統一教会の為にそのような事はしないのです。国の為にそのような事が出来なければならないというのです。

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 今、以北(注:朝鮮半島で休戦ライン以北を言う語。北朝鮮)では、家庭の戸籍を全て作り直しています。これはどういう事だと思いますか。サタン世界が先に行うという事なのです。国の為には、自分の夫や、妻、父母、息子など、全て捨てて立ち上がる事が出来なければなりません。そうしなくては、希望の国を取り戻す事が出来ません。その国を復帰する時、その国と共に父母を取り戻すようになるのです。国を見いだす事が出来なければ、血を流す父母を見なければならず、血を流す妻を見なければならず、血を流す子女を見なければなりません。それ以上に悲痛な事がどこにありますか。それ故に、国を取り戻す前には妻を愛する事は出来ないのであり、父母を愛する事は出来ないのであり、息子を愛する事は出来ないのです。これがキリスト教が行くべき道であり、統一教会が行く道なのです。

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 皆さんは、自分自身を否定して、その国とその義の為に生きる人にならなければなりません。いかなる困難な環境にぶつかったとしても、皆さんは、自分自身に対するお父様の願いがある事を思いながら、その環境と闘って勝つ人にならなければなりません。そのような皆さんになって初めて、神様の真の息子、娘であると言う事ができるのです。

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それでは、神様の国を建設できる人はどのような人でしょうか。それは、自らの一身を否定し、切ない心で天の為に生きる人です。自分を否定して、社会と民族、国家、世界の為に生きる人が、正に神様の国を建設する事ができる人であるというのです。さらには、国家と世界を否定してでも天の為に生きる人が天国を建設する事のできる人であるというのです。また、いかなるつらい環境にぶつかったとしても、自分一身の故に悲しむのではなく、社会と国家、世界、さらには天の為に悲しむ人であってこそ神様の国を建設する事が出来ます。

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 それだけでなく、皆さんは、神様の国と神様の義を捜し立てる過程において、サタンとの闘いに敗北せずに勝利して、皆さんが個人から家庭、社会、民族、国家、世界を一つに連結させる事が出来なければなりません。すなわち、皆さんがどのような立場に立ったとしても、そこでサタンと闘って勝利する人にならなければならないのです。社会に出れば、その社会のどのような環境の中にあってもサタンと闘って勝利すべきであり、国家に出れば、その国家の一番難しい問題に責任をもち、サタンと闘って勝利しなければならないのです。

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 六千年間神様を縛りつけてきたサタンが、そのまま素直に「ああ、私は降参します」と言って、目を伏せて帰ると思いますか。皆さんは雑巾でも、捨てようとすればもったいないと思うでしょう。雑巾でも、引っ繰り返してにおいをかいでみてから捨てるのです。サタンは、そのまま退いてはいきません。ですから、がむしゃらな闘いをしてくるのです。それ故に、中心に合わせなければなりません。統一教会の文総裁も、中心から外れるようになる時には負けてしまうのです。方向が合わなければ、発展しないという事です。

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 その国を取り戻すのは世界を取り戻す為であり、世界を取り戻すのは霊界の為なのです。そうして何をするのでしょうか。神様を地上にお迎えして、そして定着し、万国が神様を中心にお迎えして、その神様の前に勝利の栄光をお返しする為に行くのです。そのような闘いをしなければならないのが私達統一教会の使命であるという事を知らなければなりません。

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 私達は、裸足で出ていき、神様の祖国を創建しなければなりません。食べ残したもので、この国を生かす事が出来ますか。食べる事、着る事、行き来する事に、いつ神経を使う事ができるでしょうか。裸足で、素手で開拓していかなければなりません。このような事を行うところが統一教会なのです。

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 皆さんは祖国を捜し出さなければならない勇士ですか、それとも滅ぼす亡国の士ですか。勇士とは国を代表し、他の人が出来ない仕事をできる人の事を言うのです。誰でもできる仕事をする人を勇士とは言いません。そのような人は兵士です。同僚達が出来ずに後退する時、その仕事をやり遂げる事ができる人であるならば、その人は勇士です。「勇」という字は、「すばしこい」という意味です。誰よりも早く走り、鉄砲玉もよけるほどにならなければなりません。誰でもできる仕事をする人を勇士とは言えないのです。

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国を建国するにおいて、開拓の勇士となるべき先鋒に立つ将軍は誰ですか。そして、国を成す事のできる基台はどこですか。一つの国を成そうとすれば、主権がなければならず、国土がなければならず、国民がいなければなりません。それでは、天の国を中心として見る時、国土となり得る基盤は何ですか。それは、教会の人と物しかないというのです。そうでしょう。

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この韓国に建てられる国はどのような国でしょうか。互いが流通し交流するようになる時は、共産国が建てられるでしょうか、それとも今日の大韓民国としてそのままにしておくのでしょうかそうでなければ、どちらでもない新しい国を追求するのでしょうか。このような問題について見る時、私達の時もますます近づいてきているという事を感じるようになります。皆さんが、この事を成して責任を負うべき統一の群れであるならば、それに対する責任感をどのくらいもち、また、どの程度の犠牲の代価を払う事ができる決意ができているのかというのです。自信がありますか。三十八度線の以北に越えて、以北にある五つの道の市、郡を中心として、私達の基地を準備しなければなりません。

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 人員が不足なこの時に、誰が北韓の地の、定州ならば定州の責任者になるのかを考えてみなければなりません。定州の郡ならば定州の郡を中心として、「私が責任者にならなければならない」と十年、二十年準備して、それでも成れなければ、後孫に「お前は一所懸命に勉強して、一所懸命に準備をし、その日を迎えたら定州の地の天との因縁を代表した責任者になりなさい」と、遺言を残してから死ぬ事のできる、そのような精誠を尽くす皆さんになってみましたか。私は今まで、そのように思って準備してきました。

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 そのような事を考える時に、若い者達は地方に帰って自分の子女と妻を連れて、笑いながら暮らすようになっていますか。そのように暮らすようになっていますか、いませんか。死んでも国を残していかなければなりません。死んでも、子女達に国を残してあげなければなりません。新しい決心をしなければならないのです。

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 「私は、ソ連と満州に隣接する地方に行って共産党と額を突き合わせ、朝夕に銃声を聞きながら国境地帯の見張り役をする責任者にならなければならない。国が理解してくれず、誰も理解してくれなかったとしても、生命と取り替えても、国を愛する忠節の心は変わらない」という決心をしなければなりません。それで満点です。世の中が分かってくれなくてもかまいません。霊界に行けば、全て明らかになるようになっているからです。

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 このような事を考える時、人が足りないという事を皆さんは知らなければなりません。分かりますか。人が不足しているという事を知らなければなりません。案山子のような男性であってもラッパをかつがせ、あるいはロボットを造って北韓の地を歩き回らせてラッパを吹かせたいというのが私の心情であり、神様の心情です。口があり、感情をもった男として生まれ、それも二十歳、三十歳の若い心と体をもっていながら、原理のみ言を語る事が出来ないというのでは話になりません。

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 目玉が腐って飛び出すくらい、夜、寝ずにでも勉強をしなければなりません。おなかがすいて骨と皮だけになったとしても、準備をしなければなりません。そのようにして骨と皮だけになったやせこけた体が、天の愛を全て受ける事ができる体となるのです。神様は、そのか細い一人の男性ならば男性に、全ての期待を持つ事ができるのではないかというのです。

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 イエス様も、国を建てられる為に来られました。祖国がなければ、可愛そうなのです。祖国がないので、宗教人達は悲惨でした。審判しようとすれば個人と家庭、氏族、民族、国家、世界が不変の基準に立ってこそ、その基準を基台として審判するのです。祖国は最後の希望です。祖国の中には、民族も、氏族も、家庭も、個人も全て含まれているのです。

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 この三千里(注:朝鮮半島全体)が祖国になりましたか。そのようになっていないので、清算しなければなりません。神様が望まれ、イエス様と聖霊が望まれる祖国を創建する為に、私達全員が一片丹心で頑張らなければなりません。

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 善というものは何でしょうか。家庭の為に個人が犠牲になり、氏族の為に家庭が犠牲になり、神様の祖国主権復帰の為に氏族が犠牲になる事が善です。神様の祖国主権復帰の為に全てが犠牲になって、神様の祖国主権復帰が成し遂げられれば、全ての人が愛国の忠臣となるのです。国家的基準の前に忠誠を尽くして国家基準を立てれば、家庭、氏族の基盤を築いたという公認を受けるようになります。道義の基準とは、神様の為に絶対忠誠する事です。そのようにすれば、その過程の全てのものは認められるようになるのです。

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 私達はどのようにすべきでしょうか。イエス様は「わが父よ・…わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」(マタイ二六・三九)と言われました。ここにおいて、「わたしの思い」とは世の中の思いであり、「父のみこころ」とは神様のみ旨です。統一教会員である皆さんは何をしましたか。忠臣の道理を立て、またその実績をもってきましたか。孝子の道理を果たして、その実績をもって、個人、家庭、氏族、国家、世界的な闘争をする覚悟ができていなければなりません。イエス様は祭物の使命をもって来られました。

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皆さんは世界的な闘争をなしていきながら、民族的な基盤を築いていかなければならないのです。メシヤとの相対的な価値を備えなければならないのです。指導者が世界を開拓する所において、指導を受ける皆さんは、民族的な道を築いていかなければなりません。数多くの人々が神様の主権復帰の道を願いながら死んでいきました。いつになるとしても「必ず成る」という信念をもって死んでいったのです。

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 統一教会員は、個人から民族、国家基準まで築いてきました。今からは、全世界の人類と全ての国家を動員しなければなりません。私達は、神様の祖国主権復帰、自由、平等、幸福の日を捜し出していかなければなりません。その道が困難であっても行かなければなりません。それが、私が望む観点であり、神様が望まれる基準です。イエス様はこの基準を望みつつ、歩まれている途中で亡くなりました。私達は神様の祖国主権復帰の過程において、苦労しながら行かなければならないのです。

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 韓国は、私達が責任をもたなければなりません。きょうもあすも変わる事のない祖国創建という覚悟と信念をもって、イエス様の祖国、聖霊の祖国、先知先烈(注:預言者と、義の為に戦って死んだ烈士)の祖国、神様の祖国、その祖国を成せなかった恨を解かなければなりません。そうでなければ、面目が立たないのです。

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 私達は、祖国を取り戻さなければなりません。祖国を取り戻そうとすれば、祖国の為に生きなければなりません。祖国の為に生きる事が出来ない人は祖国を見いだす事が出来ません。それでは、どのように生きる事が祖国の為に生きる事になるでしょうか。世界を自分の祖国と思って世界の為に生きなければならないのです。そのような人は、祖国を創建する事が出来ます。食べる事、寝る事、歩いて行く事、全ての生活と行動が祖国創建の為のものとならなければなりません。

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 それ故に私達は、共産党から白昼、刃物で刺される覚悟をもって闘っているのです。この民族が出来ない時は、私達がしなければなりません。この民族が行く事が出来なければ、私達が行かなければならないのです。その為には、誰よりも祖国を愛さなければなりません。御飯を食べるのも祖国の為に食べ、結婚するにしても祖国の為に結婚しなさいというのです。私達の祖国の為にです。

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 今は、私が言えば何でも聞く事ができる群れが生じ、私が方向を提示すれば動く事ができる群れが生じましたが、これで幸福を感じる男ではありません。統一教会を犠牲にしてでも、神様の祖国主権復帰を約束できる、そのような基台を広めて行くのです。六千年摂理の中心的み旨として立てた家庭を信奉する事のできる、教団と民族と国家がなければなりません。神様を信奉する事ができる、そのような基台を準備し、それが一時に連結する事を願って送られたのですが、それが粉々に壊れた故に、再び収拾しなければならない運命が残るようになったのです。これを収拾する為に先頭に立って走らなければなりません。

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 夜になって寝床に入る時間にも、その願いの国と共に寝なければなりません。今は神様の国がありませんが、その国の国民の一員として、その国の為に眠るのであり、目覚める時もその国を建国する為の一員として眠りから覚めなさいというのです。見て、聞いて、感じる全ての感覚も、祖国という命題を思う事なくしては感じてはならないというのです。その日が来るまでは、死んではなりません。その日が来るまでは忙しいのです。その事を成す為には、激しい受難と逆境を克服しなければなりません。

            *

 

 成すべき仕事があれば、寝るのが遅くなったとしても解決しなければならないのです。神様の祖国の主権復帰というものが時間を中心とした犠牲の量を加重させてこそ訪れてくるという事を思う時、自分の涙と精誠の量を、きょうこの時間を通じて少しでも補充すべき責任があるのにもかかわらず、安らかに寝て伸びをしながら起きられるのかというのです。起きては腰を曲げて「お父様。あなたが訪ねていかれる明日の安息の住みかであり、あなたが行使されたかった世界を支配する事のできる勝利的国家の基台に向かって行く寂しく孤独な男の行く道が、このように悲惨である事を感じます。私自身がそうであるのに、天が訪ね求めてこられる道はもっと悲惨なのではありませんか」と、祈祷しなければなりません。

            *

 

 疲れたといって思いのままに横になる事が出来ないのです。死んでも国の為に死ななければなりません。それ故に、年を取って疲労を感じるそのような立場で、自分がもし死の場に行くとすれば、その場で残す事ができる一つの願いが何かという時、それは「天の為に出来る事は全て果たした。その国の為に出来る事は全て果たした」という言葉を残す事です。

            *

 

 イエス様は「(あなたがたは)何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。・・まず神の国と神の義とを求めなさい」(マタイ六・三一~三三)と言われました。このように聖書の主流思想は国です。国、その国を求める思想なのです。自分の幸福を求める思想ではありません。国の民として生まれ、夫をもったとしたならば、その夫は国を代表した夫です。故に、国を愛した後に夫を愛さなければなりません。妻も国を代表した妻であるので、国を愛したのちに妻を愛さなければならないのです。

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死ぬにしても「私が成し得る力を全て果たし、私はこれ以上出来ないというその位置で死なせて下さい」と言えなければなりません。「これをやっておけばよかったのに」という言葉を残して死んではなりません。それ故に、やってもやっても忙しいのです。行っても、また行かなければならないのです。他の人が休む時間に、私達は一歩でもさらに進まなければなりません。「サタン世界よ、休んでいろ。サタン世界よ、お前は何もしないで遊び暮らしていろ。我々はその国の為に歩むのだ」と思わなければならないのです。

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 南北統一を熱望する愛国同胞の皆さん。

 

 特に女性の使命として、子女格である青年男女および学生達を、真の教育を通じて真の子女として復帰しなければなりません。さらに、母と子女が一つになって模範を示し、教育を通じて夫までも真の天の息子として復帰し、真の父母に従い、神様を中心に侍り、地上天国理想を復帰しなければなりません。

            *

 

 改めて、きょうのみ言が、南北韓が共に真の愛で出合う、その日を早める汎国民運動になる事を願いつつ、私の話を終わりたいと思います。

 

 神様の祝福が皆さんと、皆さんの御家庭に共にある事を祈願いたします。ありがとうございました。

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