昨日の「高校時代の悪友と食事してました」の追記です。
認知症になってしまった2人に関しては、いずれも奥さんが急逝され、それを追うように認知症になられた由です。どちらもそれまでは活発に活動されていたのですが、男性とはかくも脆いものかと改めて知らされました。
通説では「ツレアイを先に亡くした高齢の女性は、暫くすると若返って元気になるが、逆に男性の場合は直ぐに気力を失って一気に老け込むか病気になる。」と言われていますが、正にそのもの通りの展開に愕然とすると同時に、ツレアイが急逝したのにそれ以後も何とか元気を保っている私は少し異常なのかとも思ってしまいました。
しかし、改めて思うのはそうではないという事でした。
「ツレアイを信じて家のことは任せ、気ままに生きさせてもらう」は男性としては格好エエかも知れません。
“二人で共に生きる”という事の前提としては、単に「ツレアイを尊重して、大事にする」以前に、「自分自身が先におかしくなった時に、ツレアイが困らないような配慮をしておく。と共に、万一にでもツレアイが先におかしくなった時に自分が逆な場合にツレアイに望むような生活が送れるような生活の基礎だけはイメージして、備えておく」という事がいかに大事かと思えます。
私も、正直言ってそのような心構えも努力もせずに漫然とした生活をしており、年齢差だけを根拠に私よりは絶対に長生きするだろうと勝手に思っていたツレアイが突然に悪化したときには愕然としました。
しかし、その時に思ったのは、“「私が先に逝った時に、ツレアイにだけは不安な生活を送らせたくない」と思っていた私の気持ちは、ツレアイも同様だと思うので、何とか落ち込まずに元気を保ち、ツレアイを少しでも供養していける生活を送りたい”という事で、お陰で何とかこれまで認知症になるほどの落ち込みもなくやってこれました。
見方によっては、冷たい生き方に見えるかも知れませんが、今日もツレアイの位牌の前に新しい花を供え、片言のお経もあげ、今日の出来事を報告できる、何処か寂しいながらも何となく納得できる生活を送っています。(まさ)
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