今日の夕方には大阪では久しぶりの夕立で、雷鳴と共に激しい雨となり、今までの猛烈な暑さが少しは変わってくれるのかという期待を抱きましたが、今日はこの雷に関するお話です。
最近は余り聞かなくなりましたが、昔の年寄りは雷が鳴り出したり、災害などを避けたい場合に、おまじないの様に「くわばら くわばら」と言っていた記憶があります。
すっかり忘れていたのですが、先日の毎日新聞夕刊の「語源由来巡行」というコラムの中で、この「くわばら くわばら」の語源として、何と大阪府和泉市の西福寺というお寺に関係があるとの記載がありましたので、早速調べて見ました。
◆Goo辞書に拠ると、「くわばら」は、
1) 桑を植えた広い畑。桑田。
2) 「くわばら、くわばら」の形で、
・落雷を防ぐために唱えるまじない。
・嫌なことや災難を避けようとして唱えるまじない。
とあり、2)の補説として、下記の説明もありました。
“死後に雷神となったという菅原道真の領地桑原には落雷がなかったところからという。また、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った、という伝説によるともいう”とありました。
◆このコラムのきっかけとなった、和泉市桑原町にある西福寺に伝わる伝説については、同寺によれば、
“東大寺再建をはじめ数々の偉業を成し遂げた俊乘坊重源上人が、日照りのため雨乞いをしていました。するとそこにすごい雷鳴と共に、雷が井戸へ落ちました。そして老婆が気丈にも石で井戸を塞いでしまいます。助けを求める雷に、上人は「もう二度と桑原には落ちてはならぬぞ」と言って逃がしてあげました。以後、「くわばら、くわばら」と唱えると、雷の方から逃げていくようになったといわれています。”とあります。
◆「大阪再発見」というHPでは、同上の西福寺の説明と共に、
・兵庫県三田市桑原 欣勝寺の雷井戸伝説
・京都府下の「桑原」と云う地名の道真の所領での雷伝説
・長野県千曲市桑原の菅原道真に関わる雷伝説
など数多くのクワバラと雷伝説が語り継がれているとのことでした。
◆上記の兵庫県三田市欣勝寺の雷井戸伝説は、和泉市西福寺の伝説とは少し違っていて、
“雷の子供が、うっかり足を滑らせて、三田の欣勝寺の井戸に“ドスン!!”と大きな音を立てて落っこちてしまいました。動こうともどうしても外に出られないので、「助けてくれ~!!」と大声で叫びました。
この声を聞いた和尚さんが井戸を覗き込むと、やんちゃな雷の子供が落ちているので、あわててふたをして閉じ込めました。雷の子供は「助けておくれ。桑原には二度と落ちません!!」と言ったので、和尚さんはもう落ちないことを約束させて、逃がしてやりました”というものです。
◆更に京都の伝説については、WIKIPEDIAに拠ると、
どうやら京都市中京区の桑原町という所に関するようで、京都市歴史資料館によれば、「桑原」とはかつてあった館の名前に由来するといい、菅原道真と関連する地名であり、雷避けの呪文として知られる「くわばらくわばら」と関係があるとする説があるとの事です。
更に不思議なことに、この京都市中京区の桑原町は京都御苑と南側の京都地方裁判所・京都簡易裁判所に挟まれてて、郵便番号604-0976というはっきりとした地名なのですが、ここには住宅はなく、住民もおらず、町内を丸太町通が通り、町のほぼ全体が道路で建物は一つも無いという不思議な町の様です。
このように、これらの伝説はいずれも桑原という地名が関係しており、この地が他に比べ落雷の数が極端に少なかったことなどから生まれたものと思われますが、日本の伝統的産業である養蚕を支える桑原(桑畑)は日本各地にあったので、このような伝説はあちこちで起こったのでしょう。
また、菅原道真については、大宰府に流され903年(延喜3年)にその地で亡くなった後は怨霊(雷神)となり、京都御所を始め、都の各所を襲ったとされ、雷とは非常に関係の深い人です。(まさ)
最近は余り聞かなくなりましたが、昔の年寄りは雷が鳴り出したり、災害などを避けたい場合に、おまじないの様に「くわばら くわばら」と言っていた記憶があります。
すっかり忘れていたのですが、先日の毎日新聞夕刊の「語源由来巡行」というコラムの中で、この「くわばら くわばら」の語源として、何と大阪府和泉市の西福寺というお寺に関係があるとの記載がありましたので、早速調べて見ました。
◆Goo辞書に拠ると、「くわばら」は、
1) 桑を植えた広い畑。桑田。
2) 「くわばら、くわばら」の形で、
・落雷を防ぐために唱えるまじない。
・嫌なことや災難を避けようとして唱えるまじない。
とあり、2)の補説として、下記の説明もありました。
“死後に雷神となったという菅原道真の領地桑原には落雷がなかったところからという。また、雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓った、という伝説によるともいう”とありました。
◆このコラムのきっかけとなった、和泉市桑原町にある西福寺に伝わる伝説については、同寺によれば、
“東大寺再建をはじめ数々の偉業を成し遂げた俊乘坊重源上人が、日照りのため雨乞いをしていました。するとそこにすごい雷鳴と共に、雷が井戸へ落ちました。そして老婆が気丈にも石で井戸を塞いでしまいます。助けを求める雷に、上人は「もう二度と桑原には落ちてはならぬぞ」と言って逃がしてあげました。以後、「くわばら、くわばら」と唱えると、雷の方から逃げていくようになったといわれています。”とあります。
◆「大阪再発見」というHPでは、同上の西福寺の説明と共に、
・兵庫県三田市桑原 欣勝寺の雷井戸伝説
・京都府下の「桑原」と云う地名の道真の所領での雷伝説
・長野県千曲市桑原の菅原道真に関わる雷伝説
など数多くのクワバラと雷伝説が語り継がれているとのことでした。
◆上記の兵庫県三田市欣勝寺の雷井戸伝説は、和泉市西福寺の伝説とは少し違っていて、
“雷の子供が、うっかり足を滑らせて、三田の欣勝寺の井戸に“ドスン!!”と大きな音を立てて落っこちてしまいました。動こうともどうしても外に出られないので、「助けてくれ~!!」と大声で叫びました。
この声を聞いた和尚さんが井戸を覗き込むと、やんちゃな雷の子供が落ちているので、あわててふたをして閉じ込めました。雷の子供は「助けておくれ。桑原には二度と落ちません!!」と言ったので、和尚さんはもう落ちないことを約束させて、逃がしてやりました”というものです。
◆更に京都の伝説については、WIKIPEDIAに拠ると、
どうやら京都市中京区の桑原町という所に関するようで、京都市歴史資料館によれば、「桑原」とはかつてあった館の名前に由来するといい、菅原道真と関連する地名であり、雷避けの呪文として知られる「くわばらくわばら」と関係があるとする説があるとの事です。
更に不思議なことに、この京都市中京区の桑原町は京都御苑と南側の京都地方裁判所・京都簡易裁判所に挟まれてて、郵便番号604-0976というはっきりとした地名なのですが、ここには住宅はなく、住民もおらず、町内を丸太町通が通り、町のほぼ全体が道路で建物は一つも無いという不思議な町の様です。
このように、これらの伝説はいずれも桑原という地名が関係しており、この地が他に比べ落雷の数が極端に少なかったことなどから生まれたものと思われますが、日本の伝統的産業である養蚕を支える桑原(桑畑)は日本各地にあったので、このような伝説はあちこちで起こったのでしょう。
また、菅原道真については、大宰府に流され903年(延喜3年)にその地で亡くなった後は怨霊(雷神)となり、京都御所を始め、都の各所を襲ったとされ、雷とは非常に関係の深い人です。(まさ)