Neko★です。

★★AB型・みずがめ座★
 ★身内には内緒の家Neko★日記です★★

五箇山といえば~☆

2010-12-11 | 想い出~☆




Neko★にとっては、『こきりこ』といえば、母のたったひとりの弟=Y叔父さん

『おわら風の盆』は、父なんです。

ふたり仲良く?、10月1日に、風になってしまいましたが・・・

Y叔父

年は離れていましたが、山菜獲りに、海釣りに・・・と、よく一緒に行動してました。

会社が休みの土日は、会社に居るか?Neko★家(実家)に居たY叔父さん(笑)

従妹が小さい頃は、いつも連れてきたのでNeko★の妹同然です。

いつも突然で、思い付きで行動する、新し物好きで~でも、古い物も大好きな

ちょっぴり我儘なY叔父が、大好きでした。

懐かしくなって~ちょっと五箇山を詳しくご紹介


上平村は、庄川の上流、富山県の最南西端!
西は石川県金沢市、南は岐阜県白川村に接ししている自然美に恵まれた地域です。
また、利賀村・平村とあわせた地域は、5つの谷(赤尾谷・上梨谷・下梨谷・小谷・利賀谷)
の合間に点在する山里『五箇山』という名称で古くから呼ばれてきました。

この地域に人が移り住んだのは石器時代といわれ、特に土器は、縄文時代中期から
後期のはじめにかけてのものが多く出土しています。

古代には、白山の修験道として村の西境を南北に連なる大門山・見越山・奈良岳・大笠山・笈ケ岳に修験者の往来があったといわれ、
平安末期には倶利伽羅の合戦で敗れた平家の落人が逃れ住み着いたと・・・
落人が逃れてきたときの様子なども哀れに伝えられています。

 近世以降、五箇山は加賀前田藩の所領として封建社会に取り込まれ、養蚕和紙
そして火薬の原料となる塩硝の産地としての性格を持つようになりました。
反面、急峻な山と谷は天然の流刑地としての要件をみたし、多くの罪人が加賀の都から
送られてきましたが、そのことが、遊女お小夜に代表されるように、
都の文化の伝来に寄与していたとも考えられています。

その後、明治22年に町村制が公布された際、五箇山の5つの谷のうち、
赤尾谷と上梨谷の一部を上平村と称すことなりました。

上平村は全域が白山国立公園、五箇山県立自然公園に指定されており、四季折々の自然景勝に大変恵まれています。
平成7年に世界遺産に登録された「菅沼合掌造り集落」や国重要文化財「岩瀬家」に
代表される文化財や、「こきりこ節」や「むぎや節」といった情緒溢れる民謡、温泉、スキー場、桂湖野外活動施設等を活かしたむらづくりに取り組んでいます。


筑子(コキリコ)とは七寸五分に切った小竹の事です。
この竹を打ち鳴らし唄います。   ・・・・写真のように結び、家のお守りとして飾っています。

田楽の流れを汲む最古の民謡といわれており、平安・鎌倉・室町といった中世の

おおらかで雅な様子を残す踊りです。

直垂衣装で踊る「放下僧のささら踊り」

直垂(ひたたれ)は日本和服の種類の一つ。男性用。
なお、平安時代貴族社会で「直垂」といえば、普通「直垂衾」
(着物の形をした絹綿入りの布団。今のかいまき布団のようなもの)をさす。※

優雅~雅でしょう~

実際に観た写真は、アルバムと一緒に実家にあるみたいなので、写真はネットから

お借りしてきました。


「こきりこ」は、越中五箇山・上梨の山里を中心に伝承された全国的に有名な古代民謡♪

楽器は、鍬金、筑子竹、ささら、鼓、横笛、太鼓などままのものを今に伝え、豊穣の祈りを

祝う純朴な踊り。・・・・ん~~~~また観たいです~~

ところで、今年の漢字一文字は「暑」とか・・・

本当に、酷暑の中、雑草と格闘してきたNeko★にとって、今年の一文字は

「酷暑」の「暑」ではなく「酷」だよん・・・としみじみ・・・思います。
                                 
皆さんにとって、この一年は漢字一文字で、何でしたか?
                                       ThankYou


コメント (8)
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