最初に母が
「私は、いつまでいてもいいのかね?」
と聞いてきたので、
「あなたのため息が出るまで、いてくださいなあ~」
昔々母の母・・・大ババ様がよく言いました。
「はあ~帰りたや~Neko★!やっぱ家まで送ってよ!」
今日こそ泊ろうかの~と遊びに来ては、眠たくなる頃には、帰る!という~(笑)
母は、いつも「またか」とばかり、少し怒ったように、私に車で送るように言いました。
長い間、一軒おいて隣が母の実家でした。近過ぎ(笑)
ひょいと遊びにきて、好きなタイミングで帰る。。。わが家が一番
両親が郊外に家を建て、少し離れたとはいえ、車で・・・20分?
日帰りは、当然可能な距離でした。
最後の方、大ババ様93歳で亡くなるまで、私の両親と暮らしていましたが、
「娘だからって、私は嫁にいった身なのだから!」
と、父の手前、母がよく言っていましたよ~(笑)
その度に、大ババ様は、猫のように目を細めて「にゃあ」と笑っていました。
私達(孫)が一緒の時と、母だけのときとは違ったのかもしれませけどね・・・
兄兄母弟妹妹と、三男三女の長女の母
一番下の妹おぶって、洗濯、家事は当然
病弱だった二番目の兄の薬を取りに、疎開先から市内まで6里もの道?お使いに出された。
「まあ~長女だからか、よ~くこき使われた。」
「市内まで(6里)行って、親戚に一泊して戻ったのだけど、誘われるままもう一泊していたら
富山のあの空襲に遭っていたから~私はいなかったかも。」
今回、初めて聞いた話。。。小学校4年?5年??
「足腰が丈夫なのは、そのお陰かしらね~」
大ババ様、確かに私達孫にも厳しい一面(特に食べ物粗末にすると怖い)はありましたが、
年の近い孫6人(Neko★含む)引き連れて・・・お墓参り~親族めぐり?と孫守りしてました。
今は、兄弟の数も減って、親子共々、いとこといえど、すぐに逢える距離にはいないし
親とも、中々逢えない私達
「もう~懲りた」と思われるのも困るけど(笑)
これまで一週間が目安だった滞在が、10日を過ぎてます
母は、毎日のように?いつ帰ってもいいように、荷物を箱から出したり入れたり
宅急便で、送る準備です。
そろそろ?いえすでに・・・わが家が恋しいことでしょう~(笑)
「28日に、帰ります。」
了解しました
ThankYou
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