以下の一文は、立憲民主党コミュニティーにコメントした物である。(20180427;2250)
以前から考えていたことを、セクト主義への批判の反論として書いた。
1時間足らずに書いたので、十分整っていないが、考え方の本質の概要は表現していると思う。
価値観と真実を混同してはならない。
宗教や政治には価値観が含まれる。
民主主義も一つの価値観に過ぎない。
同じ価値観、パラダイムの中では、論理があり議論がある。
仏教哲学、キリスト教神学、日本会議の神道的思想はすべて価値観が先ずあってその中に論理体系が形成されている。
科学の場合は、価値観は無く、様々な異なった方法で事象を説明でき、再現性がありすべて同じ結論に到達する。そうしたことが真理と言われる。
しかし、文科系の政治や経済や社会やそれに関連する思想の理論は、人間の価値観があってそれに基づいた体系が自然に又は理論的に形作られ、そうした価値観が風土や民族性に一部を構成している。
民主主義も例外ではない。
民主主義国が採用している資本主義も一つの価値観であり、イスラム諸国には利息がなく違った経済体系を形成しているという。
民主主義や人権主義を受け継いだ、日本国憲法は、西欧で多く採用されている価値観に基づいている。
立憲民主党はそうした価値観に基づいている。
しかし、維新の会や自民党は旧憲法に近い価値観、人権の制限、即ち国家中心主義的傾向の価値観を持っている可能性がある。
民主主義と国家主義・全体主義は、価値観の問題であり、議論の余地はない。
価値観の問題は、味や色や香りの好みや美意識とも共通する。(芸術、宗教、民族文化、は価値観が基礎となっている。
例えば音楽でも浪曲、義太夫節、ジャズ、ロック、シャンソン、バロック音楽、世界の民族音楽はそれぞれ違った価値観があり、各価値観の中で論理がある。(例えば音楽体系では<楽器・表現方法・旋法・リズムや間・演奏技術演奏者>があり、その体系内でそれぞれの曲<作曲者>や演奏者の優劣がある。)
価値観の問題は、その本質を比較することが出来ない為、論理の問題ではないのである。(論理では比較し、大小や優劣や相似・転換ができる。)
但し、価値体系の中の構造的問題は、その価値観に基づく論理体系があり、その価値体系の範囲で議論になる。(例えば茶道や華道の流派の違いも、茶道や華道の価値観の中の、少しの価値観の解釈の違いを強調し、別の美的論理体系を創造したと考えられる。そうしたことは西洋美術、日本美術間でもあり、現代美術は西洋美術・日本美術の区別もない新しい美術の価値観を創造したが、価値観内の美的論理体系は無いのが実態である。現代美術といっても様々なコンセプトやフォルムが存在するし、作家の言説とは裏腹に実際にはコンセプトもなく流れのまま流行を取り入れ創作している作品も多い。)
即ち、一つの価値観の中には、その価値観を中心にしたパラダイムがあり、論理体系が出来ている。
キリスト教神学は、キリストや奇跡や神の愛を信じることが前提で、それを基に神学体系が出来ている。
仏教哲学も同じだ。
マルクス主義・唯物論は神を否定している。
価値観が違えば議論のしようが無いが、外交その他国や民族同士の交流で、原理主義的価値観をぶつけると、争いや紛争や戦争にならざるを得ない。
そこに政治の本質がある。
平和的に社会を動かすために、同じ価値観を持った者が集まり政党を作り、政党間で価値観の違いにより起きる矛盾や紛争を解消するのが、政治や外交ともいえる。(妥協や落としどころ)
日本では、現行憲法が社会の統一した価値観となっているが、その価値観を富国強兵の旧帝国憲法に近い形に変えていこうとしているのが、自民党であり維新ではないかと想像している。
政治では、お互い価値観の違いを認め譲歩しあう事が必要である事は言うまでもないが、基本的な価値観の違いは議論できない。
例えば平和主義と、中国やアメリカの様に武力を使ってでも国益を守るという議論は成り立たないだろう。
そういう意味からすると、同じ政党内に、あえて違う価値観を政党内に持ち込む必要はないのではないかと思う。(セクト主義は同じ価値観の中の小さな分派と考えている。)
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以前から考えていたことを、セクト主義への批判の反論として書いた。
1時間足らずに書いたので、十分整っていないが、考え方の本質の概要は表現していると思う。
価値観と真実を混同してはならない。
宗教や政治には価値観が含まれる。
民主主義も一つの価値観に過ぎない。
同じ価値観、パラダイムの中では、論理があり議論がある。
仏教哲学、キリスト教神学、日本会議の神道的思想はすべて価値観が先ずあってその中に論理体系が形成されている。
科学の場合は、価値観は無く、様々な異なった方法で事象を説明でき、再現性がありすべて同じ結論に到達する。そうしたことが真理と言われる。
しかし、文科系の政治や経済や社会やそれに関連する思想の理論は、人間の価値観があってそれに基づいた体系が自然に又は理論的に形作られ、そうした価値観が風土や民族性に一部を構成している。
民主主義も例外ではない。
民主主義国が採用している資本主義も一つの価値観であり、イスラム諸国には利息がなく違った経済体系を形成しているという。
民主主義や人権主義を受け継いだ、日本国憲法は、西欧で多く採用されている価値観に基づいている。
立憲民主党はそうした価値観に基づいている。
しかし、維新の会や自民党は旧憲法に近い価値観、人権の制限、即ち国家中心主義的傾向の価値観を持っている可能性がある。
民主主義と国家主義・全体主義は、価値観の問題であり、議論の余地はない。
価値観の問題は、味や色や香りの好みや美意識とも共通する。(芸術、宗教、民族文化、は価値観が基礎となっている。
例えば音楽でも浪曲、義太夫節、ジャズ、ロック、シャンソン、バロック音楽、世界の民族音楽はそれぞれ違った価値観があり、各価値観の中で論理がある。(例えば音楽体系では<楽器・表現方法・旋法・リズムや間・演奏技術演奏者>があり、その体系内でそれぞれの曲<作曲者>や演奏者の優劣がある。)
価値観の問題は、その本質を比較することが出来ない為、論理の問題ではないのである。(論理では比較し、大小や優劣や相似・転換ができる。)
但し、価値体系の中の構造的問題は、その価値観に基づく論理体系があり、その価値体系の範囲で議論になる。(例えば茶道や華道の流派の違いも、茶道や華道の価値観の中の、少しの価値観の解釈の違いを強調し、別の美的論理体系を創造したと考えられる。そうしたことは西洋美術、日本美術間でもあり、現代美術は西洋美術・日本美術の区別もない新しい美術の価値観を創造したが、価値観内の美的論理体系は無いのが実態である。現代美術といっても様々なコンセプトやフォルムが存在するし、作家の言説とは裏腹に実際にはコンセプトもなく流れのまま流行を取り入れ創作している作品も多い。)
即ち、一つの価値観の中には、その価値観を中心にしたパラダイムがあり、論理体系が出来ている。
キリスト教神学は、キリストや奇跡や神の愛を信じることが前提で、それを基に神学体系が出来ている。
仏教哲学も同じだ。
マルクス主義・唯物論は神を否定している。
価値観が違えば議論のしようが無いが、外交その他国や民族同士の交流で、原理主義的価値観をぶつけると、争いや紛争や戦争にならざるを得ない。
そこに政治の本質がある。
平和的に社会を動かすために、同じ価値観を持った者が集まり政党を作り、政党間で価値観の違いにより起きる矛盾や紛争を解消するのが、政治や外交ともいえる。(妥協や落としどころ)
日本では、現行憲法が社会の統一した価値観となっているが、その価値観を富国強兵の旧帝国憲法に近い形に変えていこうとしているのが、自民党であり維新ではないかと想像している。
政治では、お互い価値観の違いを認め譲歩しあう事が必要である事は言うまでもないが、基本的な価値観の違いは議論できない。
例えば平和主義と、中国やアメリカの様に武力を使ってでも国益を守るという議論は成り立たないだろう。
そういう意味からすると、同じ政党内に、あえて違う価値観を政党内に持ち込む必要はないのではないかと思う。(セクト主義は同じ価値観の中の小さな分派と考えている。)
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