散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

政治と価値観について(追)<一部宗教芸術含む>

2018年04月27日 23時01分49秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
以下の一文は、立憲民主党コミュニティーにコメントした物である。(20180427;2250)
以前から考えていたことを、セクト主義への批判の反論として書いた。
1時間足らずに書いたので、十分整っていないが、考え方の本質の概要は表現していると思う。


価値観と真実を混同してはならない。
宗教や政治には価値観が含まれる。
民主主義も一つの価値観に過ぎない。
同じ価値観、パラダイムの中では、論理があり議論がある。
仏教哲学、キリスト教神学、日本会議の神道的思想はすべて価値観が先ずあってその中に論理体系が形成されている。
科学の場合は、価値観は無く、様々な異なった方法で事象を説明でき、再現性がありすべて同じ結論に到達する。そうしたことが真理と言われる。
しかし、文科系の政治や経済や社会やそれに関連する思想の理論は、人間の価値観があってそれに基づいた体系が自然に又は理論的に形作られ、そうした価値観が風土や民族性に一部を構成している。
民主主義も例外ではない。
民主主義国が採用している資本主義も一つの価値観であり、イスラム諸国には利息がなく違った経済体系を形成しているという。
民主主義や人権主義を受け継いだ、日本国憲法は、西欧で多く採用されている価値観に基づいている。
立憲民主党はそうした価値観に基づいている。
しかし、維新の会や自民党は旧憲法に近い価値観、人権の制限、即ち国家中心主義的傾向の価値観を持っている可能性がある。
民主主義と国家主義・全体主義は、価値観の問題であり、議論の余地はない。
価値観の問題は、味や色や香りの好みや美意識とも共通する。(芸術、宗教、民族文化、は価値観が基礎となっている。
例えば音楽でも浪曲、義太夫節、ジャズ、ロック、シャンソン、バロック音楽、世界の民族音楽はそれぞれ違った価値観があり、各価値観の中で論理がある。(例えば音楽体系では<楽器・表現方法・旋法・リズムや間・演奏技術演奏者>があり、その体系内でそれぞれの曲<作曲者>や演奏者の優劣がある。)
価値観の問題は、その本質を比較することが出来ない為、論理の問題ではないのである。(論理では比較し、大小や優劣や相似・転換ができる。)
但し、価値体系の中の構造的問題は、その価値観に基づく論理体系があり、その価値体系の範囲で議論になる。(例えば茶道や華道の流派の違いも、茶道や華道の価値観の中の、少しの価値観の解釈の違いを強調し、別の美的論理体系を創造したと考えられる。そうしたことは西洋美術、日本美術間でもあり、現代美術は西洋美術・日本美術の区別もない新しい美術の価値観を創造したが、価値観内の美的論理体系は無いのが実態である。現代美術といっても様々なコンセプトやフォルムが存在するし、作家の言説とは裏腹に実際にはコンセプトもなく流れのまま流行を取り入れ創作している作品も多い。)
即ち、一つの価値観の中には、その価値観を中心にしたパラダイムがあり、論理体系が出来ている。
キリスト教神学は、キリストや奇跡や神の愛を信じることが前提で、それを基に神学体系が出来ている。
仏教哲学も同じだ。
マルクス主義・唯物論は神を否定している。

価値観が違えば議論のしようが無いが、外交その他国や民族同士の交流で、原理主義的価値観をぶつけると、争いや紛争や戦争にならざるを得ない。
そこに政治の本質がある。
平和的に社会を動かすために、同じ価値観を持った者が集まり政党を作り、政党間で価値観の違いにより起きる矛盾や紛争を解消するのが、政治や外交ともいえる。(妥協や落としどころ)
日本では、現行憲法が社会の統一した価値観となっているが、その価値観を富国強兵の旧帝国憲法に近い形に変えていこうとしているのが、自民党であり維新ではないかと想像している。
政治では、お互い価値観の違いを認め譲歩しあう事が必要である事は言うまでもないが、基本的な価値観の違いは議論できない。
例えば平和主義と、中国やアメリカの様に武力を使ってでも国益を守るという議論は成り立たないだろう。
そういう意味からすると、同じ政党内に、あえて違う価値観を政党内に持ち込む必要はないのではないかと思う。(セクト主義は同じ価値観の中の小さな分派と考えている。)


哲学・思想・宗教・人生・生き方(このブログは左記リンクのカテゴリー別「哲学・・」ホルダーに収納しています。)
政治・経済・社会・文化(このブログは左記リンクのカテゴリー別「政治・・」ホルダーに収納しています。)
自選ブログ集・新規掲載(新規掲載は、数か月以内に書いたブログの中から選定しています。)
新規掲載下段に分野別自選ブログ集(フォルダーリンク)も掲載しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
コメント

セクハラ問題へのTW投稿

2018年04月25日 10時46分12秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
20180425ー10頃twに投稿
26日テレ朝モーニングショーでセクハラ問題の話は見応えがあった。
先ずテレ朝社員玉川氏が番組中に会社批判を行った件について、他社の記者が批判した。
玉川氏は、会社から会社の代弁者でなく個人として自由に発言しなさいというミッションが与えられていると反論。
テレ朝も玉川氏も素晴らしい。

番組ではセクハラを受けた記者と会社の裏表が詳細に語られた。
記者は録音開始後1年近く夜の会食を止めたが今月再開。
その背景に口裏合わせ報道の周辺取材指示があった。
その経過や、検証議論や批判への反論があった。
朝日系列が、報道機関として立派な信頼できる対応をしていることを知った。
コメント

議論の部屋投稿・コメントまとめ

2018年03月24日 13時10分34秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
議論の部屋で投稿投稿したり、他人の投稿を読んで、それにコメントをしたり、更にコメントに対する返事もしているが残らない。
読み返すと内容の濃いものや、時間軸をたどると、事件の経過が分かるものもあるので、今後の資料・メモとしてまとめて掲載しておく。


20180324投稿
ABC放送(朝日系列・大阪)の土曜朝の「正義のミカタ」は、以前から保守・維新に近いお笑い芸人(橋下氏が知事選出馬の時、関西では大人気タレントのタカジン氏<橋下弁護士はタカジン氏の人気番組のレギュラーだった。>を中心に、多くの吉本芸人が橋下支持を鮮明にしつつ民主党を批判し大きな影響を与えていた。)や論客を取りそろえ、保守的な意見を垂れ流していたが、様々な政治や国際問題及び軍事の専門家の詳細な話もあり、それなりに面白く見ていた。
しかし、今日は森友学園問題についても取り上げていたが、いつまで森友問題に時間をかけるのか、早く決着しないため日本は大損している、といった趣旨を強調。森友問題の原因は単なる手続き上の処理の誤りが発端だと、専門家(高橋氏)が極端に矮小化し出演者も同調し発言していた。
公文書の改ざんや、権力の私物化や行政の信頼を含め民主政治の根幹にかかわる大問題といった論点は、全く出てこなかった。放送局の番組制作者の意図が露骨に表れている。テレビに関しては、朝日もサンケイや読売グループに近づいたのか。

20180322コメント
経済学は、経世済民の精神を含んでおり、多くの経済学者が倫理にも言及している。新自由主義は、倫理には言及せず、指摘の通り我欲の垂れ流し傾向が強く、弱者への視点に欠けていて、結果的には効率よく強いものだけが残ればよいという考えで、そのまやかしのトリクルダウンの話をする。ところが、ピケティ氏は、お金持ちはあふれたお金は下に回さず再投資し、もっと儲けることに使うといった意味の発言をしていし、お金持ちは無条件にお金を更に欲しがるとも言っていた。まさにウエーバーの資本主義の精神の指摘する構造であり、同時に煩悩・欲にとらわれた精神状態であり、トリクルダウンの説明が誤りである事が分かる。

20180321コメント
ネトウヨ達の反知性的傾向が気になります。ステレオタイプで物事を考え、単純化する。単純なスローガンを掲げることで意思統一しやすい。矛盾することは省略する。ネトウヨのみならず、行政の仕組みを変え2重行政を無くせばすべて良くなり、大阪が元気に豊かになると主張し、大阪を熱気に巻き込んだ維新の主張にもそうした傾向が見えます。その主張を切り崩せなかったため、民主党が大阪で崩壊しました。

20180312投稿
本質は、反安倍・自民支持。そして積極的な投稿で、立憲民主党議論の部屋攪乱工作。その人の言説の流れを見れば見えてくる。何人かいらっしゃるのかも。工作活動と議論とは違う。工作活動は攪乱分裂とか、意見誘導とか、活動の沈静化とか目的を持って行う。 そうした意見の中には、マスコミ等では、この機会だからこそ野党一緒になればという意見を言う人もいるという。そういう意見は、再び旧民主党の様な弱体化を狙っているようにも見える。共通問題での野党共闘は大歓迎だし必要あると思うが、基本政策が違うのに、党の合流や統合なんて問題外だと思う。

20180310投稿
今TBSのニュースキャスターで、財務省書き換えを認める方針とのアナウンスが!!この話が本当なら週明けは、大変なことに。


20180302に朝日新聞が、森友文書書き換えをスクープ報道(出発点 メモ)
コメント

論理のすり替え・矮小化(森友問題について)

2018年03月23日 17時47分14秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
・国民が選んだ首相になぜ軽々しく辞めろと言うのか (不満の憂さ晴らしだ。)
・加計学園問題で去年も同じ風景を見た(安倍さんが辞めればその後、誰がいるの?石破さん希望の党?)
・国会も司法も財務省の書き換えを解明せよ。(今問われているのは忖度だ。)
憂さを晴らして国を壊すな。
{「ホウドウキョク」より}

保守系の人は当然こういう言い方をするであろう。こういう人はTVのコメンテーターや解説者にたくさんいる。単に感情的に常軌を逸していると主張するだけでは、フジや読売をよく見ている人一般の人には伝わらないと思う。殆どの民放のコメンテーターに出ている田崎氏も、この問題に関し、政権交代の話やそれにつながる話題に話をすり替え、自民党内の勢力関係や時期総理候補や人物論に話題の中心をすり替えて矮小化し、論点をずらして話しをけむに巻くことも多い。(TV会社の番組制作者の意図が強い?)
我々はこうした話をフジや読売や維新シンパの人達にも、わかりやすり事実と、論理展開を用意する必要があると思う。
例えば総選挙での得票率の話をもっと強調し、政権批判票が多かったことを強調するとか、状況証拠として、組織ぐるみの財務種の公文書改ざんが、役人たちだけで出来ない上からの指示(忖度以上の上からの圧力や未必の故意と同様の圧力)や圧力を構造的な状況証拠として提示するべきと思う。(具体的証拠は出ない可能性が強い。)

もっと根本的な問題では、現政権のそもそも森友学園の小学校建設を支援しようとした意図や目的の重要性を強調する必要がある
。即ち籠池氏や自民党の多くの人が有力メンバーでもある日本会議の思想(例:教育勅語の礼賛)を具現化する小学校を建設しようとし、総理夫人が絡んだことがこの事件の出発点で、その為に行政の信頼を根底から覆す大事件となり、構造的に見れば、権力の私物化(小学校建設も、通常であれば法的に無理なものを、権力者の意向で実現させる。)になっていることが問題なのだ。
更に問題発覚後の過程で責任追及されると、公文書を改ざんし国会に偽造文書と提出し、国会の国政調査権を妨害するという、民主主義・三権分立の基本にかかわる絶対あってはならないことすら組織的にやっている。
こうした事は、組織ぐるみで行った話で、情況的(構造的)に見て担当者や官僚で出来る事ではない。当然、役人にとっては、何のメリットもないことだ。

こうしたことを考えると、組織を動かす権力者の意向による、指示又は強い圧力なしには考えられない。この問題は前川問題も同じ問題点をはらんでいる。(行政に対する自民党文教部会<道徳教育等で日本会議の思想を具現化したい。総理も同じ傾向>の圧力)
以上のような本質的なことを、市民や保守層にもわかりやすく伝える必要がある。
矮小化されたり論点をすり替えたりする議になった場合、間違った意見だ・常軌を逸していると片づけるだけではなく、本質論を平易な言葉で反論し理解を求め、矮小論や論理のすり替えに騙されないよう、問題の本質を指摘することが重要と思う。

追:
宗教思想に基づいた、学校は私立では問題ないし、認められている。(仏教・キリスト教・神道・・・)
しかし、それに対し、税金を使って公的機関や行政が積極的に特定の宗教を支援することはやってはいけないし、大きな問題である。
前川氏の問題も、自民党議員文教部会のメンバーから問い合わせを受けたことから、文部省から学校への問い合わせがあったことから問題となった。
問合せをした議員達は、日本会議のメンバーであり、安倍首相の理想とする教育方針(日本会議の思想傾向=神道系)を推進しようと活動していると聞く。
こうした私的な思想信条に基づいた見方で、公的機関を使い教育機関の教育に介入する(調査・チェック)ことが問題となっている。


自選ブログ集・新規掲載(新規掲載は、数か月以内に書いたブログの中から選定しています。)
新規掲載下段に分野別自選ブログ集(フォルダーリンク)も掲載しています。
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo

コメント

現在の日本経済(実感無き好景気)と新自由主義的改革の弊害(追)

2017年10月16日 13時08分55秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
新自由主義については「昨日記171003火(立憲民主党届け出 副食作り 自分の政治的立ち位置と新自由主義)追」の後半に記載しているので参照ください。

今日本の株価は高騰し、2017年10月11日に日経平均株価は2万0881円27銭を記録し、96年12月5日以来、約20年10カ月ぶりの高い水準となったと報じられた。

今年6月には、「内閣府の研究会は、先日、今の景気は、バブル期を超えて戦後3番目の息の長い回復を続けているという見解を示しました。」(NHK)という報道がされた。

同じ報道では、次のようにも指摘している。
「多くの人にとって、それほど好景気だとは思えないのが率直なところ。街行く人から聞こえてくるのは「回復の実感はない」「特売品などできるだけ安いものを買っている」などなど、好景気にはほど遠い声です。
それもそのはず、景気の力強さが決定的に欠けているからです。」

その実態を見ると
GDP伸び率  個人消費  実質賃金の順で割合(%)を示すと
                     GDP伸び率 個人消費  実質賃金
いざなぎ景気(1965/11-1970/7<4年9か月>  11.51   9.63   8.2
バブル景気 (1986/12-1991/2<4年3か月>  5.58   4.57    1.5
今回(2012/12-現在) 1.26   0.41   -0.6

こうした実態を見る限り、現在戦後3番目の長い景気回復で株価もバブル期越えというが、実態は労働者の実質賃金はマイナスになり、個人消費も伸びていないので、政府は景気が良いというが、庶民にその実感はないという指摘は数字(個人消費がマイナス)に出ている。

この実態は、株で資産運用する富裕層は大いに潤っているが、庶民の所得は減っていることを示している。
事実、所得分布は以前に比べ中心値が低くなっている。
その原因は、非正規の派遣労働を製造業にも緩和した、小泉内閣の新自由主義的構造改革が大きく影響している可能性が強い。
小泉改革の結果、派遣・非正規労働が急増し、それに伴い低賃金で労働者保護もない非正規が急増し、貧困層が増加し格差が拡大したのだ。

又、現在企業の内部留保は、ここ4年間で100兆円も増加しているという。
労働分配率は、2012年72.3%が2015年には67.5%と低下した。(日経ビジネス2017/9/8)
株や資産運用で儲ける資産家といった富裕層の動きみならず、企業も新自由主義に同調して競争力強化という名目で、従業員の賃金を抑制し、儲かっても労働者に分配せず、内部留保を増加させている企業の実態が浮き彫りになっている。

まさに新自由主義的改革をすると社会構造がどのように変化するか、見事に数字に表れている。
富める者はより豊かになり、高級品が売れ一見社会は華やかに潤っているように見える。
その実態は資産家や経営者層の富裕層と、それにつながる大企業社員だけが潤っているだけで、日本企業の大半を占める中小企業経営者やその従業員の所得は、ほとんど増えていないのだ。
そこには、個人の格差だけでなく、企業間格差、親会社と下請けといった、パワハラと同じ理不尽な差別や格差も大きく存在する。

だが、グローバル経済時代となった今、国際競争は避けて通れない。
企業は、厳しい国際競争に晒され、それに適応できなければ脱落するしかなく、効率の悪い企業は市場から退場するしかないことも事実である。
だからと言って、労働者の賃金を抑制して企業の競争力を強化すれば、実質賃金の低下から個人消費の減退を招き、景気の悪化につながる可能性が強い。

そうしたことを打開するには、中小企業は最新設備や新技術導入や技術革新や働き方改革と同時に、新しいニーズの発掘・創造や海外を含む販路開拓で、販売を伸ばし生産性向上を図り利益を増やし労働分配率も向上させ、実質賃金向上を図る必要があるだろう。
当然制度的に、親企業と子会社や、下請け企業への不公正な取引は法律で規制する必要があるだろう。
こうした新自由主義的改革ではない、経済改革をする政権の登場が求められると思っている。

散歩者gooブログ選
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
 



コメント

国内政治激動の2017年9月解散前後の私的反応記録

2017年09月29日 13時27分20秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
政治は勝てば官軍である。
過去の歴史を見ても、理屈や評価は後からついてくる。
様々な裏表の要素が複雑に絡み合う政治の瞬間的動きは、なかなか読めない。
個人も組織も時々刻々変化していて、誰でも過去の思想信条や考え方を維持していることは少なく、人脈や置かれた環境で大きく変化することが多い。
5年10年前の過去の言説を、そのまま現在の人物にあてはめることはできないだろう。
例えば、人は何かを学び成長すると、考え方も大きく変化し、過去の考えを捨て去ることも多い。
昨日の敵は、今日の友ということだってありうる。
事態の推移をみる場合、そうした目で冷静に事実に基づいて、今回の政治状況を見る必要があるのだろう。

今回様々な政治的動きが起きて、その動きに反応して私がツイッターに発信した記事をそのまままとめてみたが、後日振り返って、投稿内容や願望とその後に起きる動きがどうなるのか、後日振り返るのも興味がある。
今読み返しても、既に的外れかもしれない言説もあるし、将来読み返すと更に違うということもあるだろうが、激動の事態に私が反応したことを以下記録として残しておこうと思った。

さて、その流れであるが、9月28日の衆議院解散の前から、様々な動きがあった。
結局、希望の党設立と時を同じくして、最大野党である民進党が実質解党の動きとなり、民進党が希望の党に合流することになるようだ。
今回の選挙では、小池氏の審査が入り、安保法制や、憲法問題に関し保守系の方向に反対するものは、公認しないのかもしれない。
そういう意味で、大きなリベラル勢力の消滅ともいえるのかもしれない。
今後選挙期間中はもちろん選挙後数か月間も、合従連衡があるかもしれないと予測している。
特に中道リベラル系がどう動くかが注目である。
希望の党内で党内のリベラル勢力を形成するか、又は、無所属議員やその他中道リベラル系議員のエネルギーがまだあれば、新しく政党又は会派を結成する可能性も考えられる。

以下ツイター投稿の記録。
9月28日(衆議院解散の日)
民進党両院議員総会で、合流の提案が了承されたとの報道。個人的にはリベラルがかすみ残念に思う。だが、自民対決勢力としては、対等に渡り合えるし、政権交代も実現する可能性も出てきた。今後の旧民進党系議員がどのような働きをするのか、活動に期待したい。
9月28日
民進党は分裂し、残留組は希望の党と敵対するのでなく、希望の党とは、政策ごとに是々非々で協力関係を結べばよい。
9月28日
民進党は分裂し、残留者で公認候補を出すべきだ。
9月28日
ガラス張りか独断専行か今までの意思決定過程を見れば明白だ。独断専行型個人政党になだれ込む野党。権力の私物化と似た構造ではないのか。指導力・決断、リーダーシップは必要だが、そのためにはある程度の調整や問題点共有は必要だ。余程の緊急時以外の独断専行は独裁にもつながる非民主的体質だ。
9月28日
小池氏の政治手法は独断的・ワンマンで先延ばしの決断も多い。政治的に保守右派と言われる。安保法制にも賛同し改憲派である。リベラルとは合わない。そう考えると、民進党の合流派に出て行ってもらい、残った議員で民進党を継続すべきではないか。第三極の中道リベラル系野党結集を目指すべきだ。
9月27日
情報番組「みやねや」が「民進と希望の党が合流の方向で調整」の番組速報で盛り上がっていた。前夜、小池氏と前原氏が会談とのこと。合流の詳細不明。これに近い話は、他局番組でも一部の可能性の話としてあった。政界混沌!何が起きるか、選挙告示までどう動くのか、様子見するしかない。
9月27日
野党大激動。予測不能で様子見しかない。今後「希望の党」は幅広い左右の集まりで、結果的に自民補完勢力?成功すれば独断専行の「日本新党」と似た経過?民進党中道リベラルは、同党解党分裂なら組合のみに頼らない、国民本位の民主的中道リベラル結集を図るべきだ。多くの国民は期待している。
9月27日
しがらみにとらわれない政治とは、民主主義的合意や情報公開を無視し、関係者だけで密室で極秘決定することか。同党幹部は、小池氏が党首になることも直前まで知らなかったようだ。この党は、実質トップダウンですべてが決まるのだろうか。企業や多くの組織で見られることではあるが、これを許す体質?
9月27日
小池さんの動きを見れば、日本新党の成功体験再現の進化版を狙っているようにも見える。非リベラル中道保守で統合したいようだ。だが本人の本質は保守右派的要素が強く、決定手法も独裁的だ。国民は改革の語句を革新のイメージと混同し選択の可能性有り。反自民勢力結集を口実に希望の党へ吸収する?
9月27日
モーニングショーの政治分析。小池氏が2月から小泉・細川氏と接触。新党のコマーシャルもかなり前から準備されていた。共産党を除く全野党で合流又は協力し、政権樹立を目論んでいて、既に野党側にその動きもとか驚きの話。もしそうなら、細川・小泉氏が今後係わる可能性も?これなら実現の可能性有?
9月26日
これから始まる、加計隠し解散・選挙の争点は、加計・森友問題の対応に関しての信任投票にするかどうかが最大の争点だ。政権側は、問題のすり替えをし、目くらましを行おうとしている。政権側のペースに乗り、騙されてはいけない。
9月25日
松原氏も出たことで、民進党も右派の人の主要な人がいなくなり、中道又は中道リベラル路線でまとまり、今後まとまって力を発揮できるのではないか。自民党の補完勢力では与党の対立軸にならないし、国民もそうしたことを望んでいないだろう。新党は小池氏の個人政党で、参加者は保守系右派と見えた。


散歩者gooブログ選
散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo


コメント

「謂れのない圧力の中で」から思ったこと

2017年08月03日 12時53分48秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
下記の一文はFBの記事への私のコメントですが、普段感じていることを表現したものであるので、掲載します。

近年右派系の人達は、大ビジネスホテルチェーンや新興健康食品会社や民族系エネルギー会社やマスコミを含む右派系企業群からの豊富な資金をバックに、組織的にリベラル攻撃を行っているように見える。民族主義的右翼的な方向に異を唱える中立又はリベラル系マスコミや政党や、批判的なネット上の発信に組織的にチェックを入れているようだ。
FBでもそうした人達のチェックコメントが多く目立つ。
特に父兄からのクレームに弱い教育機関関係者等に攻撃を加え、萎縮効果を狙っている。
こうした動きに屈して従順になるように、執拗に攻撃していると思う。
このような攻撃に沈黙を守ることは、彼らの主張に従うことであり、それこそが彼らの最大の狙い、すなわち口封じである。
そうしたグループの支持者の代表例が森友学園問題に関係した人達だ。
天皇から国民に与えられた、旧体制の精神的よりどころであった教育勅語を賛美する人たちでもあり、彼らは現在の憲法を明治憲法に近づけ、民族主義を基本に自由や民主主義や基本的人権を制限し、国家主義的方向に社会を変えようとしているように見える。
その背景には所得・資産の再配分ではなく、既得権益や階層の保持という経済的意味も見え隠れする。

参考 
「謂れのない圧力の中で」 http://toi.oups.ac.jp/16-2wada.pdf

リテラ 安倍応援団の抗議  http://lite-ra.com/2017/07/post-3346.html
リテラ 安倍政権の圧力   http://lite-ra.com/2016/07/post-2389.html

この文章を掲載している山崎雅弘さんのツイート


散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
散歩者goo 自選ブログ 
コメント

政治夏の陣を見る

2017年07月24日 14時30分58秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
昼食後すぐに外出する予定であったが、TVの国会閉会中審査での加計学園問題(稲田防衛大臣問題はまだ出ていないが主要議題)のやり取りに見入ってしまって今も家にいる。 室温34℃62%
現在内閣支持率も3か月急落し、20%台になった。
しかし総選挙は無いし、民進党は弱体化しているので、民進党が勢いを盛り返すか、与党批判の受け皿政党が出るまでは、政権交代は無いのだろう。
ただ今は、まさに政治の夏の陣ではあるが、上記のように与党が落城しないのは確定的だ。

コメント

イスラム国とイラク・シリア・アメリカ及び関係国の推移(2015年2月現在)

2015年02月12日 20時16分15秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
イスラム国とアメリカやイラクやシリアの現状に関して多くの報道がなされているが、状況が流動的で関係も複雑で、なかなか把握できない。
この問題をある程度整理して理解するために、過去の報道を思い出しながら概要をまとめてみた。

イスラム国問題は、元々アメリカがイラクを攻撃しイラクの安定した政権を壊滅させたために、イラクの秩序が乱れて過激派が増殖することになったという意見が多い。
その意見は、間違っていないと思うし、アメリカの責任は大きいと考えている。
しかしその後イスラム国は急速に拡大し、同時にそこに多くの国の利害が絡み、イラク・シリアの複雑な国内事情も絡んでいるようだ。


具体的にイスラム国と、イラクやシリアの関係を考える前に、イスラム教の国やイスラム国についての参考情報をメモ書きしておく。
イスラム教にはスンニ派とシーア派の二つの流れがある。スンニ派はイスラム教の少数派であるが、イラクの競合国イランの国教である。スンニ派はイスラム教の多数派。 イスラム教の国は北アフリカ、中東のみならず、マレーシア、パキスタン、インドネシア、中国ウイグル自治区や中央アジアの多くの国がイスラム教の国である。
イスラム国が唱えるイスラム教の教義の解釈については、過激派を除く、ほとんどのイスラム教指導者、または団体が、イスラムの教えではないとしている。
イスラム国は、イラクの混乱に乗じまずイラクで勢力を拡大し、その後に起きた、アラブの春に呼応したシリアの混乱に乗じシリアにも勢力を拡大したといわれる。
イスラム国は、現在の国境をすべてなくし、武力を使ってイスラム国で統一しようと考えているようである。
同時に、ネットで虚偽の情報発信をし、全世界から2万人以上の若者を戦闘員として集めているという。
イスラム国を、国家としては認める国は皆無であり、単なる武装組織を持った違法行為を働く過激派テロ組織とみなされている。
空爆前までは、イスラム国は石油を密売したりして、巨額の資金を資金源に活発に活動し、勢力を広げたが、空爆で石油関連の資金は断たれたという。


イスラム国に関連する流れを、先ずイラクから見てみよう。
そもそもイラク問題の発端は、フセイン政権時代にアメリカが、イラクが大量破壊兵器を作っているという指摘をしたことから始まった。
それがきっかけで、アメリカはフセイン政権を攻撃しイラクを占領したが、大量破壊兵器製造の証拠は何もなかった。
その後アメリカ軍のイラク統治の後、政権はイラクに返還され、その後イラクの政治状況が混乱し、イスラム国の跋扈を許す事態となった。

では、なぜイスラム国が強くなったかという理由を、報道されていることを通じて、その間の事態の推移を細かく見ると、次のように見えてくる。

フセイン政権崩壊後、アメリカ軍統治時代は、スンニ派、シーア派、クルド人の勢力に偏ることなく、旧政権の組織も活用し、イラク政府や軍をうまく動かしていて、それぞれの勢力が協力して治安は安定していたという。
米軍統治から民政移管の時に行われたイラクの総選挙でマリキ氏が当選し、マリキ政権が誕生した。
その時に、フセイン政権時代虐げられていたシーア派が支持するマリキ政権は、フセイン政権時代に主導権を握っていたスンニ派の多くの政府関係者や軍関係者を追放し、シーア派の人脈に入れ替え、シーア派中心の政府・軍を作った。

そうした、未熟かもしれない政府・軍の大胆な変更と偏った統治は、大きな混乱を招いたといわれる。
一方、職を失ったり冷遇されたスンニ派の住民の一部は不満を持ち、イスラム国に走ったという。
又追放された旧政権の政府・軍関係者(スンニ派)をスンニ派であるイスラム国がうまく取り込んだため、急速に勢力を増したといわれる。
更にイスラム国は、イラク領内のスンニ派地域で支配地域を急速に拡大し、油田や銀行を攻略して入手し、莫大な資金を得て、軍資金にまわしているといわれる。
そうした資金を、元にネットを使い世界中に発信し、若者の戦闘員を集めているという。
イスラム国の支配地域は、バクダッド近郊まで及んでいる。

そうした状況にもかかわらず、マリキ政権内では汚職やコネがはびこり、軍も例外ではなく、要衝モスルの戦闘では、真偽のほどは分からないが、戦闘経験の不明な指揮官に率いられたイラク軍は、ほとんど戦わずに武器を置いて逃げ出したという話も伝えられていた。
その結果、マリキ氏は国内外の批判にさらされ辞任し、昨年9月に新しくアバディ首相が政権を引き継いだ。

イラクのアバディ新政権は、挙国一致内閣として、シーア派15人 スンニ派6人 クルド人3人の閣僚で構成されていて、この体制でイラク領内のイスラム国と対決するという。
アメリカは、有志連合を組み2014年8月からイラク領内のイスラム国に対し空爆をはじめ、シリアにも拡大している。
アメリカは、新政権に対し軍事顧問団を送り、イラク軍の戦闘能力強化に力を入れている。
近くイラク軍が、イスラム国に対し数週間後(2015年3月?)にモスル奪還のため大規模な地上戦に入るといわれている。
モスルはイラクの大都市で、大規模な地上戦になれば、多くの犠牲者が民間人にも出る可能性がある。



ここまでが、イラクから見たイスラム国であるが、イスラム国はシリアでも大きな勢力を誇っている。
そこで、次にシリア関連でイスラム国と周辺国の関係を、報道からの情報でまとめてみた。


今、国際社会では、軍事力を行使してテロの温床であるイスラム国を崩壊に追い込む、という大きな流れが出来ている。
現在のイスラム国への対応は、国連ではなくアメリカ主導の有志連合で行われている。
2015年1月22日にロンドンで行われた有志連合の会合には、20か国が参加していて(日本は参加せず)人道支援や資金供与や後方支援も含めれば、さらに多くの国が参加していることになる。

アメリカを中心とする有志連合国はイスラム国に対し空爆を実施していて、イスラム国の武力による拡大の勢いは止まり、最近ではクルド人勢力により、イラク北部のイスラム国の拠点がクルド人部隊により奪還される報道も出ていて、空爆も一定の成果を上げ始めているようだ。
更に、ヨーロッパ、やイスイスラム教諸国を含む有志連合支持国では、イスラム国支援者の取り締まりや資金封鎖も行っていて、日本もイスラム国支持者や、イスラム国への渡航希望者の監視を強化している。

ところが、そのような有志連合国の動きに対して、シリアに関連する対応に対しては、ロシアやイランは、少し態度が違うのだ。

その有志連合のリーダーのアメリカは、自由シリア軍という反アサド政権の武装勢力を支援し、地上からイスラム国を攻撃しようとしている。
これに対し、シリアのアサド政権を支持するロシア、イランは、自由シリア軍が支援され強化されると、イスラム国を壊滅に追い込んだ後は、自由シリア軍が次にアサド政権に向かってくることは間違いないと考えている。
そうした事態は、アサド政権の崩壊につながりかねず、ロシアやイランは、自国の権益や友好関係を維持するためにも、現アサド政権が唯一のシリア政権だとして、自由シリア軍支援や、有志連合のシリア国内での無断軍事行動に対して反対し、アサド政権を支援している。

そもそもシリア国内は当初アサド政権対、民主化デモから発生した反アサド勢力との内戦であったものが、反政権側にイスラム国が加勢し、その後イラクで勢力を増強したイスラム国が自由シリア軍の地域に支配地を広げたが、すぐにその実態を把握できず、そのため反政府勢力の内紛とみられていた時期もあった。
今では明確に、シリア政府軍と自由シリア軍(+クルド部隊?)とイスラム国、との三つ巴+(クルド人部隊)の戦いになっているのが現状のようである。

その結果、昨年までイラクで勢力を拡張したイスラム国が、シリア内戦に乗じて自由シリア軍を圧倒し、シリア国内にも急速に勢力を伸ばしたのが、これまでの経過の実態のようである。
(真偽は定かでないが、アメリカ軍がトレーニングした自由シリア軍の一部が、イスラム国に寝返ったという話も報道されていた。)
現在は、トルコも自由シリア軍を訓練しているといわれる。
自由シリア軍がシリア国民に支持されない理由は、自由シリア軍が、シリアの敵対国であるイスラエルを支持するアメリカの支援を受けているのがシリア国民からの支持が少ない理由だという話もある。

ここで、更に問題を複雑化させているのは、トルコである。
トルコは国内東部(イラク国境)にクルド人問題を抱えていて、トルコ東部のトルコ・イラク・シリアに住む民族クルド人の独立運動に悩まされている。
イラクも同じ問題を抱えているが、イラク北部はクルド人自治区になっていて安定した行政が行われ、油田や製油所もあり、その資金で自治区は経済発展をしていて、民生も安定しているという。
クルド人自治区では、クルド人の軍事部隊があり、伝統的に勇猛果敢で知られているという。
事実、先日イラク北部の戦闘で、クルド人部隊が、イスラム国が占拠していたイラク北部モスル近郊の3か所の拠点の奪回に成功したと伝えられている。

トルコは、このようなクルド人勢力が対イスラム国の戦闘を通じ更に力をつけることで、クルド分離独立運動が強まることを恐れている。
そのため、トルコ国境から、イスラム国支援の外国人戦闘員のイスラム国への流入を黙認しているといわれるのも、クルド人部隊を叩くための対策の表れかもしれない。
(一説には、多数のトルコ人人質解放の時にイスラム国と裏取引があったのでは、という話も妥当性があり、ある意味人質解放と、対クルド人対策の二つの効果を狙った取引だったかもしれない。)
トルコの本当の狙いは、最終的にはトルコから支援を受けている自由シリア軍が、アサド政権を倒すことを狙っているのであろう。
しかしその時には、シリア国内で反政府活動に協力しつつも分離独立を狙うクルド人部隊が、トルコにとって逆に大きな脅威となる可能性があるのだ。
従って、トルコは最終的にはシリアに地上部隊を派遣してアサド政権を倒すべきと考えているようだが、現実には、先ずイスラム国とクルド人部隊を戦わせて双方の弱体化を狙い、どちらも消滅しトルコの息のかかった自由シリア軍だけが生き残ればよいと考えているのではないだろうか。


以上、イラクとシリアにおけるイスラム国の置かれている状況と、周辺国や関係国との関係を見てきた。

非常に長くなったのでここで一旦置くことにするが、出来れば日本とのかかわりや、良く言われる、憎しみの連鎖や戦争に正義は無いということについても、改めて考えてみたいと思っている。


散歩者gooのトップページへ、 http://blog.goo.ne.jp/sksoo
自選ブログ集 散歩者gooより 美術芸術や健康や情報機関関係もリンクグループ化しています。

コメント

出直し選挙: 大阪都構想の理解不足は、大阪市民にも責任がある?

2014年02月03日 18時31分59秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
記者会見で、橋下氏が大阪市民にも責任があるという意味のことを述べた。
この話には驚いた。
橋下氏は記者会見で、市民が都構想について良く分からないというなら、HPにもいろいろ載せているので見てくれという意味のことを述べていた。
市民は、都構想のことを勉強してよく理解して賛成せよというのか。

そもそも今回の記者会見の元となった、橋下氏の辞任について、議会を解散すべきだという話もあるが、自治体の首長は直接投票で選ばれているので、自治体の議会の解散は議員内閣制の国会と違って住民のリコールで行う。(名古屋の例)
その意味で、橋下氏が辞めて民意を問うというのは、理解できなくも無い。
それでも選挙の費用はかかるし、市政も停滞する。
今回、野党は候補を出さない方向と伝えられている。
それに、市長選挙をしたところで、議会勢力の構成は変わらない。

その他、報道の解説によると、更に、橋下氏が公明党の裏切りについて宗教政党云々と発言したことで、公明党が激怒しているという。
即ち公明党を敵に回した可能性があるというのだ。
公明党を敵に回せば、都構想の実現は困難ではないか。

さて、話を戻すが、大阪市民が都構想に関して、橋下市長が、都構想のことが分からない市民は、HPなりを見て勉強してくれという趣旨の発言は、本末転倒である。
我々市民は、政策を比較して政党や首長を選挙で選ぶのであって、そのために政党や首長が住民に分かりやすく説明をして支持を得られるようにするのが筋である。
市民に対し理解しないほうが悪いとでもとられそうな言い方は、首長として資質が問われるのではないか。

都構想に対しては、都構想の区割り以前に、都構想そのものに反対している住民も多数いるし、多数の野党が反対している。

水道事業や府立大学市立大学の統合問題で、知事時代に大阪市が言うことを聞かないことに業を煮やしたことから始まったと思われる、都構想もいよいよ大詰めである。
橋下氏が、知事から市長に打って出て、本格的な都構想実現の動きが始まった。
ところが都構想計画で、実現すると2重行政の無駄が4000億円減らせるという話が、実際には1千億円以下(700億?)にしぼみ、更にその中に都構想の成果とは無関係な市の資産売却益も含まれているという。
その内容を更に精査すると、純粋に府市統合で節減できる費用はかなり少なくなるという。
府市統合した場合、統合のための費用がかかるし、区議会その他のランニング経費も加わる。

都構想に反対する政党や議員に対し、都構想推進派は、今の市会議員が職を失うので反対しているというが、区議会が出来れば、今の市会議員は区議会議員に転向できるだろうし、そんな心配をして反対しているなんて思えない。
逆に、今の市会議員以上の区議会議員が発生する可能性も考えられるのではないか。

やしきたかじん氏の後押しで知事になり、市との協調がうまく行かず、市を併合する都構想を打ち出し、維新の会を作り、一時期国政を左右する存在にもなった。
そうした中で、弁護士的手法で問題点のすり替え等の手法で、慰安婦問題等様々な失言に対する批判もうまくかわしてきたが、その度に支持率は低下していった。
国政選挙で維新の応援に力を入れたが、結果はふるわなかった。
文化、芸術問題では、文楽問題をはじめ、様々な批判が噴出した。
府知事時代からの、美術館問題に対する姿勢を見ていると、文化芸術に対する政策的視点の無さは明らかである。
その後、橋下氏への市民の支持が低下してきたのを見て、公明党が距離を置き始めた。
そしてついに、都構想の実現が危ぶまれる状態にまで追い詰められ、今に至ったのだ。

私は、生まれて以来大阪市に住んでいるが、大阪市制が良くないという話が、維新の会発生前まで市民の間からは、聞いたことが無い。
大阪都構想は、市民のニーズから出たというより、特定の政治家の嗜好で出たのではないかと思っている。
現実問題、大阪維新の会は橋下氏がいなければ分解状態になる可能性が強く、市民の支持を失う可能性が強いと見ている。
いずれにせよ、今後、大阪府・市の政治は激動の時期になったようだ。
コメント

橋下市長の出直し選挙の可能性と都構想の行方

2014年02月01日 21時33分13秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
今日、橋下市長が、日本維新の会の党大会で、出直し選挙の可能性を示唆する発言の映像がニュースで流れ、新聞でも大きく取り上げられた。
1月31日の都構想の法定協議会で区割り案の絞込みが、公明、自民、民主、共産の反対で見送られたため、改めて民意を問い、それを武器に、公明に協力を促す考えという。

最近、私が住んでいる大阪市では、都構想に対する関心はほとんどないように見える。
大阪府でも、昨年堺市で都構想反対の竹山市長が再選され、堺市が都構想の区割りに参加しないことが明確になり、維新のもくろむ都構想を期待する流れが変化してきているように見える。

大阪市の市制が、橋下市制でどれだけ活性化されたのか。
イルミネーション等のイベントは多くなったように見えるが、文化芸術への施策は文楽の例が象徴的だが、悪い政策を実施しているように思える。
貴重な無形文化遺産が、財政的に問題があるから、支援するというなら分かるが、観客動員数が少ないと、行政が自立のため観客増員の支援を行うというなら理解できるが、観客数が少ないとそれに応じて補助金を減らすというおかしな発想の行政手法に疑問を感じる。

公募区長等の不祥事も多くあったし、公募区長がどれだけすばらしい実績を上げているのか。
橋下市長の慰安婦問題等の失言も見受けられる。
統一地方選挙では、維新が府市の選挙で勝てれば、府市の2重行政がなくなり、効率的になるので、大阪の経済が飛躍的に伸び活性化するといった話だった。
その当時、私の知人の維新の支持者は、維新が勝ったので街の商店もにぎやかになると喜んでいた。
しかし今のところ、大阪府、市の経済が他府県と比較して、ずば抜けて良くなったという話も聴かないし、商店街が活性化したという話も聴かない。
そもそも地方行政が、市場原理主義的、経済効率至上主義的発想で、経済最優先で動いていいのかという問題もある。

現在の大阪市の形態で、市民が不満を持っているといった話は、今まで聴いたことが無い。
行政効率上、区を再編するのはあるだろうが、都にして、各区を独立して区議会を置くことこそ2重行政になるように見えるし、非効率だと思う。

それでも、選挙で民意を問うことは、選挙費用は無駄になるが、客観的に数字で分かるので、いいことだろうし、民主主義では当然のことだ。
ただ、橋下市長に対抗する、反都構想のグループの候補者の一本化は、必要だろうし、政治家には「小異を捨てて大同に就く」覚悟が求められる。
コメント

決める政治・特定秘密保護法案に反対

2013年12月04日 23時55分53秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
自民党の決める政治とは、このことだったのか。

震災から1000日、現与党は、決められない政治と民主党政権をさんざん攻撃した。
国民は、震災復興の遅れも、民主党政権の能力の問題と思った。
事実、民主党の政権にも様々な問題もあった。
しかし、決める政治の現政権に移っても、震災復興は進んでいない。
こうした場面では、決める政治は効果が出ていない。

それでも、予想されたことであるが、大胆なアベノミックスによる日銀の金融政策と、積極財政で景気は、回復しつつあることは、喜ばしい。
しかし、格差は残ったままであり、非正規は増加し、今後更に格差は拡大する可能性も考えられる。
また、積極財政による国債残高の増加と、社会保障と税の一体改革のうち社会保障改革で消費税増税分を社会保障に充当し、将来の年金・社会保障問題への不安解消に対処することは継続してやらなければならない。
景気を良くするのは良いが、経済問題優先で高所得者優遇に重点を置き、福祉を切り捨てることがあれば、格差の拡大が更に広がり、現政権への国民の不信は広がるだろう。
同時に、経済が好調の間に財政赤字・国債問題解消への、はっきりとした道筋を決めるべきだろう。

決める政治は、特定秘密保護法案の強行採決の方向へ動き出している。
この法案は様々に議論され、反対意見も多く、多くの国民が、将来この法案を盾に、行政が都合の悪い情報を隠蔽し国民の知る権利を奪い、内部告発を萎縮させる働きを持つのではないかと危惧している。
最悪の場合、この法律を権力者の恣意的解釈で運用し、戦前のような政治に逆戻りさせる可能性を含んでいること、が多くの識者や報道機関から指摘されている。
その指摘は、正しいと思う。
軍事機密等、国家にはある程度の機密事項があるのは当然であろうが、それは最小限であるべきだ。
指定するにしても、事前に独立した第三者機関で秘密事項指定を検証し、不必要な場合は解除する権限も持たなければならないが、現状では行政機関関係者がチェックするというが、これでは意味が無い。
その他様々な問題を、この法律は含んでいるようであり、私はこの法律をそのまま強行採決するのは、反対だ。
国民の意見を充分聞きいれ、野党と協議し、多くの国民が疑念のあるところを修正したうえで、法律を可決すべきだと思う。
このような形で、決める政治をされては、独裁政権と変わりない。


多分、客観的に考えると、いくら野党が抵抗しても、この法律は可決される可能性が強い。
その時、与党の決める政治に歯止めをかける意味でも、野党勢力が、与党の決める政治のある意味独裁政権打倒の強い意思を持ち、次の選挙に向け国民の支持を得るため、全力を挙げて、知恵と体力を使い、選挙に勝つ準備を進める必要があるだろう。
選挙で勝てば、法律の修正も可能になる。
選挙に勝つには、国民に対する説明といったきめ細かな日常活動が不可欠だろうし、前回の政権交代後の失敗を繰り返さないためにも、マネジメント能力の向上も必要だろう。



先ほどこのブログを投稿したら、どういうわけか記事すべて表示されなくなっていた。
何が原因なのか知りたいが、とりあえず再度投稿する。

コメント

NHKの経営委員

2013年11月06日 11時12分47秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
NHKの経営委員の候補が問題になっているようだ。
朝日新聞の関連記事を下に示す。
民主、NHK人事に不同意 百田尚樹氏ら 中立性疑問視」2013年11月6日( http://digital.asahi.com/articles/TKY201311050477.html )
「NHK人事、首相寄り 委員候補に支持者や元家庭教師」2013年10月26日
( http://digital.asahi.com/articles/TKY201310250815.html?iref=comkiji_redirect&ref=reca )

NHKは日本で最大の報道機関であることは疑いなく、最も国民に身近で信頼される報道機関でもある。
一時期、不祥事が続き、受信料の不払い運動が起こり、NHKが批判されていた時は、NHK民営化論まで沸き起こった。
当時、私はNHKの番組を見て、知らない人や、商業主義に毒された自分の利益だけしか考えない人たちがそうしたことを言うのだろうと思っていた。

当時NHKでは、ワーキングプアーの問題を掘り起こしたり、弱者の目線で問題提起したりといった、活動を続けていたし、教育系の番組は、多くの人に最新の考えを紹介したりして大きな影響を与えていると、感じていた。
そうした報道機関を、商業化=民営化するなんてとんでもないと思った。
もし、民営化すれば、たちまち、弱者の視点に立った、マイナーな番組や、富裕層や強いものに都合の悪い批判的なや良心的な番組は、当然のことながら廃止され、皮相的な面白おかしい番組が増えるであろうと思った。

その後、そのような議論は収束し、多くの番組で国民に支持される質の高い番組を生み出し、東日本大震災では、NHKの実力を遺憾なく発揮した。
多分、ほとんどの国民は、NHKの存在を評価したと思う。
その後も、ドラマを初め娯楽番組も含め、多くのヒット番組を作り続け、一方報道・情報・教育番組では、質の高い番組を継続して生み出している。

(このように書くと、何かNHKの回し者のようですが、私はNHKとは全く利害関係は関係ありません。
ただ現在も、様々な番組を通じて、多くの高度に知的なものを吸収し、娯楽番組を楽しんでいます。)

このようにNHKは、日本最大の影響力のある報道機関に間違いないと感覚的に思っている。
当然のことながら、国民に対する影響力は非常に強いと思われる。
具体例を言うなら、ドラマの「あまちゃん」ブームを見れば分かるし、「絆」が強調されたり、ワーキングプアーや格差が広く認識されたりしたことを見れば分かる。
そのNHKの経営委員は当然のことながら出来る限り、不偏不党・中立であるべきだ。
現実には、どこまでが不偏不党・中立かというのは難しい問題だが、少なくとも少数意見もある程度尊重できる姿勢でなければならないと思う。

ところが、冒頭の政権の方針を見れば、首相に近い人たち4人を経営委員に選ぶという。
もしそれが実現すると、経営委員長は、12人中の4人の意向で大きく左右される可能性があるという。

極端な話ではあるが、NHKが政権の意向に沿った番組作りをするようになれば、独裁政権は、容易に誕生する可能性も無くはない。
歴史的に見てヒットラー政権や戦前の日本がそうであり、共産主義政権や現在も北朝鮮がそうであるし、今の中国も一部そうである。
政権の意向に沿った番組作りをする場合、一方では情報遮断が行われ、政権にとって都合の悪い事実は一切報道されなくなり、政権の方針や意向に合うもののみが賛美されるようになる。

そうなると、国民は判断する材料を失い、政権のいうことを信用し、従うようになる。
今でも情報遮断され、国民が政権の意図のままに動かされている国は多い。
そのような国の国民は、本当のことを知らず、政権に都合のいいように利用され、不幸でもある。

いまの社会システムでは、幾重にも国民のチェクが入る機会があり、万一にもそのようなことは、起きないと思われるが、精神的に徐々に旧来の保守主義を英雄視する情報戦略を取れば、それに情緒的に国民が流され、徐々に更に保守化していく可能性は無いとも限らない。

現に、自民党では、「婚外子」遺産相続の問題の最高裁判決に対応する民法改正議論で、旧来の家族制度を個人の人権より重く見る方向の考え方の方が非常に強いといい、最高裁の判決のほうが誤った判決と考えているようだ。

このような考え方に沿った番組作りは簡単に出来るであろうし、元々少し前まで世間では普通の考え方だったので、NHKでこのような考え方、戦前の美徳を強調するようなキャンペーンをすれば、無批判な視聴者はすぐにそれに流されるであろう。
このようなことにならぬためにも、NHKの経営委員は、出来る限り中立的な人を人選すべきである。



ブログ散歩者goo最新ページへ(http://blog.goo.ne.jp/sksoo)
コメント

山本議員の行為は、主権在民の原則を犯すのではないか。(追)

2013年11月01日 12時59分33秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
山本議員の園遊会での振る舞いが、大きな波紋を呼んでいる。
失礼に当たるとか、様々な批判が出ている。
私はそれ以前に、非常に大きな問題を含んでいると思う。

報道でも言われているように、憲法では天皇の政治利用は禁止されているのである。
この件に関連しは、田中正造の明治天皇への直訴未遂事件との対比もされているが、当時天皇は最高権力者であり、田中正造は死を覚悟して足尾鉱毒事件を訴えようとしたのである。
その行為は今も多くの人に感動を与えている。
この場合、明治憲法では最高権力者である明治天皇への直訴は、筋が通っていると思う。

しかし、現行憲法下の天皇は、国民から敬愛される統合の象徴であり、政治的行為は許されていない。
今回のように、反原発の意見を書いた手紙を渡されても、天皇は戸惑われるだけであったのではないかと推察する。
もし、これを契機に同様の事が起きれば、天皇のお心を悩ますだけであろう。

それ以前の問題として、政治的立場がどのようなものであれ、天皇の政治利用を許せば、極端に言えば主権在民の原則を放棄するということであり、極めて危険な行為にちがいないと思う。
政治的な話は、国会で決着すべきで、主権在民の民主主義国家の日本では、それ以外の方法はない。
その他、個人の意思表示は、マスコミを使うなり、さまざまな表現の自由は認められている。
あえて、天皇に直訴をおこなった山本議員の行った行為は、国民にとって最も大切な主権在民の原則を放棄する危険な方向に繋がるのではではないか。
同時に我々国民も、改めて田中正造の直訴と対比し、主権在民の意味の重さを考えるべきではないだろうか。


この出来事の波紋が広がり、国会でも取り上げられている。
議員辞職といった声も上がっている。
確かに、園遊会という場での山本議員の行為は礼を失しているし、手紙には、個人といいつつ参議院議員の肩書きも入っているという。
国会議員の品位を汚すという意見もある。
天皇に政治的メッセージを送ることか、天皇の権威に頼り政治利用するとか、上記のようにそうした行為そのものが、主権在民・国民主権の権利を放棄することにつながりかねない危うさもある。

だからといって、議員辞職まで求めるのは行きすぎではないかと思う。
ローマ法王だって大切な儀式で、乱入した子供をうまくあしらった。
山本議員も、批判を浴びていることに充分思いが至らない未熟さがあったのだろう。

この一件で、天皇は神聖にして犯すべからずと旧憲法のような権威付けをするのも、現行憲法にふさわしくない。
無論、彼が意図的に政治利用したのであれば、議員辞職するしかないだろう。
しかし、単に思慮が足らず、直接自分の心情を伝えたかっただけなら、今後同様のことは許されないが、今回は思慮が足りなかったとして、処理すべきと思う。

逆に、これを機に皇室の権威付けを図り、皇室と市民の距離を遠ざけるような動きになれば、現行憲法の趣旨や多くの国民の意思と逆行するのではないか。
皇室は、イギリス王室のように、これからも開かれた皇室を目指して欲しいと願う。


コメント

中国が宗教を利用し始めた?(追)

2013年10月14日 01時13分12秒 | 政治・経済・社会・法律・文化
今日(20013/10/13)のNHKスペシャル中国激動 「さまよえる 人民のこころ」(http://www.nhk.or.jp/special/detail/2013/1013/index.html)は大変興味深かった。

今、中国では宗教にすがる人が、急増しているという。
最近まで現代の中国では、共産主義思想の下で宗教は否定されてきた。
チベット仏教はじめ、多くのキリスト教や仏教の多くは弾圧されたと聞く。
少しでも政府に批判的なことを言うと、徹底して弾圧されていると指摘されている。
チベット仏教への弾圧は、マスコミで報道されているし、法輪功への中国政府の意見(http://www.china-embassy.or.jp/jpn/zt/xjflg/t62971.htm)を見てもその取り締まり姿勢は明らかであるが、我々には法輪功が本当にオームのようなカルト集団か判断できない。(本当のカルト集団なら、徹底した取り締まりも理解できるが、納得できる証拠報道が無い。)
カトリック教会と中国政府は今も対立しているが、中国国内にもカトリック信者が多くいる。

マルクスレーニン主義は、唯物論であり、唯神論の宗教とは水と油だ。
「宗教はアヘン」(http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-07-16/20100715faq09_01_0.html)とまでいっていて、中国共産党にとっては、排斥すべきものなのだ。

しかし、経済の発展により、中国では拝金主義が一般化し、心の問題が軽視されてきた。
共産主義や資本主義といった経済理論や哲学には、心が持つ欲望に対するブレーキ装置が無いため、お金を儲けたいというあくなき欲望や、自分さえよければよいという利己主義的考えに対し、制御ができないのだ。
利己主義の背景には、市場原理の導入がある。

市場原理の目的はより高い富を生むこと、即ち成果をあげることであり、そのための手法として市場価値の比較が原則であり、結果としてあらゆるものには比較=競争(原理)が伴い、同時にその比較競争に打ち勝つための考え方として、安くしたり付加価値をあげるため、効率至上主義が生まれる。

競争原理が徹底されるほど、成果を求めら、成果を挙げるために効率を追い求めて激しい競争となり、その結果、他人はライバルとなり、他人のことはかまわず自分の成績さえ上げれば良いという利己主義的傾向になるのは必然である。
即ち、市場原理の最高価値は、競争に打ち勝ち最高の成果を挙げることであり、生産活動や販売活動においては、必然的に成果至上主義を生み、同時にそれは、効率至上主義を生み、他人のことはどうでもいいという利己主義的精神風土を醸成する。

その結果、市場原理=競争原理を強力に推し進めることで、成果のみが問われ、成果は生産額や利益で代表され、それら儲けや生産・販売の成果、は計量できる金額として表示される。
即ち、富=成果・利益の結晶はお金であり、それは中国伝統の富の象徴としてのお金を尊ぶ考えにも合致する。同時に、富=お金を最高価値とする考えには、お金で何でも出来るという考え=拝金主義も、常に含まれるのである。(中国の伝統行事では、いたるところでシンボルとしてのお金や富としての物が登場する。)
このように、市場原理を徹底的に推し進めると、競争原理が強く働き、利己主義や拝金主義的傾向が強くなる。

利己主義や、拝金主義は、個人の価値観の問題であり、同時に心の持ち方でもあり、直接的な政治経済の問題ではない。
そのため、心の持ち方が大いに関係する、拝金主義・利己主義も絡む道徳問題が社会問題化しても、政治経済を扱う共産党の力だけでは手に負えないのだ。(共産党が市場原理を認め、強く推進する限り利己主義や拝金主義的傾向は、否定することができない。)
しかし、拝金主義や利己主義的考え方が広まった結果、人間関係で他人のことを思いやることができない、冷たい社会になり、人間関係はギスギスし、親族でさえ信頼や尊敬できない社会になり、そうしたことが人々に大きなストレスとなり、心の悩みを抱えるようになり、社会問題化し、その鬱積した精神的不安・不満が、何かのきっかけで暴動に発展した場合、大きな政治問題になりかねない。
又、このような個人の精神的問題を利用して、宗教団体が信者を増やし大きな勢力になった場合は、反乱の可能性もあり、歴史上、中国はそのような経験をしているので、政府としても治安上放置できない問題なのだ。

そのため中国政府は、宗教の力を借りて悩める人民の心や、道徳問題を解決しようと考えたのだろう。
番組では、この問題に取り組む2つの宗教にスポットを当てて、中国の地方政府の政治姿勢を含め、その実態を報道していた。
(地方政府の政治姿勢は、当然のことながら共産党中央の意向または指示を受けてのことと考えられる。)


一つは、儒教であり、もう一つはキリスト教である。
いずれも信者を急増させているという。
儒教に関しては、中央政府公認で、学校教育にも取り入れられているという。
もう一つのキリスト教は、信仰の自由の問題で欧米からのチェックが厳しいキリスト教の活動を監視しつつ、黙認の形で、対応しようというように見える。

キリスト教は、プロテスタントとカトリックがあり、プロテスタントの家庭教会は地方政府黙認の形のようであり、カトリックについては、一地方政府がカトリック教会の活動を支援している例を紹介していた。
私が思うのは、カトリック教会は、ローマ法王庁の関係もあり、外国勢力の介入ということで承認できないが、試験的に開放して様子を見ることで、欧米との関係も対立を解消できるので損は無いと考えたのではないかと思っている。
プロテスタントは、アメリカの宗教団体が係わることが多く、積極的に布教活動するので、実際はかなり政府のスパイを潜入させて監視を続け、変な動きがあれば強く取り締まる可能性があるのではないかと想像する。

儒教もキリスト教カトリックも、歴史的には、体制内宗教であり、時の政権の保護を受けていた時期が多い。
従って、中国も国王や皇帝を共産党に置き換えれば、昔に近い構図になる。
そういうことを考えると儒教もキリスト教も、その権力者が宗教の保護者としての権威を利用できるという利点もある。
特に儒教に関しては、基本は、親に孝、君に忠、そして愛国なので、君を実質的に中国共産党またはシンボルの毛沢東に置き換えれば、そのまま共産党政治に利用できる。

更に、この二つの宗教に共通している点は、心の問題、で自分だけがよければよい、お金さえ稼げばよいという考えから発生した、道徳的問題や人間関係の荒さを、他人への思いやりや他者を愛することで、根本的に解消できる可能性があることだ。


今の中国の儒教で強調されていることは、日本では当たり前のことで、常識化している。
日本は伝統的な儒教国のせいもあるが、日本の儒教は中国や韓国と違うところがある。
即ち、日本では道徳として儒教が取り入れられているが、中国や韓国では宗教として扱われ、孔子廟があるのだ。(日本にも孔子廟はあるが、基本的には論語を学び実践することが中心で、一般には信仰の対象としては広まらなかった。)

そのルーツは、江戸時代に、戦国時代の殺伐とした野蛮な文化を改めるために、幕府が儒教(特に朱子学)を取り入れ、武士の教養として学ばせ実践させたことが大きい。
これで日本が未開から文明の世界に仲間入りしたのである。(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)
このことが、現在の日本文化に及ぼした影響は、非常に大きい。

それに1982年に出版された「気配りのすすめ」鈴木健二著の影響で、伝統的な「気配り」の精神の見直しもされ、より一層細やかに相手のことを考えサービスするということにつながっているようだ。
それに気配りは、伝統文化の茶道や礼法の基本でもあるし、その他マナー関係本の普及や、論語ブームもあり、気配りや、論語の考え方は、近年すべての日本人に深く浸透している。
「おもてなし」をオリンピック誘致やビジネスに利用できるのも、このような背景抜きにしては、考えられない。、


ところで、共産党政権の中国が、宗教を解禁し政治的に利用し始めたのは、2000年以後との説明があったような気がする。
いずれにせよ、宗教の積極利用は、近年に違いないだろう。
そのきっかけとして、中国政府や共産党は、サミュエル・ハンチントン氏の「文明の衝突」の分析を参考にしたのではないかと、根拠は無いが勝手に想像している。

この本は、1998年に出版されたために、現在の2013年時点では多少国際関係の予測の外れているところがあるかもしれないが、多くの現代の国際政治情勢や国際紛争の事例について、的確な分析がなされている。
この本の内容は、宗教や文化や民族と文明圏や国家といった問題がテーマなので、中国という国と共産党のイデオロギーと宗教と社会の動きといった関係の将来について、かなり参考になるところがあったのではないだろうか。
この本では、宗教が文明圏の大きな構成要素になるということも指摘されている。
しかも、現実的には人為的に線引きされた国家より、文明圏の影響のほうが強く、そのために引き裂かれた不安定な状態の国家が多数存在するという。
例えば、ギリシャは、ヨーロッパのように見えるが、宗教がキリスト教東方教会(ギリシャ正教)でロシアやスラブ圏と親和性が強く同じ東方教会のロシアとも関係が良好というが、ギリシャはEUに入っている。
因みに西欧(西ヨーロッパ)とは、カトリックとカトリックから分かれたプロテスタントの国々が中心の集団といい、自由や民主主義を基本にした西洋文化を持つ国々である。
この本では、儒教文化圏=中華文化圏(シンガポールも含まれるほか、東南アジアの華人経済ネットワークは、その国の経済を左右する力を持っている。)についても注目しているが、中国の国際政治戦略の基底部分を構成しているのかもしれない。
中国が宗教政策の変更で、国内政治や民心を安定させ、儒教文化圏の核となる国になり、国力を増し、国際政治でさらに影響力を増すのか注目したい。


参考
日本が、未開の国から儒教を基本とした文明国になったのは、江戸時代からと考えられている。
「日本の未開から文明へ 天草の乱と綱吉」(http://blog.goo.ne.jp/sksoo/e/c0736b77f30a5e1d026d294056197e11)







コメント