中道系リベラル系の政党において労組や政党系市民団体の果たす役割は非常に大きく、なくてはならない存在であろう。
少なくとも選挙運動の、実郎部隊の一角を担っているといわれる。
政党の中には、幹部の知名度やカリスマ性(人気)に活路を見出している党も、いくつかある。
ただし一部幹部や議員の国会質問の人気には、賞味期限があることを強く認識すべきだ。
時間が経過すると、すでにその人気が賞味期限切れになっているかもしれないのだ。
そういう意味で、政党は各地域で地元に密着した政治活動を基本にして、組織や市民団体中心の日常活動を絶やさない政治運動を展開すべきと思う。
党の実力がこんなもんだから仕方ない、というようでは、その党は滅亡するだろう。
労組や政党系市民団体に依存している政党は、市民への浸透が見込めず、大きな政治的争点がない場合には、与党に勝てないだろう。
大きな争点があれば、世論が政治に注目し、空中戦(ブームに乗る)で勝てるだろうが、争点がなければ国民は政治に無関心になり、現状維持の与党が強い。
その典型が、労組中心の旧社会党である。
今、労働組合の組織率は低く、国民の政治意識の中にほとんどない。
労組の中心組織の連合は右傾化し、与党寄りを鮮明にしているし、与党候補支持の組合もある。
一般市民から見れば、連合はエリート・経済的に余裕のある人たちの集まりとみているだろう。
特に民間労組は、政治に関し熱心ではないし、官公労及び旧官公労系の組合も、一般市民との交流はない。
このような状態で、いくら労組が頑張っても、市民の中に溶け込んでいかない。
一部労組やそのOBが頑張って、一部地域の政治運動が活発になっても、それはその地域特有の現象とみるべきで、それを全体の流れの始まりと判断すると、大きな過ちを犯すだろう。
弱体化した野党を立て直すには、基本的には、政治的に頑張っている労組や市民団体の力も借りながら、政治的無関心層の多い地域に向けた日常的政治活動を、政治家が中心になって市民を巻き込んだ形で日々運動し組織化する必要があると思う。
企業の営業活動も、売り上げを増やすため、日本全国や世界に営業マンを派遣し、各地域でゼロから拠点を作り売り上げを伸ばす努力をしていて、政党の政治活動も基本構造は同じに見える。
維新が躍進したのも都構想を軸に、小学校単位で住民説明会を行い、そこで人気のあった橋下氏が熱心に政治に無知だった若者を口説き、敵=攻撃目標を明確にし、生きるか死ぬかの戦いだと言って刺激した。
その後、それまで全くなかった維新のポスターが、町内の随所に貼りだされるようになった。
組織化に成功し、自律的に政治活動を行う体制を形づくることに成功したのだ。
橋下氏は、大阪にゼロから今の維新王国を築き上げた。
多少陰りが見えたともささやかれるが、今も大阪維新の隆盛は続いている。
このように市民を巻き込んで地べたを這う政治運動こそ、中道リベラル系政治に欠けるところだ。
労組(決して労組の役割や力を否定するものではない)や人気政治家・カリスマに依存する政治活動だけでは、時間がたてば熱気も消え、市民が遠ざかるだけと思うし、現実にそうなっている。
先に述べたように、中道リベラルの政治を立て直すには、各党が人気政治家・カリスマ政治家の力や労組や市民団体の力を借りつつ市民運動や選挙運動の盛り上がりを作り、その間に、迅速に各小地域の拠点づくりと組織化や連絡網を構築することだと思う。
その場合、最も必要なことは、人間同士のコミュニケーション(顔なじみ)ということは言うまでもない。
政治そのものが、個人の価値観や利害関係の調整のための話し合い(言論)のシステムだから。
少なくとも選挙運動の、実郎部隊の一角を担っているといわれる。
政党の中には、幹部の知名度やカリスマ性(人気)に活路を見出している党も、いくつかある。
ただし一部幹部や議員の国会質問の人気には、賞味期限があることを強く認識すべきだ。
時間が経過すると、すでにその人気が賞味期限切れになっているかもしれないのだ。
そういう意味で、政党は各地域で地元に密着した政治活動を基本にして、組織や市民団体中心の日常活動を絶やさない政治運動を展開すべきと思う。
党の実力がこんなもんだから仕方ない、というようでは、その党は滅亡するだろう。
労組や政党系市民団体に依存している政党は、市民への浸透が見込めず、大きな政治的争点がない場合には、与党に勝てないだろう。
大きな争点があれば、世論が政治に注目し、空中戦(ブームに乗る)で勝てるだろうが、争点がなければ国民は政治に無関心になり、現状維持の与党が強い。
その典型が、労組中心の旧社会党である。
今、労働組合の組織率は低く、国民の政治意識の中にほとんどない。
労組の中心組織の連合は右傾化し、与党寄りを鮮明にしているし、与党候補支持の組合もある。
一般市民から見れば、連合はエリート・経済的に余裕のある人たちの集まりとみているだろう。
特に民間労組は、政治に関し熱心ではないし、官公労及び旧官公労系の組合も、一般市民との交流はない。
このような状態で、いくら労組が頑張っても、市民の中に溶け込んでいかない。
一部労組やそのOBが頑張って、一部地域の政治運動が活発になっても、それはその地域特有の現象とみるべきで、それを全体の流れの始まりと判断すると、大きな過ちを犯すだろう。
弱体化した野党を立て直すには、基本的には、政治的に頑張っている労組や市民団体の力も借りながら、政治的無関心層の多い地域に向けた日常的政治活動を、政治家が中心になって市民を巻き込んだ形で日々運動し組織化する必要があると思う。
企業の営業活動も、売り上げを増やすため、日本全国や世界に営業マンを派遣し、各地域でゼロから拠点を作り売り上げを伸ばす努力をしていて、政党の政治活動も基本構造は同じに見える。
維新が躍進したのも都構想を軸に、小学校単位で住民説明会を行い、そこで人気のあった橋下氏が熱心に政治に無知だった若者を口説き、敵=攻撃目標を明確にし、生きるか死ぬかの戦いだと言って刺激した。
その後、それまで全くなかった維新のポスターが、町内の随所に貼りだされるようになった。
組織化に成功し、自律的に政治活動を行う体制を形づくることに成功したのだ。
橋下氏は、大阪にゼロから今の維新王国を築き上げた。
多少陰りが見えたともささやかれるが、今も大阪維新の隆盛は続いている。
このように市民を巻き込んで地べたを這う政治運動こそ、中道リベラル系政治に欠けるところだ。
労組(決して労組の役割や力を否定するものではない)や人気政治家・カリスマに依存する政治活動だけでは、時間がたてば熱気も消え、市民が遠ざかるだけと思うし、現実にそうなっている。
先に述べたように、中道リベラルの政治を立て直すには、各党が人気政治家・カリスマ政治家の力や労組や市民団体の力を借りつつ市民運動や選挙運動の盛り上がりを作り、その間に、迅速に各小地域の拠点づくりと組織化や連絡網を構築することだと思う。
その場合、最も必要なことは、人間同士のコミュニケーション(顔なじみ)ということは言うまでもない。
政治そのものが、個人の価値観や利害関係の調整のための話し合い(言論)のシステムだから。