天気 曇一時雨 1.5mm 9.2 3.3℃ 72% 2.7m西北西
昨日も終日アルバイトし、残業もした。
急に寒くなった。
多分、大寒並の気候であろう。
年末年始に、短期アルバイトが不定期であるので、年末正月の浮かれた気分は無い。
淡々と今までの延長が続く。
一応、正月は雑煮ぐらいは作ろうかと思う。
毎日作っている、温野菜の具を少なくして温野菜を仕上げた後、その上に餅を2-3個入れて、数分レンジで加熱すれば、立派なお雑煮になる。
ここ数年、雑煮作りの経験を重ねて、やっと去年からうまく行くようになった。
ガスコンロを使っての雑煮作りは、それ以前から毎年やっていた。
しかし独り身のため準備や後片付けはすべて一人でやるので、豪華な料理を作れば作るほど、準備と後片付けが大変になり、正月気分も吹っ飛ぶのである。
更に煮しめなんかは、作る自信はあるが、そんな手間なことを、自分にしても仕方ないという気持ちもある。
無論正月は、それなりの気分を味わうために、普段家では飲まないお酒を買い込んで、朝昼晩と飲む。
何年か前までは、正月にお酒を飲んで、コタツに入ってTVを見ていたが、畳にホットカーペットも敷いていて、100%しばらくTVを見ているうちに眠くなり、30分から1時間程度うたた寝をしてしまうのが常であった。
うたた寝は、非常に気分良いが、生活のリズムが狂い、癖になる。
ヘタをすると、本当の寝正月で、おきているのは食べるときだけという状態になりかねない。
そういう状態になるのがいやでもあったが、今はコタツもカーペットも無い生活なので、暇なときは、新聞TVを見たりPCを触ったり、本を読んだり音楽を聴いたりしている。
今度の正月3が日はアルバイトもあるが、無い日に家に居るときは、図書館で借りた本を読みたいと思っている。
去年は初詣にも行かなかったので、久しぶりに奈良か住吉さんにでも出かけようか。
奈良は寺社が多く、古寺巡礼や春日さんに行ったり、春日野から山之辺の道あたりを、物思いにふけりつつ、冬の大和を一人で散策するのも楽しい。
新薬師寺から百毫寺あたりまで足を伸ばすとひなびた田園風景が楽しめる。
西ノ京あたりも今は、平城宮跡も整備され薬師寺や唐招提寺あたりを回るのもいいかもしれない。
サラリーマンの頃は、正月は、スキーにもよく行ったが、雪の無いときには、なぜか春日さんに毎年初詣に行っていた。
信仰心があったわけではないが、正月が暇なのと、なんとなく正月気分が味わえて、日本的雰囲気の強い春日大社、奈良一帯を歩くのが好きだった。
あるとき、春日大社でおみくじをひいたら、大凶が出た。
その頃、家では、父親が慢性的な肺炎で医院に通院しよく寝ていた。
寝たきりではなく、歩けたし食事も自分でした。
大好きな大相撲は、起き上がってベッドに座ってTVを見ていた。
大凶で思い当たるのは、その父親しかなかった。
その年のある日の夜中に、父の咳が止まらなくなり救急車を呼んで病院に行った。
父はそのまま緊急入院した。
重症の肺炎だった。
一時病状は持ち直した。
その後病状が急変し、家族親戚が見守る中、父は無くなった。
私は、今でも占いは信じないが、そのときは結果的に大凶が的中した。
大凶の後は運が上がるというが、サラリーマン時代の仕事は順調だった。
途中まで書いて昼食にして、その後気にしていたけれど加筆後投稿と考えていたら、日をまたいでしまった。
とりあえず、中途半端なまま投稿する。
19日は、アルバイトの弁当や、作業服を考え持ち物等の準備と、家事で追われた。
現在までスケジュールによると、休みとアルバイトの日が正月まで不連続にポツポツと入っているが連続出勤の日もある。
年賀状は、何度も構想を変え結局12月中旬以降考えをまとめ、出来上がりが12月25日だった。
25日は、休みの日だったが、構想の追加修正と印刷投函のため、終日費やした。
一時、宛名のプログラムがうまく連携せず冷や汗をかいたが、何とかうまく行った。
毎年必ず数枚は、送った人が来なかったり、新しい人から来たりする。
来なかった人については、気が楽であるが、新しく来た人には気を遣う。
親しくても、年賀状をやり取りしない人もいるし、今はほとんど会うことも無い人とも年賀状のやり取りが続いている人もかなり多い。
年賀状を出さない主義の人も知っていて、私も見習おうとしたが挫折した。
年賀状は、新年の楽しみでもあるし毎年苦労もするが、よく考えると不思議でもある。
ただ、政治家等は年賀状の数を自慢する人もいるらしいが、私は少ない方がいいと思っている。
ギャラリーをやったり、会社で役職についていたときは沢山年賀状がきた。
いずれも辞めると、ほとんど来なくなった。
これが実態である。
人生、苦しいときにでも変わりなくお付き合いしてくれる人は、非常に少ないと思っておいたほうが良い。
投稿する予定が、ついつい余分なことを書いてしまった。
昨日も終日アルバイトし、残業もした。
急に寒くなった。
多分、大寒並の気候であろう。
年末年始に、短期アルバイトが不定期であるので、年末正月の浮かれた気分は無い。
淡々と今までの延長が続く。
一応、正月は雑煮ぐらいは作ろうかと思う。
毎日作っている、温野菜の具を少なくして温野菜を仕上げた後、その上に餅を2-3個入れて、数分レンジで加熱すれば、立派なお雑煮になる。
ここ数年、雑煮作りの経験を重ねて、やっと去年からうまく行くようになった。
ガスコンロを使っての雑煮作りは、それ以前から毎年やっていた。
しかし独り身のため準備や後片付けはすべて一人でやるので、豪華な料理を作れば作るほど、準備と後片付けが大変になり、正月気分も吹っ飛ぶのである。
更に煮しめなんかは、作る自信はあるが、そんな手間なことを、自分にしても仕方ないという気持ちもある。
無論正月は、それなりの気分を味わうために、普段家では飲まないお酒を買い込んで、朝昼晩と飲む。
何年か前までは、正月にお酒を飲んで、コタツに入ってTVを見ていたが、畳にホットカーペットも敷いていて、100%しばらくTVを見ているうちに眠くなり、30分から1時間程度うたた寝をしてしまうのが常であった。
うたた寝は、非常に気分良いが、生活のリズムが狂い、癖になる。
ヘタをすると、本当の寝正月で、おきているのは食べるときだけという状態になりかねない。
そういう状態になるのがいやでもあったが、今はコタツもカーペットも無い生活なので、暇なときは、新聞TVを見たりPCを触ったり、本を読んだり音楽を聴いたりしている。
今度の正月3が日はアルバイトもあるが、無い日に家に居るときは、図書館で借りた本を読みたいと思っている。
去年は初詣にも行かなかったので、久しぶりに奈良か住吉さんにでも出かけようか。
奈良は寺社が多く、古寺巡礼や春日さんに行ったり、春日野から山之辺の道あたりを、物思いにふけりつつ、冬の大和を一人で散策するのも楽しい。
新薬師寺から百毫寺あたりまで足を伸ばすとひなびた田園風景が楽しめる。
西ノ京あたりも今は、平城宮跡も整備され薬師寺や唐招提寺あたりを回るのもいいかもしれない。
サラリーマンの頃は、正月は、スキーにもよく行ったが、雪の無いときには、なぜか春日さんに毎年初詣に行っていた。
信仰心があったわけではないが、正月が暇なのと、なんとなく正月気分が味わえて、日本的雰囲気の強い春日大社、奈良一帯を歩くのが好きだった。
あるとき、春日大社でおみくじをひいたら、大凶が出た。
その頃、家では、父親が慢性的な肺炎で医院に通院しよく寝ていた。
寝たきりではなく、歩けたし食事も自分でした。
大好きな大相撲は、起き上がってベッドに座ってTVを見ていた。
大凶で思い当たるのは、その父親しかなかった。
その年のある日の夜中に、父の咳が止まらなくなり救急車を呼んで病院に行った。
父はそのまま緊急入院した。
重症の肺炎だった。
一時病状は持ち直した。
その後病状が急変し、家族親戚が見守る中、父は無くなった。
私は、今でも占いは信じないが、そのときは結果的に大凶が的中した。
大凶の後は運が上がるというが、サラリーマン時代の仕事は順調だった。
途中まで書いて昼食にして、その後気にしていたけれど加筆後投稿と考えていたら、日をまたいでしまった。
とりあえず、中途半端なまま投稿する。
19日は、アルバイトの弁当や、作業服を考え持ち物等の準備と、家事で追われた。
現在までスケジュールによると、休みとアルバイトの日が正月まで不連続にポツポツと入っているが連続出勤の日もある。
年賀状は、何度も構想を変え結局12月中旬以降考えをまとめ、出来上がりが12月25日だった。
25日は、休みの日だったが、構想の追加修正と印刷投函のため、終日費やした。
一時、宛名のプログラムがうまく連携せず冷や汗をかいたが、何とかうまく行った。
毎年必ず数枚は、送った人が来なかったり、新しい人から来たりする。
来なかった人については、気が楽であるが、新しく来た人には気を遣う。
親しくても、年賀状をやり取りしない人もいるし、今はほとんど会うことも無い人とも年賀状のやり取りが続いている人もかなり多い。
年賀状を出さない主義の人も知っていて、私も見習おうとしたが挫折した。
年賀状は、新年の楽しみでもあるし毎年苦労もするが、よく考えると不思議でもある。
ただ、政治家等は年賀状の数を自慢する人もいるらしいが、私は少ない方がいいと思っている。
ギャラリーをやったり、会社で役職についていたときは沢山年賀状がきた。
いずれも辞めると、ほとんど来なくなった。
これが実態である。
人生、苦しいときにでも変わりなくお付き合いしてくれる人は、非常に少ないと思っておいたほうが良い。
投稿する予定が、ついつい余分なことを書いてしまった。