散歩者goo 

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私の日常が別世界に変わった日々。3  20240925

2024年10月22日 23時09分43秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
救急車から運び込まれたジムに持ち込んだ私のリュックに入れた荷物の中から、ジムに行くときにはいていた普段着の短パンを出し、そのポケットから腕時計を取り出した。それまで救急車の中にも、雑然と機器やストレッチャーが置かれた作業場のようなパーテイションだけで区切られた救急の診察室?にも、時計はなく、時間が分からなかった。腕時計をして、そのときが夜の7時過ぎだと初めて分かった。ジムを出たのは、たぶん5時前後と思っている。ずいぶん時間がかかった。足の痺れはベッドに寝かされている間に多少よくなった。

確か救急車で運ばれ病院のベッド(ストレッチャー)に移し替えられたときにも、医師が来て病状を質問され、患部の範囲や痛みの有無や触診や、簡単な左足の動作確認をしていたようなきがする。その後医師は、どこかに行きその間、私はベッドの上で寝かされたまま待っていた。
やがて再び二人の医師が現れた。病状を聞かれ、多少痺れは、ましになったといった。左足に力が入らないのも多少力が入るようになっていた。それから、ベッドに寝たままその場で、左右の足首の血圧の同時測定や、心電図やエックス線等の検査を受け、医師たちは再び元に戻っていった。
しばらく、時間が過ぎ8時過ぎになっていた。時間を持て余しているときに、看護師が書類を持ちながら近づき、「このまま何もなければ、湿布薬を処方してもらい自分で、帰宅してもらうことになります。」と告げられた。その話を聞き、私はどのように帰宅するか考えをめぐらし、夕食はどこかで外食することを考えた。自宅から乗ってきた自転車はスポーツセンターに置いてあるので、地下鉄でスポーツセンターまで戻ることにした。しかし足の痺れがかなり良くなっているとはいえ、病院から地下鉄までの距離や、地下鉄の階段や最寄りの地下鉄からスポーツセンターまで、かなりの距離があるのが不安だった。
そんなことを思案していると、突然近くで作業していた看護師が、「白髪のジムの人があちらの部屋でずっと待っておられますよ。」、と言った。白髪のジムの人に心当たりはなかったが、この時間までわざわざ来て付き添ってくれたのかと思い、驚いて呼び込んでもらった。
 やはり、名前を名乗られたがその方は初対面の人だった。私は、8時過ぎまで待っていただいたことにお礼を述べた。そのうえで、看護師から伝えられた話を伝え、帰宅後数日休養してからまたジムに行くと伝えた。そして、ジムでお世話になった人たちによろしくお伝えくださいと伝えた。ジム白髪の人は、私が次にジムに行くときは、お世話になった人たちに先ずお礼を伝えてください、と言われた。私は改めて来ていただいたことに感謝のお礼を述べ、お帰りいただいた。
 しばらくして再び二人の医師(以後先生)があらわれた。すぐに病状を聞かれ、私は「痺れはかなり収まり、足にも多少力が入る感じがします。」と答えた。先生は、「一応念のためにエックス線CTを撮る」と告げられた。
ああ、これで帰りが遅くなると思った。ひょっとすると地下鉄がなくなりタクシーでスポーツセンターまで帰らねば、と思った。その前に外来診療の診察検査費用も支払わねばならず、月7-8万円で生活する貧困の独居老人にとって、とりあえず今日の支払いが不安だった。とにかく、ジム行くときの財布には、常にスーパーで食材を購入するクレジットカードと現金2千円しか入っていない。タクシーにしろ、病院代にしても、全てクレジット決済するしかないと思った。それ以前に、救急車で運ばれたときに聞かれた健康保険証も持ってきていないので請求金額は、大きくなると思った。こうなれば、成り行き任せと腹をくくった。

 先生がCT検査すると言われて、すぐにストレッチャーは、病院内に運ばれCTの部屋に連れていかれ、初めてCT撮影を受け、再び外来の部屋に戻った。
 先生は、なかなか現れなかった。10時半ごろ?2人の先生が現れた。CTの写真を見せてくれた。「ここに瘤がある。」動脈瘤と告げられた。左右に約4センチ前後の動脈瘤があるという。確かに写真を見ると、左側の腸骨動脈と右側の腸骨動脈に1つずつ瘤が見える。その大きさ左が4センチ余りで右側は3.5センチ程度に見えるという。先生は通常動脈瘤は2センチ前後になる処置をするといい、こんな大きさでは、いつ破裂してもおかしくないと言う。痺れの原因は腸骨動脈瘤から来たものではないかと告げられた。
 それを聞いた途端、泣きそうになった。腸骨動脈のことは知らなかったが、骨盤近くにあり脊椎あたりから動脈は、骨盤付近で左右に分岐し、左右の脚に伸びる主要な動脈であることは画像を見て分かった。これが破裂すれば、大出血を起こし命に係わる事態になるであろうことは素人の私でもわかる。先生は、これを処置する時、開腹手術は極めて困難な場所で、ステント手術になると告げられた。
 このとき、入院は不可避で、数週間単位の入院の可能性があると悟った。私は先生に、「今ジムから着の身着のまま来ているので、とりあえずタクシーで、自宅まで戻り必要なものを取りに戻りたい」と訴えたが、無駄だった。外来のストレッチャーからベッドに移し替えられ、そのまま緊急病棟(ICU病棟?)に運び込まれ、様々な書類にサインをさせられた。スポーツシャツに短パン姿のジムの服装のまま、点滴や心電計が体に繋がれた。ベッドから降りることは許されず、小便は毎回看護師を呼んで、尿瓶にすることになった。
 ベッドは多少V字型に角度がついていて、しかも、マットがふかふかで寝返りが打ちにくく寝苦しかった。夜中に頻繁に部屋への出入りがあり各種機器のアラームがあちこちで鳴り響き寝られなかった。さらに病院近くを通る中央大通りでは暴走族が騒音をまき散らしていた。

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