散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記161229木(有償ボランティア終了 ネット情報)

2016年12月31日 13時32分07秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 8.  2.3 曇一時晴
29日も冷え込んだ。
この日が最後の、9月から続いた有償ボランティアだ。
地下鉄を利用し、ある駅まで行き、そこから歩いて30分近くかかる作業所に利用者さんを送り届けるボランティアであった。
途中車の往来の激しい信号のない道路を横切ったり、幅が狭く歩道のない道でダンプカーやトラックが通る道路を長い距離歩く。
大型トラックや、ダンプが通るときには、壁際に寄ったり電柱の陰に退避することもあった。
後ろを確認したので少し気を緩めていると、わき道から侵入したハイブリッドカーがすぐ後ろにいて、驚かされたこともあった。
ハイブリッドカーは、接近しても音がしないのでわからないのだ。
雨の日は、傘をさしているので、とっさの保護をするためにある程度接近しておく必要があり、利用者さんとの距離をとるのに気を使った。
送り届けるまで、常に前後左右を見回しながらの、緊張が続く付添であった。
送り届けた後は、元の駅まで歩いて戻り、地下鉄に乗って出発駅まで帰る。
始めの頃は、帰り道で緊張がほぐれるためか、多少疲れを感じたが、日がたつととともに慣れてきた。

有償ボランティア(社会福祉協議会が実施)なので、決められた謝礼は受け取るが、その額は最低賃金より低く、利用者さの経済的負担を軽し、ボランティアに気を使わなくていいというメリットがあり、ボランティにも経済的メリットがあるが、あくまでボランティア的要素が中心でアルバイトではない。
事実今回のボランティアでは、作業時間は1時間であるが地下鉄利用や駅まで行くことを含めると、2時間近くかかり、アルバイトでは最低賃金貰ってもなかなか難しいだろう。

帰宅はいつも10時半過ぎになったが、帰宅すると疲れて横になったり、TVを見たりしていた。
このボランティアを始めて、しばらくして、朝の時間を単に無為に過ごすのはもったいないと思うようになり、午前中帰宅せずに図書館へ行くことを思いつき実行した。

結果は、期待以上に良く、朝から昼食後まで一定の生活リズムが出来、本を更に読むようになった。
知的好奇心も大きくひろがり、ハードカバーの専門書にも挑戦するようになった。
といっても、読んだり関連事項を調べたりするのに時間がかかるので、思ったほど読み進め理解できるわけではない。
ただ、調べるのにスマホとWifiが大いに威力を発揮した。(図書館にはフリーWifiがセットされていた。)
同時に、ネット上にかなり専門的な情報も得られることが分かった。

余談になるが、ネットには玉石混交の情報であふれていて、玉を選ぶには読者の眼力が必要となる。
間違った情報を避けるには、ネットの検索の方法によりある程度避けられる。
怪しい情報は、特定のサイトに集まりやすいし、まともな情報はまともな情報を集めたサイトがある。
例えば考古学であれば、全国の発掘調査報告書が奈文研から公開されていて、学者も市民も同じ資料を見て研究できるし、思想哲学ではその人の生い立ちや考え方や、影響を受けたり影響を与えた人物や、著作物・論文が、詳細に記載されていることが多い。
逆に、昨今話題になっているように、特に社会一般・芸能娯楽や健康情報には作り話・偽情報・根拠のない情報や不正確な孫引き.2次3次4次情報も多数存在するので注意が必要で、中身のよくないサイトはサイトの全体の中身を見れば、ある程度見当がつく。

話を元に戻すが、この日から図書館が年末年始の休みなので、近くにあるファストフード店に行き、コーヒーを飲みながら本を読んだ。
帰宅後は、昼食を作り、昨日記を書き、副食の製造を行い食材の買い出しに行き、終日家事に追われた。

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昨日記161229木(有償ボランティア終了 ネット情報)

2016年12月31日 13時28分32秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 8.  2.3 曇一時晴
29日も冷え込んだ。
この日が最後の、9月から続いた有償ボランティアだ。
地下鉄を利用し、ある駅まで行き、そこから歩いて30近くかかる作業所に利用者さんを送り届けるボランティアであった。
途中車の往来の激しい信号のない道路を横切ったり、幅が狭く歩道のない道を、ダンプカーやトラックが通る道路も長い距離歩いた。
大型トラックや、ダンプが通るときには、壁際に寄ったり電柱の陰に退避することもあった。
後ろを確認したので、少し気を緩めていると、わき道から侵入したハイブリッドカーがすぐ後ろにいて、驚かされたこともあった。
ハイブリッドカーは、接近しても音がしないのでわからないのだ。
雨の日は、傘をさしているので、とっさの保護をするためには、ある程度接近しておく必要があり、利用者さんとの距離をとるのに気を使った。
送り届けるまで、常に前後左右を見回しながらの、緊張が続く付添であった。
送り届けた後は、元の駅まで歩いて戻り、地下鉄に乗って出発駅まで帰るのだ。
始めの頃は、帰り道は、緊張がほぐれると多少疲れを感じたが、時間とともに慣れてきた。

有償ボランティア(社会福祉協議会が実施)なので、決められた謝礼は受け取るが、最低賃金よりかなり低く、利用者さの経済的負担も軽く、ボランティアに気を使わなくていいというメリットがあり、ボランティアも経済的メリットがあるが、あくまでボランティア的要素が中心でアルバイトではない。
事実今回のボランティアでは、作業時間は1時間であるが地下鉄利用や駅まで行くことを含めると、2時間近くかかり、アルバイトでは最低賃金貰ってもなかなか難しいだろう。

帰宅はいつも10時半過ぎになったが、帰宅すると疲れて横になったり、TVを見たりしていた。
このボランティアを始めて、しばらくして、朝の時間を単に無為に過ごすのはもったいないと思うようになり、午前中帰宅せずに図書館へ行くことを思いつき実行した。
結果は、期待以上に良く、朝から昼食後まで一定の生活リズムが出来、本を更に読むようになった。
知的好奇心も大きくひろがり、ハードカバーの専門書にも挑戦するようになった。
といっても、読んだり関連事項を調べたりするのに時間がかかるので、思ったほど読み進め理解できるわけではない。
ただ、調べるのにスマホとWifiが大いに威力を発揮した。(図書館にはフリーWifiがセットされていた。)
同時に、ネット上にかなり専門的な情報も得られることが分かった。

余談になるが、ネットには玉石混交の情報であふれていて、玉を選ぶには読者の眼力が必要となる。
間違った情報を避けるには、ネットの検索の方法によりある程度避けられる。
怪しい情報は、特定のサイトに集まりやすいし、まともな情報はまともな情報を集めたサイトがある。
例えば考古学であれば、全国の発掘調査報告書が奈文研から公開されていて、学者も市民も同じ資料を見て研究できるし、思想哲学ではその人の生い立ちや考え方や、影響を受けたり影響を与えた人物や、著作物・論文が、詳細に記載されていることが多い。
逆に、昨今話題になっているように、特に社会一般・芸能娯楽や健康情報には作り話・偽情報・根拠のない情報や不正確な孫引き.2次3次4次情報も多数存在するので注意が必要で、中身のよくないサイトはサイトの全体の中身を見れば、ある程度見当がつく。

話を元に戻すが、この日から図書館が年末年始の休みなので、近くにあるファストフード店に行き、コーヒーを飲みながら本を読んだ。
帰宅後は、昼食を作り、昨日記を書き、副食の製造を行い食材の買い出しに行き、終日家事に追われた。

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昨日記161228水(真冬並みの冷え込み)

2016年12月30日 21時05分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 7.7  3.0 晴後曇一時雪
28日は強く冷え込み、真冬並みの寒さとなった。
5年ほど前まで、冷えをかなり敏感に感じていて、多少着込んだりしていたが、最近は余り冷えを感じなくなった。
無暖房の我が家では、真冬は携帯カイロが必需品で、寝るときに大寒の頃にはマットの下にも、携帯カイロを貼っていたが、ここ数年携帯カイロは、1枚も使っていない。
多分、筋肉量が増加し、基礎代謝が増えたのではないかと考えている。
実際、筋トレやランニングの記録も5年前より向上している。

ところで、ほとんどの会社は、この日が仕事納めだが、ボランティアの作業所は29日が仕事納めで、翌日も行くことになっている。
9月から始まった有償ボランティアは、利用者さんの通う作業所が変更になるので、今年で終了する。

この日は朝から、家で昼食を終えるまでいつも通りの日程をこなしたが、図書館もこの日が仕事納めで、翌日から利用できなくなる。

夕方、いつも行くジムもないので、とりあえず必要な副食を作り、その後夜になってファストフードに行き、コーヒーを飲みながら本を読んだ。

寝る前になって、ヨーグルトを作っていないことに気付き、作ったために、寝るのが遅くなった。
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昨日記161227火(ブログ作成 ジム)

2016年12月30日 20時43分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 13.5  6.0 雨時々曇
27日は、朝のボランティアがないので、新聞を読んだり昨日記を書いたりして、適当に過ごした。
それでも昼食は、1時半から調理を始め、食事が終了したのは3時過ぎだった。
その後、今・観考録161227(火)(生活水準再確認)を書いた。

月10万円の年金と思い込んでいたら、実際は月9万円というのは私にとって衝撃的だったし、出費を抑制しなければと思った。
これ以上出費を減らすとなれば、交通費や飲食・交際費ということになろうが、以前から比べると、既にかなり抑制しているので、どれだけ自分の生活費を削減し、きるか行動範囲を狭くするかということになろう。
そういう意味では、貧乏はつらいことは、間違いない。
それでも、限られた財源で、どれだけ生活を豊かに楽しく過ごすかということに焦点を当て行動したい。
最近私の態度が、貧困を意識するあまり、すべてのことに遠慮がちになっていように見える。
無論必要以上にしゃしゃり出るのも問題だが、消極的になり自分を卑下する傾向はよくないと考えているので、今後もう少し積極的に行動したい。

夕方には、副食が無くなっているので、当面必要な3食分を作った。
その後、今年最後のジムに行き、筋トレを中心に行った。
ジムの年始は5日なので、長い休みの間に体力筋力が低下するのは目に見えている。
いかに持久力や筋力の低下を防ぐのかが問題だが、多分自主トレといったものもせず、適当に過ごし筋力や持久力を落とすような気がする。
ジムから帰宅後も3食分の副食づく永を継続したため、寝たのは1時ごろになった。

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昨日記161226月(ギャラリーZone ソーカル事件と解ったふり)

2016年12月29日 18時07分49秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 12.9  5.6  曇一時雨
26日は、午後まで、いつも通り、ボランティアに行き図書館に行った。
図書館を、いつもより少し早い目に出て帰宅し、昼食をとった。
3時ごろから、阪急桜井駅近くのギャラリーZoneに行った。

5人の女性作家の展覧会だった。
馴染みの京谷氏がキューレーションをし、解説を書いていた。
詩人でもある彼は、一貫してシュルレアリズムを中心に美術・芸術議論を展開していて、それに哲学的色合いをつけた感じの解説文をつけていた。
解説が妥当かは、各人意見があるだろうし、会場に彼がいていろいろ話したのでここでは触れない。
作品はそれぞれ完成度の高い手間をかけた力作が並んでいた。
いわゆる前衛的な側面を強く意識した作品ではなかったが、シュルレアリズムを意識したキューレーションなので当然の帰結といえるだろうし、シュルレアリズム系の作品としては、多少興味ある作品と言えるかもしれない。
(誤解されるといけないので一言。私は、芸術については、前衛だけが価値あるといった進化論的なことは全く思っていないし、美術に関しても、古典から現代まで、様々なタイプの作品を鑑賞し楽しんでいます。
ただ、ありきたりの表現や使い古された表現は、価値を感じません。<工芸・デザインは別の視点あり>)
会場には、数日前に拠点としているアメリカから帰国したギャラリーZoneオーナーのNしが居た。
N氏とも馴染みで、以前私のギャラリーで個展をしていただいたこともある。
彼ともしばらく歓談した後、ギャラリーを後にした。
帰る途中、阪急桜井駅で電車待ちの時にはっと気付いたことを、翌日に「今・観考録161227(火)(生活水準再確認)」として書いた。

帰りにファストフードに立ち寄り、近現代のヨーロッパ哲学史的な概説書を読んだ。
観念論 マルクス 現象学 実存主義 構造主義 ポスト構造 ・・・・・・
多くの人の名前が出てくるし、部分的にはそうした人物に関する本や著作物を過去にいろいろ読んだが、こうして体系的に見ると、ドイツ、フランス、イタリアでそれぞれ考え方が違う。
しかし、それぞれ非常に面白い。

例えば、構造主義者レヴィ=ストロースが実存主義を罵倒したり、思想界を根底から揺さぶった96年イグノーベル賞受賞の「ソーカル事件」の話しなんて笑った。非常に面白い。
レヴィ=ストロースが複雑な文化人類学上の婚姻関係の問題を解明するために、数学者に依頼して数学の群論を駆使した構造を発見し構造主義を構築したことに刺激を受け、ラカンも似たようなことをやったが、厳密な処理がされておらず、強く批判されたことも面白い。(きっちり定義し論証しないと学問的議論にならない。)
私は、常々、特に現象学(多くのよく似た用語造語が飛び交い、定義されていない)に関して少し同じような疑問を感じることはあった。(現象学については、私は理解していないし、本も全く読みこなしていないので、的外れの感想かもしれませんが、少なくとも現象学関係の権威が書いた初心者向け解説本を読んでいて、解説者自身用語の定義に関してあいまいなところが多いと記していた。)

「ソーカル事件」は、日本考古学界の旧石器ねつ造事件に匹敵するような問題なのだろう。
日本では、「ソーカル事件」を問題にしている人は少ないか、あまり知られていないらしいというし、ヨーロッパでも、このことに口をつぐむ知識人が多いという。
これは、インテリに多い知ったかぶりの問題でもあり、現代美術でもわからないことは、分かったかぶりするか、極力黙って最後に「いいですね」ということが多いことにも表れているように見受けられる。
この日、帰宅後ブログを書いたために、夕食が終わったのは12時前だった。

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今・観考録161227(火)(生活水準再確認)

2016年12月27日 17時17分42秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日、ギャラリーからの帰り道、プラットホームで電車を待っている時に、25日に出した年賀状の文案がふと頭をよぎった。
年賀状の近況報告冒頭に、月10万円の生活と書いた。
これは別に貧しさを強調したり、哀れみ・同情や、援助を求める意図は全くなく(貧困ではあるが生活に困っていないし、それなりに満足している。)、現状を単に伝えたいために触れただけだ。
私の貧困を見てバカにする人もいるだろうが、そんな人はこちらも尊敬もしないだけだ。
かといって、資産家を敵視したり、蔑視するつもりもないし、お金はあるに越したことはない。
私には金儲けの才覚がなく運がなかったのかどうかわからないが、貧乏になっただけの話で、それ以上でも以下でもないし、あの時もし、こうならと空想するのは時間の無駄だ。

話を元に戻すが、プラットホームで年賀状に書いた月10万円の生活に引っかり考えた。
月10万円の生活はこのブログでも、ことあるごとに書いている気がする。
だが、よく考えると、昨年の健康保険や介護保険を差し引いた総所得は、確か108万円だった。
多分今年も同じであろう。
するとそれを12か月で割ると、暗算するまでもなく即9万円とわかる。
今まで、約10万円と思い込んでいたが、実は生活費の実態は9万円だった。
何故気付かなかったのだろう。

そんなことをプラットホームで考えながら、家賃や通信費も払って、我ながらよく頑張っているなと関心した。
これからもこの調子で頑張るが、来年は多少余裕を持たせるために、たまには、アルバイトを見つけ、(年齢的に仕事は無いかもしれないが)生活に余裕をもたせるようにしたい。
アルバイトといえば、9月から始めた有償ボランティアは、経済的にわずかではあるがいい効果があったし、肉体的には持久力が増したようだ。
これをきっかけに、図書館にも頻繁に行くようになり知的視野も広くなった。



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昨日記161225日(年賀状投函 2kwギャラリー最終日 )

2016年12月27日 12時41分24秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 12.6  5.3  晴時々薄曇
25日は、年賀状の最終締め切り日だ。
朝食後すぐに年賀状作りに取り掛かった。
先ず年賀状を購入しに、郵便局に走った。
必要枚数プラス3枚を購入した。
その時、年賀状の文案すら、完成できていなかった。
更に、宛名面の差込ファイルの再設定に様々なトラブルが出て、修正に時間がかかり、最低限宛先に年賀はがきが届く状態にした。
それ以前のデータベースの選択もうまくいかないので、結局古いデータベースから必要部分を抽出し新しいテーブルを作り、今年の投函に間に合うようにした。
一時、25日中の投函は無理と思われた。
しかし何とか25日に間に合わせようと、文面も納得いかないけれどもその状態で出すことにし、宛名面も一部省略することで何とか、印刷できる状態になった。
毎年トラブル最大の要素であるプリンターの接続を無線ランで行ったがつながらず、仕方なくLANケーブルで接続することで問題を乗り切った。
文面の印刷は一気に行った。
宛名は、今まではデーターをプリンターに移し、あとは自動で宛名印刷をするのだが、今回は1枚ずつデータを差込み、宛名印刷を行った。
年賀はがきのプリントを1時過ぎに終えた。
完成した年賀はがきを即郵便局に持ち込み、やっと大仕事が終わった。
毎年、年賀はがきには頭を悩まし、5年以上前は宛名や文面の制作と印刷で、1-2週間かかったこともあり、毎年非常に大きなストレスを感じていた。
今年は、通信会社を変更しOSもウインドウズ10になっているので、技術的トラブルの発生を覚悟していたのだが、小さな技術的トラブルはいろいろあり慌てたこともあったが、概ね順調に行ってほっとした。

午後になって、遅くなったので缶詰で簡単な昼食をとり、急いで2kwギャラリーに向かった。
25日が2kwギャラリ―の最終日だが、前日の24日にはパーティーがあって行きたかったのだが、出展作家の非常に多いので当然それだけの作家が来るであろうと考えた。
2kwギャラリーは、私にとってなじみの画廊に違いないが、積極的に行きだしたのは、3-4年前からで、しかも、たまにしか行っていなかったし、画廊との直接の関係者である作家やコレクターや評論家でもなく、単なる一鑑賞者なので、最後のパーティーに参加したかったが、そんなことを考えると気が引けて、多くの来場している主客の作家さんのお邪魔になってもいけないと思い昨日は遠慮した。

従って、この日は、できるだけゆっくりと作品を観るつもりであった。
2kwに行くと、意外に多くの作家さんが集まっているのに驚いた。
渡されたリストを基に、1点ずつ作品を見てまわった。
小品のわりに、力を入れて制作している作品が多かった。
顔見知りだったり、なじみの作家達の作品も多かったし、その作品を観ながら作家との会話を思い出したりした。
ひととおり見終わった後は、オーナーのK氏やその周辺の人達や、私がギャラリーをしていた頃に出展していたなじみの作家とも少し談笑していたが、時間とともに物理的に挨拶回ったり、いろんな人と談笑することもままならぬ状態にまで人が増えた。
どうやら多くの作家が作品を取りに来たらしいので、私がいても邪魔になるので、ほとんどの人に挨拶せずにギャラリーを後にした。
その後御堂筋まで出て、本町から淀屋橋まで御堂筋を歩いた。
御堂筋のイチョウに巻かれたイルミネーションが青く輝いていた。
又歩道に置かれた彫刻がショウウインドウやビルの明かりにほんのり照らされ、陰影が強調され美しかった。
淀屋橋の地下にある行きつけのファストフードに行き、本を読んだが、得たものは大きかった。
帰宅後は食材を買いに走ったり、ブログを書いたり、切らした副食を作ったりし、夕食は11時ごろになった。

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昨日記161224土(時間がかかる食事関連家事 長いブログ作成)

2016年12月26日 22時54分19秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 11.1  6.1  曇一時晴
24日は、午前中年賀はがきの構想を考え文面を考えた。
午後に昼食も含めた副食が無くなっているので、泥縄式にとりあえず必要な3食分の副食を製造した。
そのため昼食を終えたのは3時半を過ぎていた。
経済的理由で外食は控えているが、そのための時間的犠牲は非常に大きい。
少し段取りを間違えたりうっかりしていると、1日6時間から10時間以上食事関連の家事をすることになりかねない。(買い物 調理 食事 後片付け)
とにかく食事は悩みの種である。
簡単にしようと思えば、ご飯と缶詰や納豆といった感じにすれば、1日に3-4時間で済むだろう。
だがこれでは栄養状態が悪い。
今の健康は、食事と運動の成果だと思っている。

昼食を終えてから、長いブログを書いた。(今・観考録161224
毎年のことだが、楽しいクリスマスイブを経験したことがない。
孤独なクリスマスイブである。
普段、私は孤独を楽しむところがあり(逆にみんなで騒ぐことも好きである。)、孤独は気にならないのだが、盆正月やクリスマスといった、多くの家庭が家族団らんで過ごすといった時には、孤独を感じるのだ。
TVを見ても特集番組が多く、全くつまらないのだ。
そういう意味もあって、クリスマスや我が家のことも振り返ってみた。
今は、直系親族は誰もいなくなったし、親戚とも法事関係以外は、交流はないことが、さらに孤独感を深めているのだろう。
その、根本的な原因は、多分私が独身の為、家の交流で欠かせない私の周囲に女性の存在(嫁)がないのが大きな原因の一つだろう。
(独身でいつも疑われるので誤解無きよう何度も言いますが、決して男色傾向や女性嫌いや病気ではありません)
しかし、以前にも触れたが、病院で多くの家族の実態を見せられた。
多くの老人が、家族から疎外されて孤独な状況に置かれているのも事実であるり、そういう意味で家族や家庭への期待は、幻想かもしれない。
しかも、もしあの世があれば、誰でも死は一人旅に違いないので、覚悟が必要だ。

それでも100歳まで元気に生きるつもりで体を鍛えているが、寿命だけは予測がつかない。
ただ100まで元気に生きると仮定するとまだ30年近くも生きることになる。
幸い、現在筋力や体力は多分50代程度の能力を維持しているし、成人病や慢性病もないが、秋に受けた健康診査で肝機能が要受診の下限値なのが多少気になる。
年明けにでも受診しようと思っているが、自覚症状は全くない。
先に触れた筋力体力は、60歳の時から比べると1割以上強化したという方が適切で、日常生活もより活動的になっているが、経済的問題で、それを抑制している。
この日は遅くまでブログや昨日記を書いたので、寝つきが悪かった。

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昨日記161223金(昨日記制作 ジム・筋トレ・ランニング)

2016年12月25日 21時08分39秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 15.1  8.3  晴時々曇
23日は、休日でボランティアもなく、朝から遅れている昨日記161220を書いたが、あらぬ方向に話が進行し、普段の健康食のレシピの話になった。
普段の食事のレシピも何度か書いた覚えがあるが、少しずつ変化している。
とにかく何もない限り、いつも同じ副食を食べていて健康でいられるので、このまま続けるつもりだ。
昨日記を早く書いて2日分ほど短縮するつもりであったが、長文の昨日記になり12月20日の昨日記d家で終わってしまった。
昼食時、ご飯も無くなっていたので副食を調理しながら、冷凍ご飯の炊飯作業をし、昼食後は冷凍ご飯にするための盛付作業に追われ、十数食を盛付て冷凍ご飯にした。
その後、副食が無くなったので、とりあえず2食分の副食を製造した。
それ以降の副食の食材が無くなったので、3軒のスーパーに買い物に出かけた。

帰宅後、急いでジムに行った。
筋トレとランニングをいずれも、全力で行った。
当初、体調を整える程度の軽い運動の予定が、実行しているうちに、激しいトレーニングになった。
筋トレは、一部の筋力は低下していた。
28日から年末年始の休みに入るので、体力筋力の低下が心配だ。
ランニングは時速8・5km~10・5kmで30分間走り4・6km走った。
帰宅後も疲れはなかった。
寝る前に年賀状の構想を確認した。

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昨日記161222木()

2016年12月24日 21時22分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 11.3  75  曇時々雨
22日は、午前中いつも通りの日程をこなしたが、図書館での調べ物に熱が入り、図書館を出たのは1時過ぎだった。
その上、帰りに社会福祉協議会にボランティア活動の報告に行ったので、家に着いたのが2時ごろで、昼食を終えたのが4時前だった。
図書館では、哲学に関して非常に複雑なので、簡単でわかりやすい本はないかと探していたのだ。

帰宅後は、図書館で長時間本を読んだせいもあり、昼食後は、数時間TVを見て過ごした。
夕食用の副食のないことに気付き、副食を4食分製造した。
その後、遅れている昨日記を書いた。
そのため夕食時間は更に遅くなり、夕食を終え、片付をしてすぐに床に就いた。

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昨日記161221水(年賀状制作)

2016年12月24日 21時05分59秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 15.9  6.6  晴時々薄曇
21日も、午後三時ごろの昼食終了までいつも通りの日程をこなす。
夕方から年賀状の制作に取り組んだ。
今更、年賀状の新しいデザインを思いつくはずもない。
とりあえず、昨年のフォーマットを利用して制作することにした。
その後、ある程度めどがついたので、ジムに行った。
ジムでは軽く筋トレとランニングを行った。
筋トレは普段より5kg程負荷を減らして行った。
ランニングは、15分ほど走った。
帰宅後遅れている昨日記を書いた。
遅い夕食後は、タブレットとメインPCのホームグループが動作しているかの確認に手間取り、寝るのが遅くなった。

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今・観考録161224(土)(クリスマスの記憶と日本の宗教)

2016年12月24日 20時35分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
今日はクリスマスイブということで、家庭を持っている人達は温かい夜を過ごすのだろう。
そういえば72年間いろいろなクリスマスがあった。

今、私にとって何もないクリスマスだが、過去にもいろいろなクリスマスがあったが、ほとんどの場合寂しいクリスマスがほとんどだった。
クリスマスのことを記憶でたどってみたい。

先ず、幼いころの記憶はない。
両親から聞いているのは、一時期両親の田舎に疎開していたこと。
終戦後1年ほどして自宅に戻ったらしい。
父は仕事があるので疎開しなかった。
我が家では、小学生のころまで海水浴といえば堺市の出島だった。
堺の出島漁港の風景が、父が子供の頃遊び場にしていた故郷の漁港によく似ていたのだろう。

余談だが、今から思えば出島には、父の夢と重なったところがあったのだろうと思っている。
そもそも父は家が網元だったので、漁師という意識が強かったが、まじめな漁師ではなかったのかもしれず、漁師は続かなかった。
当時、父の兄は東京の早稲田実業に勉強しに行っていたようだ。
若いころは、父は漁師をせず、自営業でいろんな仕事をしたようで、その後父の兄の口利きで御堂筋にある大企業に勤め、定年まで勤めた。
確か私が中学生の頃には、父が定年退職し一時期田舎に帰って、趣味の漁師をしていたようだ。
時々大阪に戻っては、家を建て船を作るといった話をしていて、母親ともめていた。
当時父は、高校進学を控えた私に、度々進学せずに漁師になれと言ったこともあり、私の中学生時代は不安定な感じであったが、父からすれば私の兄は既に金融機関に勤めていて心配はいらないので、問題なく田舎に帰れると思っていたのだろう。
私からすれば、何で中学卒業して、高校も行かず見知らぬ土地で、慣れない漁師をしなければならないのかと思って反対した。
今から考えれば、父は船を作り私と一緒に親子で漁師をするつもりだったのだろう。

その出島で、幼いころに一家で海水浴を楽しんでいる時に(2歳の頃という)急に私が震えだし高熱を出したので帰宅した。
その後私の体はぐったりしたまま、全身全く動かなくなり、近くにあった市立小児病院で小児麻痺と診断され、それ以降治療と並行して、手足を動かすために針治療にも通ったという。
当時叔父さんがすぐ近くに住んでいて、当時定年まで武田薬品の課長をしていたこともあり、大量のビタミン剤?やポリタミン?といった滋養強壮液を持ってきてくれたらしい。(叔父さんの家には、よく行き来していた。)
因みに、叔父さんは通貨変更で多額の退職金を失い、農地解放でも田舎にあった多くの資産を失ったという戦争被害者でもある。

私が物心ついたのは4―5歳ぐらいからだ。
そのころには歩けるようになっていた。
近所の子供と遊ぶ時、家の前の15cmの下水を渡れと言われて、隣の子女の子が下水を歩いて渡るのに、這って渡ったのを覚えている。
とにかく、周囲の子供たちと遊ぶうちに少しずつ、筋力をつけていったようだが、小学校に入ってから卒業するまで、体操の評価は最低の1か良くて2だった。
幼いころは、クリスマスといった話は全くなかったのでクリスマスプレゼントという話もなかった。
クリスマスを意識し始めたのは、多分小学校の3-4年ぐらいだった。

当時我家は、出雲大社の信者(田舎の実家からの引継ぎ)であり毎年、夏ごろ田舎から大社教の神主が御祓いに来ていたし、仏教では天台宗寺院の檀家であり、田舎には長男や、江戸時代文化文政時代以降の頃からお祖父さんまでの数代の先祖達の墓も残っているので、なぜクリスマスを祝うのかという意識や疑問すら一家にはなかった。
ただ、小学校3-4年生の頃から、世間でクリスマスが、盛り場の遊びだけでなく子供たちへのサンタのプレゼントという事が広がってきたので、クリスマスプレゼントやケーキを意識するようになった。
TVの影響もあったのかもしれない。
当時すでに私はサンタの存在なんて信じていなかったし、我が家ではクリスマス飾りは一度もやったことはなく、クリスマスムードといったものは全くなかった。
ただクリスマスに便乗して、贈り物をもらえるというのはありがたいので、ねだったのだろう、クリスマスプレゼントで本を買てもらったことがあり、それ以降毎年本を買てもらった。
しかし、当時の私は、読書の習慣なんてなかったので、それほど嬉しくはなかった。
そうしたこともあって、成人するまでは、クリスマスといえば単になんとなくクリスマスケーキを食べるだけの日だった。

社会人になってからは、両親からのクリスマスプレゼントも無くなり、逆に私がなんとなくクリスマスケーキを買って帰るようになったが、両親と一緒にクリスマスケーキを食べて、それでクリスマスが特に楽しいということもなかった。
仕事が忙しくなるにつれて、クリスマスという意識も少なくなったが、それでも義理的にクリスマスイブには家にクリスマスケーキを購入して帰った。

いつのころからか、いろいろ本を読んだり、ラジオを聴いたりするようになり、西洋文明を支えているキリスト教というものに、徐々に興味を持ち出した。
多分それは、趣味のクラシック音楽から刺激を受けて、少しずつ興味を持ち出したと思っている。
特にバロック音楽を聴き始めてから、バッハのマタイ受難曲に触れたりして、そうした曲を本当理解するためには、キリスト教のことを知らなければと思ったが、それは脱サラ後の4-50代になってからの話しだ。

40歳になり脱サラして、1年半ほどアメリカに英語留学した。
最初に行った英語学校のアメリカ人のルームメイトは、キリスト教の伝道師Eだった。
彼は、ルーテル派だが、カトリックの修道僧とも親しく(メキシコ人の修道僧が英語習得のため修道院から、私のいた語学学校に派遣されていた。)その関係で、数カ所のカトリック修道院に遊びに行ったこともある。
Eはそれ以前にメキシコの修道院に居たこともあり、スペイン語で説教していたようだ。
その後彼は名門のシカゴ大学の大学院に行き博士号をとった。
当時シカゴ大学に行ってからも、彼のいるインターナショナルハウスによく遊びに行っていた
アメリカのクリスマスは、留学生には何もない、殺伐としたクリスマスだった。
というのも大学やその周辺から人が消え、多くの留学生も帰国していて、食事にも困る状態になるのだ。
アメリカ留学後、スペイン語習得のためメキシコに行き、1か月半ほどホームステイしたことがあり、その時メキシコ人家族からミサや親せきの結婚式に付き合わされたことがあった。
ミサではパイプオルガンが演奏され、聖歌隊が歌うものと思っていたら、ギター伴奏で聖歌を歌っているのには驚いた。
(Eは、卒業旅行で、中国に行き、帰国途中日本に寄り我が家にも来た。)

語学留学を終えて帰国後、キリスト教に興味を持ち、新約聖書を読んでイエスの生涯やキリスト教の原点でもある奇跡や復活を信じることを知り、バッハのマタイ受難曲もより深く理解できるようになった。
(旧約聖書は一部しか読んでいないので、理解しているのはごく一部だと思うが。)
そんなこともあり、私はクリスチャンではないが、一時期クリスマスを味わうために、カトリック教会のクリスマスイブのミサに何度か参加したことがある。
とにかく一年の内でキリスト教会に行くのはこの日だけで、信仰目的ではないので、信者にとって迷惑だろうと思い、最近はやめている。
ただ、3-40代のころと比べて、キリスト教精神もある程度理解するようになった。
更に、近年、近現代哲学関連の本も読んだりしていて、哲学のある分野においては、キリスト教は切り離せない問題でもあるようだし、仏教的思想に近い哲学者もいるようだ。
そういう意味でキリスト教や仏教や神道の見方も年とともに少しずつ変化している。
無論クリスマスそのものに対する見方も変化し続けている。

見方を変えればクリスマスは日本の祭りと同様、民衆の行事として理屈をこねなくても単に楽しめばよいと言えるかもしれない。
例えば、私もよく祇園祭りや葵祭や天神祭りに行くが、その時神道のことや祭神のことを、その時真剣に考えたことはない。
(江戸時代を含む昔の人は、真剣に神の祟りを恐れていて、想像以上に神・仏を信仰していた。また神と仏は密接につながっていて、一体視されていた。神仏分離は廃仏毀釈の影響が大きい。)

今そうしたことも勉強しつつあるので、多少は理解できるのだが、日本の祭りはそういう意味では、共同体の祭り、氏神様の祭りなので、決してヒエラルキーがあって天照大神の下位の神様という構造でなく、各地域集団の氏神様(氏の守り神)なのである。
日本の祭りは、依り代に降りてきた神を、楽します接待する共食するという要素があるのかもしれない。

しかしキリスト教のクリスマスは、絶対神エホバの子キリストの生誕祭なのであり、その意味では4月八日のお釈迦様の誕生日「花祭り」と同じなのだ。
仏教と違うのは、個人と神の子キリストとが契約関係にあるということだ。(例、安息日=日曜日)
神と個人の関係は、キリスト教と全く同じ絶対神を信仰しているモスリムやユダヤ教も同じだ。
神との契約を守るためにイスラムでは、生活も決められている。(酒を飲まない・礼拝・安息日=金曜・・)

日本の祭りでそうしたことを考えていないのと同様、クリスマスもクリスチャンでない私は、日本の祭りの一種として楽しめばよいのかもしれない。
クリスチャンになれば、態度は変わるだろうが。



このブログの下書き段階で、ワードが今までに見たことのない状態でフリーズした。E(情報機関関連だがここでは、そのことに全く触れていなかった。)の件に触れたことが関連するのかと疑いたくなる。
結局電源切断をした後再開して、正常化。ワードにはフリーズ前に保存したものと、年代不詳の修復記事の2本が回復された記事として表示されていたので、自分で保存したもので再開した。

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昨日記161220火(副食レシピ ヨーグルト  )

2016年12月23日 12時45分11秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 12.8 7.9  曇一時雨後時々晴
20も午後3時ごろまで、いつも通りの有償ボランティア、図書館、昼食と、一連のいつも通りの日程をこなした。
前日のように、昼食を缶詰にして調理の手間を省略すると、調理から食事完了までの時間を30分程度短縮されるが、この日はいつも通り調理したので、食事完了まで時間がかかった。

私の場合、以前に詳細なレシピを書いたが、丼鉢に積み重ねた具材に、特性出汁を入れ、出汁なしの予熱600w7分出汁入りで600w7分500w7分加熱する。
卵をトッピングするときは、加熱終了後に600w40秒間加熱した殻付き卵(加熱時間を4分にすると卵は爆発し後処理が悲惨なことになる。<何度も爆発を体験し、効率的な後処理方法も発見>)を割って温かい生卵を加熱後の丼鉢にトッピングし、更に3分間加熱して完了。

丼鉢に積み重ねる素材の順番は下記の通り。
重量の誤差は20g以上プラスマイナス5g、10g未満のものはプラスマイナス1・0g
以下、大型丼鉢に積み重ねる順番(周囲に沿って置いていく)

キャベツの荒い千切り30g(底に広げる)+ 昆布3g+ 削り節6g(面に広げる)+ ゼラチン(コラーゲン)2・5g<5g入り袋の半分>+ 鳥肉90g+ オクラ1本(そのまま)+ マイタケ20g+ タマネギ25g+ ニンジン25g+ カボチャ25g+ ブロコリ25g+ ダイコン35g+ たまご1個(朝食+昼食<昼の卵は毎日ではない>) 
このレシピに夏はゴーヤ30gを加えている、 冬瓜やナスビやキュウリにシシトウやアマトウガラシが安ければ加える。

その他、野菜高騰の場合は、省略する。
今年はキャベツの代わりにモヤシにしたり、ダイコンやニンジンやブロッコリーやカボチャやタマネギを省力したこともあり、8月から11月の野菜高騰時は、経済的理由で4―5種類欠品のまま調理したことが何度もあった。

特製出汁は、 醤油1: 味醂1: 酢(種類不問)0.1-0.2 の割合で800cc程作り蜂蜜の容器に入れて作り置きする。(ペットボトル等、容器は何でもよい)
調理するときに15―18gの特製出汁を取り出し、そのうち2gを納豆に掛け<調味料なしの納豆を購入>残りを、約200CCの水と一緒に丼鉢に注ぎ、加熱する。

これで塩分量は、1回当たり1・3―1・5gで1日5・5g以下の塩分摂取になる。
朝は、4枚切りのパンを食べるが、それに1枚当たり1・2g程度の塩分が含まれている。
それ以外に、例えばチーズの場合6pチーズでは0・5g含まれている。
塩分は、高血圧以外に、様々な生活習慣病との関係が疑われている。
私は高血圧とか生活習慣病や糖尿病(以前予備軍だったことがある)ではないので、塩分に過敏に反応する必要はないが、やはりある程度少ない方がいいのだろう。(少なすぎると元気が出なくなるし、汗をかいたときには塩分が失われるので、そうしたことも勘案して塩分量を加減することが必要だ。)

私の場合ほとんど外食しないので、ほとんど365日この副食をたべている。
正月も、この副食を加熱して一旦完成させ、その上に餅をトッピングして数分間加熱して雑煮にして食べる。
始めの頃は、副食の具材に餅を一緒に入れて加熱したところ、餅が完全に溶解してしまったことがあった。

これらの食材は、10年以上前に、東大阪市の小学校の警備のアルバイト(セフティーサポート隊)で巡回時に休憩場所にしていた、府立図書館で読んだ免疫関係の論文の中に、アメリカので健康に良い食品のピラミッドが発表されていたのを読んで、その中から選んだもので、私の現状に合わせレシピを作りその後、変化していったが、大きくは変わっていない。
ニンニク(非常に健康に良い)を1粒ずつ入れていたが、7-8年前の同窓会で臭うと言われ、それ以降やめた。

それまで、キノコやヨーグルトには、関心がなく食べなかったが、それ以降よく食べるようになった。
だが当時、ヨーグルトはカスピ海ヨーグルト程度で、高かったので、あまり食べなかった。
今では、いくつかのヨーグルトを購入しては、800CCほどの牛乳に混ぜて40―45度近くに加熱し、保温し(電気毛布や電気座布団でもよい)、一晩寝かせて固形ヨーグルトにして食べている。
たまに、ヨーグルトを食べていないと、腹にガスが溜まったり、違和感を感じることがあるが、その時は、数百グラムのビフィダス菌のヨーグルトを一気食いすると、翌日にはそうした状況が治まることを何度も経験している。(ヨーグルトは医薬品ではないので治療には使えないが、健康維持予防には役立つ。)
キノコも、免疫力活性化に役立つ物質が含まれていることが知られている。

このヨーグルトの作り方は、牛乳で作られたヨーグルトなら、多分どんな種類のヨーグルトにも応用できるようだ。(4種類の違う乳酸菌ですべて問題なく作ることが出来ている。)
但し使用する牛乳に、無脂乳はタンパク質が少ない為か、出来が悪い。
また、一部ヨーグルトは安く販売されているので、手間暇を考えると購入した方がよいのかもしれない。

余談が長くなった。
昼食後、スマホの写真とメインPCのワンドライブ内のデーターを比較し、スマホ内の写真はすべてメインPCのワンドライブにUPされていることを確認し、大量のスマホ内の写真を削除した。
夕方には、副食の食材が無くなったので、スーパーに食材の買い出しに行き、その後副食製造を行った。
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昨日記161219月(タブレットのアカウント問題解決)

2016年12月22日 21時28分13秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 14.8  4.6  晴一時薄曇
19日は、午後3時ごろまで、いつも通りの有償ボランティア、図書館、昼食と、一連のいつも通りの日程をこなした。
但し昼食は、副食の準備が出来ていなかったので、缶詰と納豆とチーズに冷凍ご飯で済ませた。
その後、ドメインを廃止したためにメールアドレスが廃止されたことで発生した問題に再度挑戦した。
この問題は、何度もチャレンジしていて解決できなかった。
電話で問い合わせても、堂々巡りになっていた。
この日はチャットを使用して、問題の背景を説明して問い合わせをした。
いろいろやり取りの結果、問題解決のためのリンクアドレスを教えてもらい、そこから入っていき、手続きを進めタブレットのアカウントを変更することが出来た。
その後タブレットの情報を共有する作業を行った。
最終的には、めいんPCとタブレットをホームグループにし、メインPCから、タブレットに自由にアクセスしタブレット情報をダウンロードできるようにした。
これでタブレットは、完全にメインPCの持ち運び用のPCとなり、めいんPCのファイルをコピーしてタブレットに張り付けておくと、例えば図書館でタブレットを使って、そのファイルに様々な情報を追加でき、帰宅後メインPCにそのまま張り付けられる。
ただ、今はクラウドが発達して、マイクロソフトが、オフィスのクラウドを月額版で売り出しているので、それを使えば、クラウド上で、同じファイルをメインPCからでも、タブレットからでもアクセスし操作できるのだが、月に千数百円が必要になる。ワードとエクセルとパワーポイントのセットでも月に900円必要なので、導入するか考えている。(これを導入するとスマホでもオフィスのファイルを見ることが出来る。)
夜は、副食作りを行った。

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昨日記161218日(スマホウイルス対策ソフト 京都の画廊回り)

2016年12月21日 22時29分00秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
最高/最低℃ 12.9  3.7  晴後一時薄曇
この日はプチ断食の日だ。
9時過ぎまで新聞を読んだり、TVを見て過ごす。
その後スマホのウイルス対策が気になり、メインPCに導入されているウイルスバスターを導入しようと何度か挑戦したが、ことごとく失敗し、今回もうまくいかなかった。
3個までの端末に使えるはずなのだが、ダウンロードは完了しているがそれ以後展開できないのだ。
スマホをいろいろ操作していると、OCNのアンドロイド用ウイルスソフトを申し込んでいることが分かった。
さっそく、操作してインストールしたところ、うまくインストールされ、機能しているようだった。
これでスマホのウイルス対策は完了した。
昼頃には、遅れていた昨日記を書いた。
その後、京都に出かけた。

毎年暮れに行われている、祇園四条にあるギャラリー西利で行われている、塔本さんの絵画教室の作品を観に行くためだ。
この展覧会は、私がギャラリーをしていたころから続いていて、私のギャラリーでも展覧会をした。
アールブリュット関連の作品を観ると心が和むし、元気をもらえる。
それ以外に、塔本さんご夫妻の作品や、塔本シスコさんの作品も展示されていた。
塔本賢一さんの作品は仏画の形をとっていて、ボールペンを多く使っているが、独特の迫力があった。
余談になるが、大津にギャラリー2kwを含めたK氏邸を設計し、現在建築している一級建築士の塔本研作氏は、塔本氏のご子息で、吉原次郎賞展にも入選した現代美術作家でもある。
彼が建築した小規模住宅T氏邸、海外の建築の教科書にも取り上げられていて、ロシアを含むいくつかの国にも紹介されていた。

ひととおり見終わった後、ギャラリー西利を後にして、三条通りのギャラリーに向かった。
16――クンストアルトス――モーニング――ニジを回った。
大阪に戻り、淀屋橋のファストフード店で、午後6時過ぎに、この日初めての食べ物であるハンバーグを口にした。


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