20歳になり、成人式の式典に参加した時、大阪市教育委員会が「二十歳の集い」というグループを作るので、希望者は参加してくださいというお誘いがあった。
当時、工業高校を出て、町工場の新入社員として働き、ようやく設計の仕事をこなし始めた時だった。
高校の同期生は、他府県に行ったものも多く、仕事も忙しいようで、会う機会もなくなった。
付き合いといえば、近所の幼馴染や中学の同級生とたまに会うぐらいだった。
会社では、同期の友達もできたが、仕事になじめず2時間の残業は当たり前で、5時で退社することができない状態だった。
そういった生活で、暗い生活を送っていた。
そんな時に、二十歳の集いがあるというのでどんなものかと思い参加した。
当時(今もそうだが)私の周りには、女性の影は全くなかった。
出身が工業高校なので、同じ電子工業科の隣のクラスに女性生徒(当時工業高校の電気科で女生徒のいる学校はなかった。)が3名いたが、卒業まで女生徒たちと話したことはほとんどなかった。(文化祭の時に一度だけ話した記憶はある。)
会社では技術なので、総務の社員に女性はいるが、個人的に話す機会はなかった。
そんな状態なので、「二十歳の集い」は、魅力的に見えた。
参加すると少数の女性がいて三分の二以上は男性だった。
二十歳の集いには、前年度の先輩が数名いて、会の運営をリードしていた。
毎年同じ形で運営し1年単位でメンバーを入れ替えるようだった。
その後1年間、ある程度教育委員会?でお膳立てさえた行事(お茶会 ハイキング・・・)を企画運営し、一年後に私が参加した二十歳の集いは終了した。
終了前から、先輩たちがフォークダンスサークルへの勧誘を始めた。
あまり乗り気ではなかったが、運動不足解消になるかと思い参加した。
その後毎週月曜日の夜に、区民ホールに集まりフォークダンスを踊った。
メンバーは10人から多い時で30人程度だった。
二十歳の集いから参加し、残ったのは私だけだった。
そのフォークダンスクラブの支援者は自民党の市会議員だった。
一昨年、ジムでフォークダンスをやっている中高年の女性グループあったので、外から見ていると、声をかけられたので、いろいろ話し込んだ。
すると、そのグループのリーダーは、私が20歳のころに参加した、フォークダンスグループ(すずかけ)の関係者で、その当時踊りを指導していたリーダーは、その時大阪府の連盟の会長になり、今も指導しているということで驚いた。
今、なんでこんなことを書いているかというと、夕方のニュースでウクライナ出身の女性がバンドゥーラのコンサートをするという話題を取り上げていたのだ。
その時に、初めて「バンドゥーラ」という楽器を見た。
音色はチターに似ていて、同じ系統の撥弦楽器だろうか。(マンドリンも同じ?)
そして、昨日ウクライナのことが気になりウクライナ国家を検索して、ユーチューブにあるウクライナ国歌を聞いた。
その歌詞の中に、ウクライナはコサックの子孫という意味の歌詞があった。
それまでコサックの民は、ロシア人と思っていた。
ロシア民謡で有名なステンカラージンにもドンコサックが出てくるし、昔は勇猛なコサック騎兵隊がいるという話も耳にしたことがある。
しかし、ウクライナ国歌の映像やウクライナの話題に出てくる民族衣装は、フォークダンスの時に使う男の衣装のルパシカにそっくりだった。
さらに、確かフォークダンスの曲でメロディーは忘れたが、「バンドゥーラ・コサチョク」という曲があるのを思い出した。
旋律は忘れたが、聞けば思い出すし、ひょっとすると踊れるかもしれない。
「バンドゥーラ・コサチョク」は楽器のバンドゥーラとコサックの何かを現したウクライナ民謡なのかもしれないと思った。
TVでロシア関係の識者が言っているように、ウクライナはロシアにとって京都のようなものでロシア文化の源流に当たるということを考えると、ウクライナのフォークダンスがロシアのものと思われていてもおかしくないと思った。
それにしても、自分の母屋や京都に当たると思われる親戚や故郷を平気で攻撃し、殺人・破壊をするロシアというよりプーチンの全く狂気が理解できない。
彼は殺人者であり、ヒトラーと同じ無法者に違いない。
人類は近代になるまで、同じ侵略戦争を全世界で繰り返してきた。
しかし、開発途上国ならいざ知らず、現代の文明的には先進地域でこういう古いタイプの戦争が起きるとは、人類の進歩も疑わしい。
そういえばロシアは共産党時代も東欧諸国を力でねじ伏せ、ハンガリーやチェコの動乱を鎮圧し、チェチェンを破壊しつくしたといわれるし、ジョージアにも侵攻した。
現代のソ連とそれを引き継ぐロシアは、帝政ロシアと変わらない動きをしている。
国際的な犯罪国家とみなさざるを得ない。
こうした国は、いつ豹変するかもしれないので、対応策は平時から考えておくべきだろう。
2037
当時、工業高校を出て、町工場の新入社員として働き、ようやく設計の仕事をこなし始めた時だった。
高校の同期生は、他府県に行ったものも多く、仕事も忙しいようで、会う機会もなくなった。
付き合いといえば、近所の幼馴染や中学の同級生とたまに会うぐらいだった。
会社では、同期の友達もできたが、仕事になじめず2時間の残業は当たり前で、5時で退社することができない状態だった。
そういった生活で、暗い生活を送っていた。
そんな時に、二十歳の集いがあるというのでどんなものかと思い参加した。
当時(今もそうだが)私の周りには、女性の影は全くなかった。
出身が工業高校なので、同じ電子工業科の隣のクラスに女性生徒(当時工業高校の電気科で女生徒のいる学校はなかった。)が3名いたが、卒業まで女生徒たちと話したことはほとんどなかった。(文化祭の時に一度だけ話した記憶はある。)
会社では技術なので、総務の社員に女性はいるが、個人的に話す機会はなかった。
そんな状態なので、「二十歳の集い」は、魅力的に見えた。
参加すると少数の女性がいて三分の二以上は男性だった。
二十歳の集いには、前年度の先輩が数名いて、会の運営をリードしていた。
毎年同じ形で運営し1年単位でメンバーを入れ替えるようだった。
その後1年間、ある程度教育委員会?でお膳立てさえた行事(お茶会 ハイキング・・・)を企画運営し、一年後に私が参加した二十歳の集いは終了した。
終了前から、先輩たちがフォークダンスサークルへの勧誘を始めた。
あまり乗り気ではなかったが、運動不足解消になるかと思い参加した。
その後毎週月曜日の夜に、区民ホールに集まりフォークダンスを踊った。
メンバーは10人から多い時で30人程度だった。
二十歳の集いから参加し、残ったのは私だけだった。
そのフォークダンスクラブの支援者は自民党の市会議員だった。
一昨年、ジムでフォークダンスをやっている中高年の女性グループあったので、外から見ていると、声をかけられたので、いろいろ話し込んだ。
すると、そのグループのリーダーは、私が20歳のころに参加した、フォークダンスグループ(すずかけ)の関係者で、その当時踊りを指導していたリーダーは、その時大阪府の連盟の会長になり、今も指導しているということで驚いた。
今、なんでこんなことを書いているかというと、夕方のニュースでウクライナ出身の女性がバンドゥーラのコンサートをするという話題を取り上げていたのだ。
その時に、初めて「バンドゥーラ」という楽器を見た。
音色はチターに似ていて、同じ系統の撥弦楽器だろうか。(マンドリンも同じ?)
そして、昨日ウクライナのことが気になりウクライナ国家を検索して、ユーチューブにあるウクライナ国歌を聞いた。
その歌詞の中に、ウクライナはコサックの子孫という意味の歌詞があった。
それまでコサックの民は、ロシア人と思っていた。
ロシア民謡で有名なステンカラージンにもドンコサックが出てくるし、昔は勇猛なコサック騎兵隊がいるという話も耳にしたことがある。
しかし、ウクライナ国歌の映像やウクライナの話題に出てくる民族衣装は、フォークダンスの時に使う男の衣装のルパシカにそっくりだった。
さらに、確かフォークダンスの曲でメロディーは忘れたが、「バンドゥーラ・コサチョク」という曲があるのを思い出した。
旋律は忘れたが、聞けば思い出すし、ひょっとすると踊れるかもしれない。
「バンドゥーラ・コサチョク」は楽器のバンドゥーラとコサックの何かを現したウクライナ民謡なのかもしれないと思った。
TVでロシア関係の識者が言っているように、ウクライナはロシアにとって京都のようなものでロシア文化の源流に当たるということを考えると、ウクライナのフォークダンスがロシアのものと思われていてもおかしくないと思った。
それにしても、自分の母屋や京都に当たると思われる親戚や故郷を平気で攻撃し、殺人・破壊をするロシアというよりプーチンの全く狂気が理解できない。
彼は殺人者であり、ヒトラーと同じ無法者に違いない。
人類は近代になるまで、同じ侵略戦争を全世界で繰り返してきた。
しかし、開発途上国ならいざ知らず、現代の文明的には先進地域でこういう古いタイプの戦争が起きるとは、人類の進歩も疑わしい。
そういえばロシアは共産党時代も東欧諸国を力でねじ伏せ、ハンガリーやチェコの動乱を鎮圧し、チェチェンを破壊しつくしたといわれるし、ジョージアにも侵攻した。
現代のソ連とそれを引き継ぐロシアは、帝政ロシアと変わらない動きをしている。
国際的な犯罪国家とみなさざるを得ない。
こうした国は、いつ豹変するかもしれないので、対応策は平時から考えておくべきだろう。
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